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近所のスーパーで「本物の侍」に出会った日


男というのは、つくづくカッコつけたがりな生き物である。なので「生活感満載」なことは避けたがる傾向にある。

例えば、スーパーやドラッグストアで買ったトイレットペーパーやティッシュペーパーを持って歩くこと。

私自身、特に20~30代頃はそれを凄く恥ずかしく思っていた。ただ、私のように一人暮らし歴がどんどん長期化してくると、恥ずかしがったりハニかんでもいられなくなる。

仮にも私は「トイレットペーパーやティッシュペーパーを一人で持ち歩く歴30年以上のベテラン」である。

だが、そんな私でも未だに「持って歩くのを思わず躊躇してしまうもの」がある。それは───

「長ネギ」だ。

こう言っては何だが・・・ただの長いネギである。なのになぜ、長ネギはあんなにも存在感が圧倒的でオーラ全開なのだろう?

例えば、モデルがハイブランドで身を包んでいたとしても、そこに長ネギが入れば一瞬にしてモデルのオーラなど吹っ飛ぶ。

オシャレ番長がどれだけ束になってかかっても、長ネギの束には敵わない。そのくらい、長ネギの破壊力は凄まじい。

そもそも、何で長ネギは長いネギのままの状態で売っているのだろう。半分に切れば、長くない「ただのネギ」になるではないか。

いくら名前が「長ネギ」だからって、バカ正直に長いまま売っていなくてもいいのに。長いばっかりに、いつだって袋やエコバッグからはみ出してしまう。

聞いた話だと、お店によってはレジで長ネギを切ってくれるというが、「わかってないなぁ」と思う。

だって、レジが大行列になっている時に「長ネギ、切ってください」とは言いづらい。そもそも、さりげなく買って、こっそり持ち帰ろうとしている長ネギのことで逆に目立ってしまっては本末転倒もはなはだしい。

つい、「そのへんの男心を察してくれよ」と文句の一つも言いたくなる。

最初から、長ネギを半分くらいのところで切って束ね、長ネギ改め「控えめネギ」として販売したらいいのに。きっと、恥ずかしがり屋なハニかみ男性から絶大な人気を獲得するだろう。

例えば、もしこれがバゲット(いわゆるフランスパン)なら長くても全然いい。袋やエコバッグからどれだけはみ出ようと、むしろ「はみ出し」大歓迎である。

「そんなに恥ずかしがらず、もっと主張していいんだよ」とさえ思う。バゲットは、はみ出せばはみ出すほど、気分はまさにパリ気分。

なんなら、そのまま持って振り回しながら歩いたっていい・・・いや、ちょっと言い過ぎた。食べ物をそんな風に扱ってはいけないし、いい大人がすることではない。

でも、バゲットなら、もし落としても全然恥ずかしくない。むしろ、わざと落として女性から「あの、落としましたよ!」と言われるのを待つだろう。だが───

これがもし長ネギだったら?

「落としましたよ」
振り向くと、そこには長ネギを持った女性がいる。
「あ・・・いや、私じゃありません」
私は思わず嘘をつく。
「えっ!?・・・でも・・・」
戸惑う女性。

間違いなく、女性の目の前で私のエコバッグから長ネギがふいに飛び出し、そして落ちたのだろう。

彼女は知っている。

間違いなく、その長ネギが私のものであることを。だって、目の前で私が長ネギを落としたのを見ているのだから。そう───

彼女は「真実を知っている」のだ。
しかし、そこで私は言う。
堂々と。

「私じゃ、ありません!」
「でも、今目の前で・・・」
「違います!」
「だって・・・」

そして私はいよいよ、とんでもない一言を彼女に向かって言い放つ。

「・・・警察呼びますよ」

お手本のような「逆ギレ」であり、絵に描いたような冤罪事件である。


念のため言っておくが、私がここで言いたいのは「私はこんなヤバい奴なんです」ということではない。ハニかみ男性が女性の前で長ネギを落とすことは、このくらい恥ずかしい、ということだ。

つまり、私にとって長ネギというのは、そのくらい「恥ずかしい存在」なのだ。けど───

「運命のその日」はやってきた。

それは、長ネギが私にとって「恥ずかしいもの」から「憧れ」になった日。私にとっての「長ネギ記念日」である。

その日、私は近所のスーパーの入り口で、買い物を済ませた人とすれ違った。それは、

「リュックを背負ったおじいさん」だった。

一見、何の変哲もないその姿・・・だが一つだけ、圧倒的に目を引くものがあった。それは───

長ネギだった。

おじいさんが背負ったリュックから「長ネギ」がはみ出していたのだ。でも、

なぜだろう?
なぜか、その長ネギが凄くカッコよく見えたのだ。思わず二度見してしまうほどに。

なぜ、そう思ったのか?
それは、長ネギがただの長ネギに見えなかったから。というより、私にはその長ネギが「長ネギには見えなかった」のだ。

では、何に見えたのか?

私にはその長ネギが「刀」に見えた
そして・・・

おじいさんの姿が「背中に刀を背負う侍」に見えたのだ。その姿は、そう───

「ネギ侍」である。

あまりに自然なのだけれど、でも只者ではない。長ネギのように背筋が伸び、シャキッとしたその雰囲気と佇まいは、まるで過去からタイムスリップしてきた本物の侍のようだった。

私はスーパーに入るのも忘れ、ネギ侍に見とれてしまった。

帰宅後。
「私もネギを背負ったらカッコよく見えるのかな」と思い、やってみた。もちろん、普段家には長ネギがないので、長ネギの代わりに「の長い靴ベラ」を使って。

鏡に映る「長ネギ(靴ベラ)と私」

なんだか・・・全然違う。

私はひとり、柄の長い靴ベラを背負ったまましばらく考えた。そして、一つの結論に達した。そうか、

私にはまだ、長ネギを背負うだけの「風格」が備わっていないのだ。

丁寧かつ地道に、そして愚直に歳を重ねたからこその、あの風格。それがなければ「長ネギ」は、ただの長いネギでしかない。つまり、今の私ではまだネギ侍にはなれないのだ。

その時、改めて思った。
私はまだ若く、そして未熟者なのだと。

そもそも、アラフィフにもなって長ネギを持ち歩くのが恥ずかしいなどと言っている時点で、あまりに私の器は小さ過ぎた。

でも、きちんと丁寧に、地道にそして愚直に年齢を重ねていくことで、いつか自分もあのおじいさんのように「長ネギが似合う男」になれるのかもしれない

そんな風に思ったら、年齢を重ねるのがちょっと楽しみになってきた。いい歳の重ね方をすることで、私もあんなに素敵に長ネギを背負うことができたなら。そう思ったらなんだかワクワクしてきた。

思えば最近、ずっと若いと思っていた私も、気づけばおじさんになっていて、そのうちあっという間におじいさんになってしまうのだろうと、そんな自分に寂しさを感じていた。けど・・・

白髪が増えたとか、痩せにくくなったとか、疲れやすくなったとか、小さな文字が見えにくくなったとか、老いることのデメリットばかりに目がいき、そんなことばかり気にする日々の先に何があるだろう? きっと絶望しかない。

でも、長ネギをあんなに素敵に背負うおじいさんを見て、私はその老人から「老いる勇気」をもらった気がする。

これからはもっと長ネギを買おうと思う。長ネギは血行促進、疲労回復、殺菌作用、免疫力を高めるといった効果があり、風邪の症状にも効くようだ。

そして私もいつか、あのおじいさんのようなカッコいい「ネギ侍」になりたい。

長ネギを見るたびに、私はあのおじいさんを思い出す。長ネギのように背筋が伸びた、あの姿を。

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