ソクラテスは、「汝自身を知れ」と言った 自分自身を知るためには、内省する事と思っていた でも、本当に自分を知るためには自分の外の世界に踏み出し 自分以外の人が世界をどのように考え、見ているのか 知る必要がある 自分以外の人に感情移入し 自分以外の人の目で自分を見る必要があるのだ😤
この、「言葉でモノを考えて」いる気になっているコト」がそもそも、白昼夢を見ている状態であり、また自らの神に会っている状態なのかもしれない。 「汝自身を知れ」とは、画面や字面に映る自分は本当の自分ではないというのはウソで、知るということはミラーリング(転写)でしかないと知ることか。
罪を嘆く人は自分が何をしているのか知らないことを嘆いているのだ。 {殺生、断罪、判断、生存、共生、生活} 個人的活動のすべてがリスクヘッジのために 複合的、間接的になったから。 実際に自給自足生活を想像してみればいい。 それを現代の地球規模に広げてみれば、 自給自足だと気付く。
知識(知ること)=体験を通して得られる情報。言葉や解釈は、よくて知識を示すシンボル、知識のすべてを正確に表すことは不可能。それでも書いている今の私の目的は、やっぱり汝自身を知ることなんだろうな。
汝自身を知れ(bis)ーどの人生も、そのためのチャンスに満ちあふれている。