マズローの言う「自己実現」はユング的には「自我実現」になるらしい。ユングの言う「自己実現」は「個性化の過程」における段階なので、通過儀礼で一斉に行われるものではないという。個人が、自分に適したタイミングで行うのかも。MASTERキートンがわざわざ軍隊に「志願」した理由ではないか?
「人間はどんなところでも学ぶことができる。知りたいという心さえあれば」 (MASTER キートン) 最近はYouTube など興味があることは 無数の動画に触れる事ができる 学びたい人からすると天国のような環境 つまり、学びたい欲求の有無で 成長格差が簡単についてしまう時代
MASTERキートンが通過儀礼を求め軍隊に志願したのは、考古学などの知見からだろう。だが戦闘でイニシエートされるわけではなく、実際に求めたのは心の成熟だったはずだ。筆者自身も幼少期から軍隊式の教育施設でしごかれたが自ら希望したわけでも何でもなく、多大なダメージを受けただけだった。