[ショートショート10]悪の一味
榊勇之進は、最近、北見藩への士官に成功した。
故郷で横領の濡れ衣を着せられて不本意にも脱藩。
妻とともに江戸に出て、5年の浪人暮らしの末の士官だった。
妻の千代は、勇之進を信じ、不平一つ漏らすことなく、慣れない江戸まで着いて来てくれ、ほとんど稼ぎのない勇之進に変わって茶店で働いて生計を立ててくれていた。
腕に覚えのあった勇之進は、剣術指南の道を模索し、藩士募集の話が来ないかと、日々諸藩の江戸屋敷周辺で情報収集に当たった。
1か月前、北見藩が腕に覚えのある浪士を30人募集しているという話を耳にした。
30人は、多い。
異例の増員だ。
何か裏があるのかもしれない。
徳川幕府が築いた太平の世に戦はないだろうが、不穏な輩との戦いはあるのかもしれない。
だが、勇之進は迷うことなく、北見藩に赴いた。
数度他の応募者と剣術の手合わせをし、彼の腕前は、審査者の目に止まったようだ。
「明日から、来てくれ。」
「やったぞ、千代。
ようやく士官が成った。
もう貧乏暮らしは、させぬからな。」
頂いた前金で、米と、めざしいわしと、酒を買った。
明日は千代に、着物でも買ってやろう。
彼はその日、足取り軽く、家路に就いた。
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士官から1週間。
驚くことに、仕事がなかった。
江戸城への出仕はもとより、国元との連絡、資金の管理などの業務は当てがわれず、剣術道場の指南役すら任されなかった。
30人は、勘定奉行公邸の数か所の大広間に集められ、たまに剣の修練に励み、運ばれた膳と酒を平らげる、という日々が続いた。
「士官とは、こんなものなのか?」
勇之進に、少し、疑問が湧いた。
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ある日、千代の働く茶店に、いつも訪れる火消しの善次さんと、旗本の三男坊の徳さんが訪れた。
男女の町人も交えて、4人でひそひそと相談をしている。
彼らがひそひそと話すのは、大体、町のケンカを仲裁するときだ。
「善次さん、火消しの仕事だけじゃなくって、町のために頑張ってくれてるわねー」
女将の感心したようなつぶやきに、千代もうなずき、茶と団子を運んだ。
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その数日後、江戸城の庭に、将軍と2人のお庭番(忍びの者)の姿があった。
「年貢米横領の儀、黒幕は北見藩勘定奉行に相違ないのだな。」
「はっ。間違いございません。」
「北見藩主の敦盛はなかなか見どころのある若者だ。
藩主になって日が浅く、まだ藩内を納めきれていないのであろう。
この儀、大事にしたくない。
いつも通り、我ら3人で片づけるぞ!」
「はっ!」
「はっ!」
富の集まる江戸では、私腹を肥やさんとする輩が絶えない。
町奉行、町火消を新設した将軍だったが、若い頃紀州を駆け回っていた暴れ者、時には自ら悪漢の成敗に乗り出すのだった。
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その夜は、例によって夕餉が運ばれ、その後「帰宅せず待機せよ」とのお達しがあった。
出された酒肴をいただき、そろそろ眠くなってきた夜更け、、、
「ものどもっ!
出合え!!」
勘定奉行の声。
何だろう?
ものどもというのは、大部屋組の30人の事だろうか?
勇之進は、とりあえず声のする方に行ってみた。
そこには、いい服を着たサムライが1人と、忍びの者が2人、鬼神のような強さで、大部屋組をバッタバッタと倒している光景があった。
「何だ?」
側にいた大部屋組の半兵衛に尋ねてみる。
「勘定奉行が江戸に入ってくる年貢米を横領していたらしい。
今戦っているのは、上様とお庭番衆だ!」
「は?」
根耳に水とはこの事だ。
勇之進たち大部屋組は、全くもって不本意にも、悪の一味という事になっているらしい。
いかん、部屋に刀を置いてきた、、、
取りに戻る途中、勘定奉行が上様に討たれる姿を目にした。
「早く刀を、、、」
次の瞬間、お庭番衆が勇之進に襲い掛かった。
「ぐはっ!」
短刀で腹を刺された、、、
急な招集から、展開が早すぎる、、、
こんなことで、俺は死ぬのか、、、
千代?
千代!!
薄れゆく意識の中で、勇之進は、ひたすらに、妻を思った、、、、、
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その日、江戸の町は、北見藩勘定奉行の年貢米横領の話でもちきりだった。
早々に出回った瓦版が、事の仔細を面白おかしく伝えていた。
千代は、奉行所に出向き、変わり果てた夫と再会した。
亡骸を埋葬する許可は出た。
千代は、寺に頼み、片隅に小さな花を立てた。
「勇之進様、、、」
千代は知っている。
千代だけは、勇之進が、安易に悪に加担する者でないことを、知っている。
なるほど、北見藩の勘定奉行は悪事を働いたのだろう。
だが、勇之進は、つい最近仕官し、事情を知らずその場にいたに過ぎない。
この理不尽の、持って行き場はないものか、、、
千代は、火消しの善次に話を向けてみようと心に決めた。
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数日後、千代は、とある料亭の個室に呼ばれた。
そこには、善次と徳さんの姿があった。
「お千代ちゃん、この徳さんが、実は将軍様なんでぃ」
「え?
徳さん、、、
じゃ、うちの主人を討ったのは、、、」
「千代、すまぬ。
余の部下じゃ。」
、、、、、
千代は、徳さんが気のいい侍であることを知っている。
悪気はなかったのだろう。
しかし。
「上様と承知で申し上げます。
此度の儀、上司である勘定奉行の不始末とはいえ、我が夫勇之進には全くあずかり知らぬこと。
同様に他の浪人たちも、おそらく事業を承知していなかったものと存じます。
悪人に与する者は悪人というお考えは、余りに浅はかというもの、、、」
「こら、お千代、、、
浅はかってーのは言い過ぎだろう、、、
上様の御前だぞ?」
善次が慌てて止めに入ったが、千代は続けた。
「いいえ、わたくしはもはや打ち首となっても構わぬ身。
申し上げたき儀は全て申し上げたく存じます。」
「良い。聞こう。」
将軍も、命を懸けた千代の訴えを最後まで聞く姿勢を見せた。
「悪に与し、罰するべきものは、その悪行を企みし者ども。
それと知らずに加担せし者は、罪なしとは言わずとも、事情をお汲み取りいただき、一等を減ぜられて然るべきものと存じます。」
将軍はうなずき、一言返した。
「千代、お前の言うとおりだ。
疑わしき者は、吟味の上、相応の罪を白洲(裁判の場)にて言い渡すべきもの。
しかしなぁ、お互いが刀を持っている場では、斬らねば斬られる、という心持もある。
余が勘定奉行の罪を直接問い質したあの夜は、正にそのような場であった。
そのような場では、自らの身を守ることが先決。
家人の悪行への加担を吟味する暇などなかったのだ。」
「上様、それは裁きにあらず。
戦にございます。」
将軍は、返す言葉を失った、、、
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盗み、横領、贈収賄、殺人、火付け、、、
今日も、江戸の町では、犯罪が絶えない。
そうした悪事を、江戸町奉行が吟味する時間が、最近異常に長くなったそうだ。
その分、嫌疑不十分な悪党どもが、町に溢れた。
犯罪の件数は、増えてきている。
江戸城では、将軍が町奉行と話していた。
「上様、吟味の長期化により、町の治安は悪化しております、、、」
「うむ。知っておる。
じゃがなー、吟味は尽くさねばならぬ。
今は太平の世じゃ。
戦の世ではない。
罪なき者は、一人たりとも咎めてはならぬのだ。」
町奉行は、「理想論だな」と思った。
正義が保たれる代わりに、悪がそれ以上蔓延っては、本末転倒だ。
彼は、最近、自身が少数の部下と悪の巣窟に乗り込み、悪事を未然に防いでいることは、将軍には黙っておいた。