「公欲がなければ、相手に思いやりを持って接することはできない。 私欲があれば、他人の貧しさを哀れみ、助けることができない。」 つまり、相手を労わることが、思いやりの連鎖反応を起こすんだと信じながら、相手と付き合えるかどうかということだと思います。
相手につくす上で大切なことは、相手の欠点を注意して正しい方向へ導くことであり、悪口を言うことではない。 もし、注意を受け入れられなくても相手を恨んではいけない。 相手の長所を周りに言うことがあっても、気に入られるためにすることはあってはならない。
九州の武将大友家の家臣高橋紹運は、九州の武将島津家に城を攻められても、逃げずに城を守った。 そして、城の兵力が弱り、「降伏せよ」と知らせがあっても、「長く栄える者あっても、いつかは終わりが来る。残るのは義の心だ。」と言い残し、死ぬまで城を守った。 志を曲げない姿を、人々は称えた。
「太陽は朝から晩まで照らしてくれるが、いばらない。 キレイな声で鳥が鳴いても、自慢はしない。 ゆえに、少しでも自分を自慢して褒められたいと思うなら、自然界の道から離れているといえる。」 皆自分の仕事をしているだけ。 だけど、持続させていくためには、感謝を伝えることですね。
人が言ったことを、自分が考えたように、口に出してはいけない。
「「憤」の一字は、学問に進むための道具である。」 発憤は、悔しさを力にした行動力のことだと思います。 「絶対見返す!」「負けてはいけない!」「どうにかしないと!」と心の底から湧き出す何かがあれば、学んだことは必ず実るのでしょう。
河上玄斎かあ。るろうに剣心の主人公のモデルだって事、何となく知ってたような気はするけど改めて剣術を見た。『かわかみ』という発音と見た目に妙に懐かしさを覚えた。剣士が一刀目に全てをかけるのは恐らく本当にそうだと思う。後、視線で斬撃がバレないように前髪か姿勢で目元は隠すので睨まない。
やり過ぎたり、足らないのは悪。 やり過ぎず、足らなくないと善。 徳川家康が女中に、「この世の美味しい物・マズイ物はなんだ」聞くと、「塩」と答えた。
戦闘能力の高いあの武田信玄でさえ、昔活躍して今は引退した老人武士のところへ行き、春から秋の毎晩、戦いの勉強をした。
往生際の良い奴だ つまらん 生きろっ
映画を観ていた。 たまに行くようにしているけど、もっと頻度を増やしたいと思っている。 色んな映画館をみて、どんな作りをしているのかとか、新しい発見が出来るからである。 作品を観るためという、目的があるけども副産物としてそこに行くまでの経緯についても縁を感じる。 そうやって、過ごす