MASTERキートンの豚の唐揚げと泣きながら食べたくたくたのラーメン
MASTERキートンで、
キートン氏がロンドン中華街1だと絶賛する店の、豚肉の唐揚げ。
見ていたらこれは作れるかもしれないと思い、
イメージだけで
MASTERキートンの豚の唐揚げを作るよー!!
豚肉、ヒレのかたまりです。
約1キロほど…w
ウィスキーが隠し味と言う事で、ジョニーウォーカー。
タレです。
塩コショウ、少々
砂糖、大さじ1くらい。
チューブの生姜、大さじ1くらい。
醤油、ウィスキーを100mlづつくらい。
玉子2つ。
豚肉ドバァ。
冷蔵庫で漬け込みます。(半分は後日食べる用に冷凍しました)
3時間ほど寝かせました。
寝かせている間、猫のブラッシングしてました。
抜け毛玉を頭に乗せて
「トランプさんごっこ」をしていました。
良かったらご覧下さい。
武蔵トランプさん。
葉月トランプさん。
六花トランプさん。
乃杏トランプさん。
(ちょっと嫌そうw)
漬け込み終わりましたら、
片栗粉ドバァ。
揚げます。
キツネ色になりましたら、上げます。
出来ましたー!
砂糖が入っているのでちょっと焦げてしまいましたが、
とっても美味しかったです!!!!
以前からブログで言っていますが、
(バレンタインの悲劇的で悲惨な作品
まめ'sきっちん!〜イメージだけでカレー鍋つくるよ!〜)
私は料理があまり得意ではありません。
なので、会社で仕事中に
はぁ…今晩の夕飯は何にすっかな…(ため息)
と考える事もしばしば、
そんなときに、こんな記事を読みました。
家庭料理はごちそうでなくていい。ご飯とみそ汁で十分。土井善晴さんが「一汁一菜」を勧める理由
ご飯を炊いて、あとは具だくさんのお汁を作ったら十分。家庭の料理は毎日、毎食、この一汁一菜でいいんです、という提案です。料理を作ることを義務だと感じている人、毎日の献立を考えるのが大変だという人にこそこれを実践してほしい。基本はご飯と、みそ汁。毎食これだけでもちゃんと健康は維持できるんです。
献立の基本形は「一汁三菜」だと長いこと言われてきました。でも私はその常識をずっと疑っていたんですね。一汁三菜の成り立ちについて調べてみると、そもそもは神様へのお供えであり、お公家さんが食べるハレの日の料理なんですよ。ところがいつのまにかそれが和食の基本だと誤解されるようになってしまった。
一方で、高度経済成長期以降の日本では、アメリカナイズされた豊かな食卓が庶民の憧れとされるようになりました。専業主婦の女性たちは目をキラキラさせて料理学校に通って、そこで覚えた新しい料理を家で披露するのが「いいお母さんの鑑」とされていたんですね。こういった要素が組み合わさって、家庭料理のハードルがだんだんと上がってしまったのが今の日本の食卓なんです。
でも毎回の食卓で一汁三菜、つまりおかず3つを作るって大変なことですよ。そこに使う時間、エネルギー、発想力、献立のバランスと統制力を考えたら、できなくって当たり前。専業主婦のお母さんでも大変だし、仕事をしながらだったらなおさら無理でしょう。そうなったら三つ星レストランのシェフより忙しいかもわからんかも(笑)。
つまり絶対にできないようなことを要求されているのが、今の日本の女性たちなんです。男女平等といわれながらも、やっぱり女性のほうが家庭に対してより強く責任を感じているから、どうしてもそうなってしまうんですね。奥さんが家にいる男の人は、女性たちがそういうプレッシャーを感じていることをあまり知らない。
なんと…!!!
わたくし、ひざに矢を50000000本くらい受けました!!
私は家庭料理にひと手間かける事こそが旦那さんへの愛情で、
毎日出来ないのは自分が愚か者になるような気がして、頑張っていましたが、
土井さんの記事を読んでハッとなりました。
以前
尾木ママさんがテレビで、
ちょっとうろ覚えなんですが、
毎日仕事をしながらキャラ弁を頑張るお母さんなどに対して
【毎日必要以上に頑張る必要無いんですよ、
手作りするだけが愛情じゃないです、例えコンビニのお弁当だって子供は愛情を感じますよ。
運動会とかでたまにご馳走を頑張れば良いんです。
ご馳走ってたまにで良いんですよ。
私はね、父子家庭なんですが
運動会とかたまに父親が塩むすびを手作りしてくれたんです。
これがねぇ、父親は料理が下手だったから
塩むすびがとってもしょっぱかったんだけど、
料理の下手な父親が頑張って握ってくれたと思ったら嬉しかったし美味しかったの。】
と言っていて、
私も小さい頃、うちは両親が共働きで
普段のごはんが、買ってきたお惣菜、お弁当だった事もあったけど、
用意されていたのが嬉しかったし、
作りおきのカレーを温めて食べるにしても
「あっ、にんじんがネコの型抜きされてる!」なんて、
愛情を感じなかった事は無かったかもしれない、
あとは小さい頃に、
うちのおかんが入院した時が有りまして、
家に料理を作れる人が誰もいない状態の時に、
ばーちゃんがごはんを作りに来てくれて
ばーちゃん「何が食べたい?」
って聞くから
私「ラーメン!」
って言った事があって、
その時家にインスタントの袋麺しかなかったんだけど、
ばーちゃんは自分の歯が悪いかなんかで、
ラーメンがくたくたの麺の出来上がりだったのだけど
でもなんか、
ばーちゃんが一生懸命作っていたのも見ていたし
ありがたいよな…って、
今でも、なんかあのくたくたのラーメンが忘れられなくて
まずいのは分かってるんだけど、たまにあのくたくたのラーメンが食べたくなるw
多分、土井さんが
【家庭料理がいつもごちそうである必要はないし、いつもおいしくある必要もない。】
とおっしゃるのはそういう事なのかなぁ…と。
今の世の中美味しいものでたくさん溢れていて、かんたんに手に入れる事が出来て、
だからこそ、家庭料理も一般的な家庭料理よりもひと手間掛けた物の方が良い気がして、
頑張って頑張って、
夕飯を作る時のテンションはどん底まで下がり、
料理を作る楽しみすら忘れていました。
料理人が作るようなレベルの料理を
毎日家庭料理で作る必要ないんじゃないか、と。
ご馳走はたまにだからご馳走であり、
たまにだから嬉しいのでしょうね。
全てを丸投げして手抜きをしよう、とまでは行かなくとも
義務感を感じて苦痛で毎日ご馳走の様な料理するよりは、
多少の手抜きでも、気分が楽だったり、
楽しみながら料理を作る方が良いよなぁ、と思いました。
もうちょい肩の力を抜いてみようと思いました。
おわり。