業の深い人は、なぜ自己理解が深いのか。
長文ファンの皆様おはようございます。
「自分を知る」というメタ認知能力は、生きていく上でとても重要なものだと思います。
興味深いことに依存症を経験した方で、回復のプログラムを受けた人はこのメタ認知能力が高まることが知られています。それができなければ自分を止められないのがいちばんの理由だとは思いますが、自分がなぜ依存していったのかを他者や自己との対話を通じて理解していくからだろうと思います。
依存症以外でも、人生で
「思うようにならない自己」
が激しいほどメタ認知能力が高まると思っています。それに悩まされ、かつ冷静な時との差異が大きくなり、故にその落差に着目するからではないかと考えています。
しかし、仮に自己が激しくとも、問題を起こさなければ、差異に気が付きません。そして問題は、本人の自己認識に他なりません。本人がこれは問題であると気づくイベントが重要です。
依存症が発覚した後は、まさにこの条件が揃うことになります。
つまり、思うようにならない自己があり、その自己によって引き起こされている出来事があり、それが問題だと本人が認識するきっかけがあり、それについて考え始めメタ認知能力が高まる、という順番です。
メタ認知はつまるところ「行動と身体反応を元にした推論」で成り立ちます。自分がそのような行動を取ったのはなぜなのか。このような身体反応が起きてるのは何故なのか。先に反応があり、それについて考えるという順番です。そしてこの推論は終わりがないほど奥が深い。
メタ認知の強い人で、人生の前半と後半が全く別人のように見えることがありますが、それは自己に振り回された前半と、それを深く内省(反省)する後半、なのではないかと理解しています。
メタ認知の奥に業の深さあり、と思います。