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『プロセスモデル』の第II章と第I章における「インプライング」の用法史: 古典的プラグマティズムからの系譜

『プロセスモデル』 (Gendlin、1997/2018) においては、基本となる用語「インプライング」が頻繁に使われています。この用語は、彼の以前の公刊論文 (Gendlin, 1973a; 1973b) で初めて使われました。現段階での私の見解では、「インプライング」のさまざまな用法は、以下の歴史的な流れに沿って発展してきたと考えています。まず、1970年代初頭にジェンドリンは『プロセスモデル』第II章に相当する「時間をもたらす、または生成する」インプライングの用法を使い始めました。次に、1980年代後半に彼は『プロセスモデル』第I章に相当する、「水平方向的な」インプライングの用法を使い始めました。最後に、インプライングの他の用法は『プロセスモデル』執筆とともに定式化されました。


インプライングの第II章的用法前史

ジェンドリンの初期の論文「人格変化の理論」 (Gendlin, 1964) では、「空腹」と「食べること」は次のように論じられてはいるものの、「インプライング」という用語はまだ導入されていませんでした。

空腹の感覚は確かに食べることを「意味」しているが、食べることを「含んでいる」わけではない。もっと詳しく言えば、空腹の感じは、食べることを差し控えていることではない。 (Gendlin, 1964, p. 114; cf. ジェンドリン, 1966, p. 95; 1999, p. 182)

そこでまず、古典的プラグマティストであるジョージ・H・ミードによる「空腹」と「食べること」についての議論を確認し、次いでジェンドリンが1973年に「インプライング」という用語をどのように提唱したかを見てみましょう。

牛には空腹があり、食物をもたらす視覚と臭覚がある。このプロセス全体は、単に胃の中にあるのではなく、草を食み、咀嚼するなどのすべての活動の中にある。このプロセスは、そこに存在するいわゆる食物と密接に関係している。 (Mead, 1934, pp. 130-1; cf. ミード, 2018, p. 336; 2021, p. 140)

このように、「空腹」が「食べること」と何らかのかたちで関係し、「食べること」が「食物」と何らかのかたちで関係しています。これらの関係を、他とは異なった「非常に特殊な関係」であるとジェンドリンは主張してミードの議論を引き継ぎます。

例えば、空腹と食べることの間には変化があるが、これは空腹から毒殺されたり、あるいは一時的な痛み、逃走、不安、性交渉にシフトしたりするような、単なる変化ではない。このように、食べることは確かに変化ではあるが、空腹であることと非常に特殊な関係を持っている。 (Gendlin, 1973b, p. 325; cf. ジェンドリン, 1999, p. 92)

そして、「空腹」と「食べること」との間の連続性を「インプライする」という動詞で呼ぶことを彼は提唱します。

身体的に生きるどんな瞬間も、さらに生きることを「インプライする」、あるいはさらに生きることへと向かうのである、しかし、何でも好きなようにできるわけではなく、ただ特定の異なるステップがあるだけなのだ。これらのステップには身体的に感じられた連続性があり、食べることが空腹に続くことであり、息を止めるときに息を吐くことがインプライされること…であるのは、生物学者でなくても感じ取ることができる。 (Gendlin, 1973b, p. 325; cf. ジェンドリン, 1999, p. 92)

続いて、「インプライする」は、空腹と食べることだけでなく、「食べること」と「食物」の間をつなぐ動詞としてもジェンドリンは使い始めます。

身体は、現在行われていない多くの行動だけでなく、これらのインプライングへの生起を可能にする環境をもインプライする。例えば、食べることがインプライされるなら、食べることは食物をインプライする。糞を埋めることがインプライされるなら、埋めることは引っ掻ける地面をインプライする。…身体の「相互作用的な」側面とは、そのインプライされた行動が環境をもインプライするということである。 (Gendlin, 1973a, pp. 372-3)

この辺りの論述は、ほとんど『プロセスモデル』第II章における次の用法を先取りしています。

空腹は栄養摂取をインプライし、もちろん栄養摂取は身体と同一の環境#2をもインプライすると言える。空腹は栄養摂取をインプライし、また栄養摂取は食物をもインプライする。 (Gendlin, 1997/2018, p. 9; cf. ジェンドリン, 2023, p. 13)

さらには、インプライングは機能的に「円環 (cycle)」をなすという第II章の標題に相当する発想も既に論じられています。

生物学において機能システムを考えるとき、例えば「空腹」は栄養摂取行動につながり、おそらく狩猟、追跡、殺傷、引き裂き、咀嚼、排泄、地面の傷や糞の埋設、休息、そしてまた空腹になることにつながることは明らかである。ここで私は「インプライング」という言葉を使いたい。空腹時、身体は追跡、栄養摂取、排便を「インプライ」し、栄養摂取は糞を埋めるために地面を掻くことを「インプライ」する、などと言いたいのである。 (Gendlin, 1973a, pp. 371-2)

ここでは、「追跡」が「栄養摂取」をインプライし、「栄養摂取」が「地面を掻くこと」をインプライするというように、活動どうしをつなぐ動詞として「インプライする」が使われています。この用法もまた、『プロセスモデル』第II章での「環境#2のストリング」 (Gendlin, 1997/2018, p. 9; cf. ジェンドリン, 2023, p. 13) という発想にそのまま継承されているのです。

以上のように、「インプライング」の用語法に関して、’70年代前半のジェンドリンは、のちの『プロセスモデル』第II章に代表されるような「時間をもたらす、もしくは生成する」 (Gendlin, 1997/2018, p. 29; cf. ジェンドリン, 2023, p. 50) 種類の用法からその考察に着手したと言えるでしょう。

「空腹」と「食べること」の関係は、従来の哲学や心理学における用語法にあえて立ち戻ってみれば、「欲求」と「満足」の関係に対応します。例えばデューイは、「欲求とは、身体が不安な状態や不安定な平衡状態にあるような、エネルギーの緊張的な配分の状態を意味」し、「満足とは、有機体の活動的な要求との相互作用による環境の変化に起因する、この平衡パターンの回復を意味する」 (Dewey, 1925/1929, p. 253 [LW 1, 194]; cf. デューイ, 2021, p. 258) と論じています。ジェンドリンは、欲求と満足という静的な用法から、「インプライング」の「時間を生成する」用法を導入することによってよって動的に考察することで、従来の哲学に新たな1ページを加えたと言えるでしょう。

試しに、食べることが空腹を満足させる、空腹がインプライするものを食べることが実行する、食べることが空腹を何らかの生起へともたらす、と言ってみてもよい。空腹とは、食べることをインプライすることである (食物に対する「欲求」と私たちは言い、このインプライングから名詞をつくるのである)。そして食べることは満足 (別の名詞) である。名詞はプロセスから分離したビットをつくるのである。 (Gendlin, 1997/2018, pp. 10-1; cf. ジェンドリン, 2023, p. 15)


インプライングの第I章的用法前史

デューイが相互作用という場合、皮膚の内側の有機体と皮膚の外側の環境が前もって独立自存してあり、その後で初めて両者が双方向で作用し合うという伝統的な考え方は拒絶されます。

肝に銘じておかなければならないのは、経験的な事柄としての生きるということは、生物の皮膚表面の下で進行するようなことではないということである。生きている身体内にあるものと、空間的・時間的に外部にあるもの、そしてはるか外部にある高次の有機体とのつながり、相互作用を伴う包括的な事柄であるということを常に念頭に置いておかなければならない。 (Dewey, 1925/1929, p. 282 [LW 1, 215]; cf. デューイ, 2021, p. 286)

こうしたデューイの考察は、 ‘70年代後半以降ジェンドリンが引き継ぎ始めます。

身体は…他者とともに進行中の大きなシステムである。皮膚の包みの中だけのものではない。 (Gendlin, 1978, p. 343).

…私たちが「身体」と呼ぶものは、もっと大きなシステムである。「身体」とは、皮膚の包みの内側にあるものだけではない。 (Gendlin, 1997/2018, p. 27; cf. ジェンドリン, 2023, p. 47).

そして、相互作用する両者は一つに統合されているというデューイの発想が’80年代前半のジェンドリンの著作に現われ始めます。

生命のプロセスは、有機体によってとまさに同様に環境によっても演じられる。なぜなら有機体と環境は統合されたものだからである。 (Dewey, 1938, p. 25 [LW 12, 32]; cf. デューイ, 1968, p. 415)

身体は環境であり、生きているプロセスでもある。すべての細胞はその両方であり、また細胞のすべての部分でもある。身体と環境は一つのシステムであり、一つのものであり、一つの出来事であり、一つのプロセスである。 (Gendlin, 1984, p. 99; cf. ジェンドリン, 1999, p. 52; 2015, p. 20)

身体と環境はひとつの出来事であり、一つのプロセスである。 (Gendlin, 1997/2018, p. 4; cf. ジェンドリン, 2023, p. 2)

有機体の生命が何であろうと何でなかろうと、それは環境を伴う活動のプロセスである。それは有機体の空間的限界を超えたトランザクション [取引] である。有機体は環境の中で生きているのではなく、環境によって生きているのである。 (Dewey, 1938, p. 25 [LW 12, 32]; cf. デューイ, 1968, p. 415)

「内側」や「~の中に」が何を意味するかは、単純な問題ではない。皮膚の包みの単純な「内側」は、線や平面が「外側」と「内側」に分かれる単なる位置的空間を想定している。…身体は環境の中にあるが、環境もまた身体の中にあり、身体である。 (Gendlin, 1997/2018, p. 7; cf. ジェンドリン, 2023, p. 7)

では、一つに統合されている様子をより具体的に論じましょう。デューイは、まず「歩く」という生命活動があり、それが二次的に歩かれる「地面」と歩く「脚」とに分けられると考えました。

生命とは、有機体と環境が一体となった機能、すなわち包括的な活動をさす。反省的に分析することによって初めて、生命は外的条件 — 呼吸される空気、摂取される食物、歩かれる地面 — と内的構造 — 呼吸する肺、消化する胃、歩く脚 — とに分解される。 (Dewey, 1925/1929, p. 9 [LW 1, 19]; cf. デューイ, 2021, p. 14)

両者が分離されない歩行という例はジェンドリンが’80年代後半になると考察し始めます。

陸上動物であれば、歩かれる地面は足の作り方の一部であり、足だけではない。太ももまでの筋肉、姿勢、そして有機体の全体のバランスには、歩くときに押し付ける地面がすでに含まれている。内臓や筋肉の感覚や内部的な質は、あなたが固い大地の上をどのように歩くかを理解している。あなたの歩行パターンは、身体全体の感じの中にインプライされている。 (Gendlin, 1986, p. 143; ジェンドリン, 1988, pp. 169–70)

上記の引用における「インプライング」は、’70年代における「時間を生成する」用法とは異なるものです。’80年代から使われ始めたこの用法が、のちの『プロセスモデル』第I章におけるインプライングの「水平方向的な (horizontal)」 (Gendlin, 1997/2018, p. 29; cf. ジェンドリン, 2023, p. 49) 使い方を準備するのです。

環境#2は分離可能な環境ではなく、生きているプロセスに参加している環境である。環境#2は地面ではなく、歩行に参加している地面であり、その抵抗である。行動はこの地面が参加していることから切り離すことはできない。 (Gendlin, 1997/2018, p. 4; cf. ジェンドリン, 2023, p. 3)

身体と環境#2は互いにインプライする...。両者は似たものどうしではない。身体と環境の間の相互インプライングは「非アイコン的」、つまり非表象的である。足や脚の筋肉や骨は地面には似ていないが、非常に関係が深い。足や脚、そしてそれらの筋肉から地面の硬さを推し量ることができる。まだはっきりしない言い方だが、「推し量る」とは、足が地面の硬さをインプライすることを意味する。他の種類の地形や生息地は、異なる身体の部位をインプライする。環境#2では身体と環境がひとつの出来事であるため、それぞれが他方をインプライする。それらはひとつの相互作用プロセス、ひとつの組織の一部であるという点で、お互いをインプライする。 (Gendlin, 1997/2018, p. 5; cf. ジェンドリン, 2023, p. 4)

身体と環境#2は一つの出来事であり、それぞれが出来事全体をインプライする。 (Gendlin, 1997/2018, p. 29; cf. ジェンドリン, 2023, p. 49)


インプライングのその他の用法

以上のように、ジェンドリンは ’70年代から ’80年代にかけて、有機体と環境との相互作用に関するミードやデューイの視点を継承・修正しながら、インプライングという考え方を発展させたのだと私は考えています。しかし、「(d-1) 身体のシンボリックな機能」(Gendlin, 1997/2018, p.29; ジェンドリン, 2023, pp. 49–50)の節で整理されているように、『プロセスモデル』におけるインプライングの用法はII章とI章の用法に限定されるものではありません。とりわけ第IV章Aで初めて言及された用法は『プロセスモデル』以前の著作では詳しく論じられていませんでした。そうしたその他の用法は、『プロセスモデル』の執筆によってようやく定式化されたのだと私は考えています。


文献

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