人間なんて物は、「オーガニック」と「オーガズム」の違いもわからないような「ガーリック」野郎の集まりさ。 インフルエンサーを見ろ。手の上を転がる愛玩動物だ。 乳牛を見ろ。搾乳されて喜んでいる。 ガーリックを見ろ。臭ければ臭いほどよく売れる。 『この人を見よ』ただの癖が強いやつやん。
『過程と実在(上)』有機体の哲学 ホワイトヘッド著1929 山本誠作訳1984発行 読んだ。 空海×カントって感じ。 私が「一進数」と誤魔化してきたもの、 空海が「秘密荘厳心」と諦めたもの、 カントの「唯我(究極目的としての他者)」 それ自体-無記の合生 生命の自画像としての阿吽
「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」という「過程と実在」におけるくだりは有名であり、また「もし、プラトンが現代に蘇ったならば、間違いなく有機体の哲学を自身の哲学として語るであろう」という自負めいた言葉も残している。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%
倫理をノーマティヴな相からではなく、あくまでディスクリプティヴな相から定義するとして、そこである諦観的倫理観が成立するとすれば、必ずしもこれがメタな認識に拘泥し続けられるわけではなく、やはりこの諦観もエージェントとして有機体を動かす要因になるだろう。
尊敬している川田薫先生の動画を見ていたら、理科好きの息子が一緒に見始めた。おじいちゃん科学者が「ここにアルコールが検出されることは想定していて」とか「シャーレの中で有機体ができた!」とか、その時の興奮を熱量を持って話しているのが面白かったみたいだ。本当に、この先生面白い。