M.M.(まっつん)
令和5年度に授業で配付している通信(通心)です(^^♪週一で発行する予定です。
少し気になったことを自己対話します。
令和4年度に授業で配付している<通心>です。週一で発行予定。
生きている中で、さまざまに感じたことを綴ってみます。
本を読んで、思いついたことを綴ります。
「秘すれば花なり 秘せずば花なるべからず」 これは、世阿弥『風姿花伝』の一節である。どんな道もすべて明らかにされることがよいとは限らない。隠れている部分にこそ趣があって、チャーミングで味わい深いし、魅惑的なのである。 言葉(コトバ)には、それぞれ意味がある。もちろん、君の名前にも。それは漢字のみならず、よみがな一文字一文字に。それだけ想いやら願いが込められているのが、名前。そして、これは人名に限ることではなく、物(モノ)の名前でも同じ。たとえば、ブランド名「niko a
あなたが持つあらゆるモノがここにあるのは、自分で選んで、手に入れたものだと思っている。しかし、自分が選んだというのではなく、モノの方があなたを選んできてご縁が奇跡的に結ばれたのである。つまり、モノが手元にくるのは必然なのである。あなたが選ぼうとしていなくても、モノがあなたを選んでいる。たとえば、本を読みたいと思って探しているとき、本の方から話しかけてくる。「今、私を読むといいと思うよ」みたいに。その本が光って見えるというか、それだけが鮮明に見える。 逆に、モノがなくなるの
図書館リノベーションに合わせて、個人的な思いでポスターを掲示した。ポスター内の「図書室に逃げた。本の中までは、誰も入って来れなかった。」という言葉が気に入っている。高原純一著『ぼくとわたしと本のこと』(センジュ出版)の中に出てくる言葉。このポスターを見るたびに、どういう意味なのか考えてしまう。とりわけ読点の捉え方が、日々の感情で微妙に解釈が変わる。つまり、納得解がなかなか定まらない。そもそも、正解なんてあるわけではないから、解釈は自由でたくさんあっていい。 そもそも本を読
大勢でいるのが楽しいときもあるが、少人数でいる方が気楽だ。なにせ気を遣ったり、顔色を窺ったりすることだけで自己疲弊してしまう。高校生のときは色々な2人組で過ごす方が不思議と多く、その場に安心していられたような気がする。話し下手の私にとっては、話すのは確かに気楽だった。この人生観はドラマ『いちばんすきな花』での田中麗奈が演じる志木美鳥にどこかしら似ている。大勢でいると曖昧だが、2人組でいると相手の中に“自分”をより感じられる。つまるところ、各々の友だちの中に“自分のいる場所”
誰しも間違いや失敗はある。たった一度の間違いを、然も『間違い探し』クイズで見つけたかのように、しかも鬼の首を取ったかのように自己顕示を露にする。そもそも人生なんて失敗だらけなのに…。一度のミスすら許容されないのか。人の不幸は蜜の味とは、なかなか生きにくい世の中だなと思う。とはいえ、その事物を気にしなくていいのかもしれないが、気にせずにいられるほどメンタルは強くない。気にしないでいられるなら、何日も悩んだり、胃に穴が開いたりすることはないだろう。 価値観は人それぞれ異なる。
ドラマ『うちの弁護士は手がかかる』第9話。弁護士の天野杏(平手友梨奈)から「私は、あなたがいなくても大丈夫ですから」と告げられたパラリーガルの蔵前勉(ムロツヨシ)。天野はコミュニケーションが苦手でいつもツンツンしているがゆえに、天野に“必要とされていない”と誤解してしまう蔵前は自棄になる。拘置所で天野にその発言は誤解だと知らされて、蔵前は「遠慮してそんなこと僕に言うなんて先生らしくないじゃないですか。あなたらしくいてください。いつものように思ったことを思ったように、全部言っ
私がテーマとして掲げ、自分に繰り返し問うていたのは“コトバ”である。この通信然り、届けたい相手にどのように言葉を紡げば<想い>が届くのか、そしてその片鱗が伝わるのか。対話型オンライン勉強会に月一回参加し、至極苦手な感想文(1200字)を毎回執筆するにあたり、自分のココロの中にいる小さき私と向き合いながら、自己対話を続けてきた。本当に伝えたいことなのか、心地よく書いているのか、一言一句に感性を研ぎ澄ませるが、語彙が少ない私にとっては四苦八苦の連続だった。 最近読破した本でグ
煌々とした満月の光を、朝の薄暗い光と勘違いし、真夜中に目が覚めてしまう。なんとも…(笑)。満月は好きだが、上弦の月がことのほか好みである。あなたと眺める上弦の月はさぞかし綺麗だろう。 さて、バラエティ番組『ホンマでっか!?TV』にGACKTさんが出演していた。彼の生き様(信念)に共感する部分が多く、一言ひと言に引き込まれる。彼は元々自分が嫌いだったそうだ。しかし、20歳で悩むのを辞めたという。思い立ったらすぐに行動するのを徹底した。確かに、一日1時間悩んでいたら、人生の1
今年になってスラックスが四着ほど、とある縫い目が破けてしまった。なんてことだ!縫えば済む所ではない。運動不足による身体の弛みか。はたまた、気持ちの弛みか。何年も穿いているがゆえに破れるのは仕方がない。さらには、コロナ禍に伴い、スラックスも毎回洗濯していたので、劣化するのは止むを得ない。形あるものは、いつか壊れる。 8年前に惚れ込んで購入した琉球グラス『源河源吉』、そして10年以上前に北海道で購入した北一硝子は健在なのだが、職人の技が煌めくグラスにはつい魅了されてしまう。グ
昨年は雪があまり降らなくて、雪かきをする機会は少なかった。今年は暖冬と予想されているが、果たしてどうなるのやら。アパートに住んでいると、雪が積もれば雪かきを協力し合ってやることがある。大雪と予想される前日は何時に起きればいいのか思案に暮れる。我が家の駐車場が道路側にあるため、他の方のことを慮って早めに雪かきを行って車を出しやすくしておこうかとつい考えてしまう。その結果、朝4時に起きて一人寂しく、雪と格闘する。運動不足にはもってこいだ。面倒くさいと思うのではなく、住民のため、
印刷室の整理をしていたら、生徒の会話が聞こえる。「勉強ができる人が、賢い人ではないよね。」全くその通りだと、私も思う。小学生のとき、何でも知っていて、できてしまう従兄の“賢さ”ぶりに憧れた。勉強をして乗り越えようと思ったが、そんな浅はかな考えは世には通用しない。つまるところ、そういうメンタルでいるようでは、勉強は長続きしない。そもそも学問に勝ち負けや競争はない。学問とは、真理を探究(追究)することであり、それを楽しむことではなかろうか。このことに気づくまでに時間を要した。今
2週間ほど前、朝起きたら、頭がクラクラして、まっすぐ歩けなかった。前の日に韓国焼酎チャミスルをちょっぴり飲んだ(韓国人にようには飲んでいない)だけなのに、二日酔いか。夏バテは知っているが、ニュースで初めて“秋バテ”を知り、さらには掲載されている『ほけんだより』で“冬バテ”なるものを知る。寒暖差などがきっかけで自律神経が乱れ、めまい、頭痛、倦怠感などを引き起こす。人よりも早く、ネックウォーマーや手袋で防寒対策をしていたのに、身体はスピード感のある季節の変わり目についていけなか
猫がお腹を見せるのはどういうときか知っているだろうか。安心している、信頼している、甘えている、注目してほしい、警戒心を解いてほしいという意思表示である。猫にとっては急所であるお腹を見せるのだから最高の安心感といってよかろう。 ヒトには、身体の部位を使った慣用句が非常に多い。たとえば、腹を割る、顔色を窺う、間髪を容れずなどがある。おそらく新しい言葉を作り上げるより、ありふれたものを使った比喩表現の方が親しみやすかったのだろう。中華料理で使われる木耳(きくらげ)が好きだが、発
朝5時に目が覚めて、ドラマ『ばらかもん』(“元気者”という方言)を観る。都会育ちの青年書道家が、「実につまらない字だ」と書道界の重鎮に言われたことがきっかけで、五島列島に渡り一人暮らしを始める。さまざまなトラブルに巻き込まれるが、その度に助けられ、励まされて、成長し、書の新境地を開拓していく。今後、どんな成長を見せるのか楽しみだ。 「この壁を登ってみないとわからない。見ようとしないと見えない。」「人に取られたものを欲しがる必要はなか。諦める必要もなか。譲ってやって、もっと
ドラマ『転職の魔王様』は、仕事やら人生について、哲学的な問いがあって、毎回見入ってしまう。考えさせられるだけでなく、色々な視点で楽しめたドラマ。ついに最終回を見終えた。とりわけ、次の言葉が心に響く。“可能性がゼロではないなら、夢を追い続ければいい”という来栖さんのセリフには共感するし、同じ信念をもつ。それ以上に、“夢を諦めろとは言いません。ただ、夢の形は変わることもある”という言葉に、そのとおりだなと唸り、通信で伝えたい思いに駆られる。 みなさんはこれから来たる将来に向け
コンセントに電源プラグを挿せば、電気が流れる。蛇口を捻れば、水が出る。決まった時刻になれば、電車が発車する。普段生活している上では、こんなことは至って当たり前だと思って、誰も疑うことはしない。しかし、100年前に遡って考えてみたら、どれも当たり前ではない。 もし、災害などが起きて、電気が供給されなければ、オール電化の家では何も稼働しない。そう考えると、電気に依存していれば、それだけ「なくなった」ときのリスクも大きい。そもそも、あることが当然と認識しているからこそ、なくなる