病院勤務理学療法士40代のクライテリオン

お越しいただき、ありがとうございます。45歳、3人の娘(中学生と小学生)と奥さんの5人暮らし。仕事は、病院勤務の理学療法士で中間管理職。40代、病院勤務も先の見えないこのご時世、仕事のこと、家庭のこと、体のことを分析・考察しながら、お送りします。

病院勤務理学療法士40代のクライテリオン

お越しいただき、ありがとうございます。45歳、3人の娘(中学生と小学生)と奥さんの5人暮らし。仕事は、病院勤務の理学療法士で中間管理職。40代、病院勤務も先の見えないこのご時世、仕事のこと、家庭のこと、体のことを分析・考察しながら、お送りします。

最近の記事

伝わるつもりは伝わらない

さて、我が家にある軽量カップに着いているシールがはがれていました。これは、奥さんが付けたもので、食器洗いのときに、はずれたようで、流しにシールが落ちていたのを覚えています。  それから、数週間がたった後、台所で、奥さんが、「シール、付けちゃいけないのかな」と言うような発言をされていました。私が、「えっ、外れてただけだよ、私が外したんではないよ」と、伝えると、「そうなんだ」との事。  現実は、そのまま、伝わらない。こういうことで、伝わらないのだから、日常、分かるだろう、伝わるだ

    • 「先に車、乗ってるね」で娘に怒られる。

      さて、今日は娘の塾の送り迎え。送っていく時に、塾の開始時間が近づいていたため、娘に 「先に車、乗ってるね」 と言うと、 「分かってるよ!こっちだって準備してるんだよ!」  と、怒られる父、私。 普段の行いのせいでしょうか、娘に、そう思わせてしまう。 内心、(今日もギリギリだなぁ、早く行かないと、遅れるよ)と、思っていたのが、透けて見えたのかもしれません。 「なんて言えば良かったの?」 と、聞いて、あれこれ考えても、いい言葉が出ないので、 「遅いから、先に行ってるね!」

      • 相手を尊ぶ

        さて、この表現が適切かどうかはありますが、周りの人を自分がどう思うかは、めぐりめぐって自分の生きやすさにも関わると感じています。  相手に感謝している時、相手に敬意を持って接している時、私は、比較的ご機嫌です。  一方で、相手をどう論破しよう、とか、相手の欠点を探そうとしている時は、自分は疲れていて、精神的にも、余裕がない時に感じます。  相手を尊ぶ。そして、自分を尊ぶ。  自分を尊ぶのに、慣れていない場合、まずは、目の前の人から。そして、時に、自分を。  斎藤一人さんの  

        • 小林秀雄さんの考え方と自分との乖離

          講演会での言葉だそうです。  「確かに手元に掴んでいる不完全なものから工夫を積んで行くという苦しい道を捨てたがる。一足飛びに完全を考えようとする。考えが抽象に走るという事は、完全な考え方というものの気楽さに溺れることにほかなりませぬ。」(表現者クライテリオン11月号 p85記載内容引用)。 一足飛びに、技術を 身につけ、成功して、世の中の仕組みを理解し、悠々自適に、、、 なんぞ、考えている私は、溺れているだけですね。 工夫を積んでいく。

          コミュニケーションの癖を見つける

           さて、いきなりですが、なんで、奥さん、怒ったゃったのかな?と、言うお父さんもいるかもしれません。仕事で、なんか会議が上手くまとまらなかった、と、思うこともあるかもしれません。なんでそうなるのか、そのヒントは自分の有り様だと言う考え方があります。  オドオドしながら、奥さんに、「あのー、今度の日曜日、○○行ってきてもいい?」と聞けば、笑顔で、「いいよ!」と、言ってくれる奥さん、なかなか、居ないような、、、。   では、どんな有り様なのか、それを知る方法は、自分を外から見ること

          コミュニケーションの癖を見つける

          感情のコンビネーション

           一時期、感情をコントロールしよう、という気持ちがあり、間違えて、抑圧していた私です。怒らないように、ムカつかないように、頭で考えて、操作していました。  いまも、そうすることはあるのですが、感情が現れる時には、何か自分の中で思い込み、インプットしている考え方があるように思います。世の中の人々には、怒られそうですが、「奥さんは、お人やかである」「人は助けてくれるもの」あげればキリがないですが、この思い込みに気づけるのが、感情が揺さぶられている時かと思います。   で、最近は、

          集客は、ストレスを与えることが必要

          さて、整体院でも、イベントでもなんでもですが、募集して、ひとが来てくれるか?というのは、とてもとても、大切で、私のとてもとても得意としない部分です。  そんな方に朗報です。  そして、ついつい、セミナーに参加してしまう、あるいは、勉強会にたくさん参加して、参加しては、もの足りず、また、参加する方に、朗報です。    なぜ、あなたが、私が、参加してしまうのか、そして、集客されているのか。   その1つのヒントが、下記になります。 私たちは、ストレスを与えられている。セミナー動

          集客は、ストレスを与えることが必要

          相手の体には気が流れている

          さて、苦手な野菜も、体にいい、と聞けば、食べてみようとなる。栄養がある、と、思えば、なんか食べるだけで、元気になった気になったり。  さて、私達は、自分がどう思っているかで、物事の捉えようは変わり、行動も変わる。   合気道で、体を触れる時に、相手の気を殺しては行けない、と、教わります。流してあげるんだよ、と。そうすると、勝手に相手は動いていく。  臨床でも、理学療法で、患者さんに触れる時に、相手の気を潰していないか、逆に、 傷つけていないか、どう触るかが、大切で、その触り方

          俺達は全身全霊で世界に存在している

           https://meigenmeikan.com/oretachihazenshinzenreidesonzaishiteiru/ こちらから引用。以下、抜粋。 呪術廻戦にて、虎杖に東堂が放ったセリフ。 「では、なぜ呪力が遅れるのか」「それは呪力を流しているからだ」「呪力を流す、多くの術師がこれを意識的に行っている」「腹が立つ、腸が煮えくり返る」「負の感情から捻出される呪力は、臍を起点に全身に流すのがセオリーだ」「臍から胸を通り、肩・腕そして拳へと呪力を流す」「この部

          俺達は全身全霊で世界に存在している

          不思議な体験 捻挫の痛みが消える

          さて、何年も前になりますが、患者さんの兄弟が、リハビリに同席していて、その人が捻挫で、びっこ引きながら、歩いて、付き添っていました。   私は、当時、マトリックス・エナジェティクスというのを習って、で、その方に、いわゆる、タイムトラベル、という技を使いました。すると、リハビリ終わったあとに、びっこ引かずに、歩いて帰っていきました。  回想、おしまい。  ほんとに!?、という、私の感覚でしたが、確かに、触れている足首辺りに、何か変化を感じていたのは、ありました。 あれから、

          不思議な体験 捻挫の痛みが消える

          一本歯下駄トレーニング

          体の使い方、達人の身体操作に興味のあり、今回、一本歯下駄トレーニングのセミナーに参加してきました。 合気道も、理学療法も、神経整体も、なんでもとは、思いますが、体が楽に使えるか、使えないか、体を使えていれば、自ずと、上達も早いと思います。私は、体に力が入ってしまうので、その改善のヒントに、と、思いました。 結果はどうかというと、 高重心の概念と、それが、胸骨の1部のみを意識すこと、踵をつけることで、つま先が自然と出ることが、まずは大切であることを知りました。 高重心は、

          レベルに応じた見え方

          さて、書物は、 読む時期に応じて、感想、引っかかる点など、違ってくる経験をします。より深く読めるといいですが、私の場合、「こんなことに気づいていた(私のこと)の、忘れてた」とか、こういうふうに思えたんだァ、ということもあります。   人は、聞いているようで聞いていない。見ているようで、見えていない。   施術の時も、感じているつもりで、見逃していて、見えているようで、見えていないことが、ある、ということに、ようやく気づく、今日この頃です。   さてさて。

          自分勝手な陳情

          松下幸之助塾主の言葉として、 株主たる国民は、高い政治的見識と良識を伴った「主権者意識」を持つべきであり、自ら主権を放棄して投票を怠ったり、国民全体の代表である政治家に自分勝手な陳情をしたりすべきではない という、文言があるようです。 表現者クライテリオン202411月号から引用 自分勝手な陳情、職域を守るための陳情、国民を意識した陳情、 色々視点があり、決して、自分勝手な陳情ではないとは思うのですが、 誰かが陳情し始めると、私も、私も、とは、なりやすいのが、さが、

          価値を上げる

          さて、ある勉強会を開催したとして、1万円で開催して、高い、と、感じる人がいるかと思えば、1日15万の研修でも、それ以上の価値を感じる方もいます。   そう感じさせる価値を提供できるかどうか。   私は、んな事は、出来ていませんが、それを実践出来ている方もいるわけです。   価値を伝えられる、価値を分かってもらう。   それ相当のものを提供するのはもちろですが、それを提供されているのを観ると、ある意味、唸ります。   その価格、開催人数、前回受けた人との差別化。色んな人に、メ

          力が抜けたのか、抜いたのか、の違い。

          さて、日曜日に、合気道の発表会がありました。白帯の私は、半年間習った、片手交差取り呼吸投げと、片手交差取り四方投げを、発表。無事、終わりました。  全体が終わった中で、館長のお話の中で、力が入りすぎてるよ、という、話がありました。 力が抜けるのと、力を抜くのは違う。 と。 力を抜いたら、それで相手に触れると、相手も私になり、投げようと思ったら、投げられる。 力が抜けてると、そうはならないよ、と。 分かるようで、出来ない、そんな視点ですが、力だと分かりにくいですが、髪の毛だ

          力が抜けたのか、抜いたのか、の違い。

          観察するということ

          さて、スピリチュアル系のレッスンに、見たものをありのままに記載する、というものがあります。 この本を読んだのは、10年以上前のように思いますが、 見たものをできるだけ思い出す、など、当たり前にできることですが、やってみると、意外に覚えていなかったり、書いてみようとすると、よく見てなかったこたが分かります。 さて、それから、何年か経って今。 合気道の考え方で、心が鎮まると、月であれ、なんであれ、ありのままに映し出せる、との事。 頭で色々考えていると、物事がありのままに、