事故が起こる偶然性
私の最近の思いつきは、死んでもいいなんて調子いいこと言ってる。
確かに調子いいこと言ってると思う。
世の中には、死を目の前にしている人や不治の病に苦しむ人もいる。
そういう状況の人と健康に生きている人とは表裏一体どころか、ホントに薄皮一枚だと思う。
私が高校卒業したばかりの頃、原付バイクを乗り回していた。
いつもの道の車通りの少ないいつもの曲がり道、スピード出したままハングオンのカーブを楽しんでいた。
その日も調子にのってカーブの前にスピード上げた時、突然誰かに肩を叩かれた。
ハッとして急減速、スピード上げたままでカーブ入ったであろうタイミングに、スピード上げたダンプカーが対抗車線をはみ出してカーブして来た。
もしあのまま行ってたらダンプカーと正面衝突していたかもしれない。
走行中のバイクに肩を叩いてきた存在、人では無理、守護霊なのかもしれないと感じていた。
ハッキリと左肩に感触が残る。
未熟なバカ野郎の若僧の自分を助けてくれたと勝手に思っている。
無事に健康に生きている人も、ハンデを背負ったり生命の危機に瀕している人も、ホントに薄皮一枚で、大きく違うけど何も違わない存在だと、あの時以来に思い続けている。
単なる事故未遂を大げさに考えてるだけかもしれない。
自分の意識が宇宙と同意して今があるのか、今の状況も単なる偶然という名の必然的奇跡の結果であるのか、正確に把握することは出来ないが、あの日以来はいろいろ思うことがありながら現在まで来ている。
全て意識通りの存在でありながら、他の存在の協力を得ながら存在している、自己なんて狭い自己では測れないのだと思っている。
あと、その肩を叩いてくれた存在は誰なのか、お礼したいのが死んでからの楽しみの一つ。
そんな気持ちも死んでもいいと思うことかもしれない。