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2021/8/7 夏を諦めない

楽しみにしていた1年半振りの帰省をコロナで断念。妹の子とうちの子を遊ばせるためのプールを買って送るほど、気合いを入れていたにも関わらず。ただ妹と妹の配偶者がワクチン未接種なことが分かり、保育園に通わせ、人一倍他人との接触が多い娘を連れていくのは気がひけた。ついでに私の頭の中にはジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」でしつこく言及されている「免疫を持っている人とそうじゃない人の接触でそうじゃない側が壊滅」という史実が念頭にあって、どうも気分が乗らなかった。さようなら、夏。。。

とならないのが私なので、代わりに楽しい予定を入れることにした。1年振りの夏の軽井沢、クラシックホテルめぐり2軒目の万平ホテル。
このコロナ禍で出歩くのは賛否両輪なのは承知の上で、ただワクチン2回接種済だしワクチン未接種の他人と濃厚接触者になるほど近づく訳でもないし、欧米の動きをみていてもありでしょう、というのが個人的な見解。
ただたとえノーワクチンだったとしても、どこかに行きたい衝動をとめられなかったのでは、と思っている。

浦沢直樹の「MASTER キートン」という漫画の第7巻に「黄金の鐘の夢」という話があって、10歳の時にユダヤ人でナッツヴァイラーの収容所にいた、ガニアという老人の忘れがたい思い出が描かれている。

収容所で私の持っていた唯一の遊び道具は父がくれたボールだった。ドイツ兵の目を盗んではボール遊びをしてた…それがある日...ボールが柵の向こう側に転がってしまった。
ドイツ兵の立つ危険地帯、そこへの侵入は脱走を意味する。でも、私はどうしてもボールを取り戻したかった。私はボールに命を賭けた。バカみたいだろ?ボールに命を賭けたんだ。
私は胸を張って歩いた。死んでもいいと思った。あの時、私に一番重要だったのは、人間として生きて行くための小さな夢だった。
浦沢直樹「MASTERキートン」第7巻

今回に限らず、コロナ禍でリスクがあるとされる行動をするたびに、何度となくこの話を思い出す。
リスクを軽視している訳でもその行為を切実に欲している訳でもないのに、何故なのか。特に1年前、緊急事態宣言明けてすぐに友達と久しぶりに飲みにいった際、帰り道で何度も自問自答した。

結局のところよく分からない。前述したガニアという老人も、なぜそのタイミングに命を賭ける行動をしたのか、はうまく言葉にできないんじゃないかと思う。

ただひとつだけ思うのは、ロジカルに決して説明できない選択に「自分らしさ」は宿る。そしてその選択をしたという事実が、誰にも代え難い「自分であること」の証明になる。それは人生においてとても大事なことのような、そんな風に思っている。ちょっと大げさなんだけど。


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