田中秀男 (Hideo TANAKA)

専門はフォーカシングとジェンドリンの哲学。国際フォーカシング研究所認定フォーカシング・…

田中秀男 (Hideo TANAKA)

専門はフォーカシングとジェンドリンの哲学。国際フォーカシング研究所認定フォーカシング・トレーナー。Ph.D. https://focusing.org/civicrm/profile/view?reset=1&id=239&gid=14

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最近の記事

カルロス・クライバーのライブ演奏がEテレで

そっかー、Eテレでついに放送されるのかあ。 演目はベートーヴェンの交響曲第4番と第7番。高校時代に、友達の家にあったお父さん所蔵のレーザーディスクで何度も見ました。 孤高のカリスマ指揮者カルロス・クライバー 伝説のステージが4Kでよみがえる(音楽) | WEBザテレビジョン 当時はまだロイヤル・コンセルトヘボウ管 (RCO) になる前のアムステルダム・コンセルトヘボウ管 (ACO) によるライブ演奏でした。 クライバーは、両曲を公式なレコードとしては別のオケで振ってい

    • 「析出(せきしゅつ、英: deposition)とは、固体以外の状態にある物質が固体として現れる現象」(Wiki)。いいなあ。この用語、フォーカシングの比喩的説明として使えないかなあ。

      • Official YouTube Video: Demonstration and Explanation of TAE by Gendlin Himself

        Exactly 20 years ago, from October 28 to November 1, 2004, a Thinking at the Edge (TAE) workshop was held at the Garrison Institute in upstate New York. I attended the workshop just as the maple leaves were changing color. The workshop fac

        • Aristotle’s example of the acorn and the oak from Gendlin’s point of view

          Gendlin (1991) discusses that there are aspects of Aristotle’s example of the acorn and the oak with which he can and cannot agree: I can understand what Gendlin is trying to say through this discussion. In keeping with Gendlin's terminolo

        カルロス・クライバーのライブ演奏がEテレで

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        • Philosophical background
          24本
        • Written in English
          67本
        • 『プロセスモデル』に先立つ哲学者たち
          13本
        • ジェンドリンの哲学
          68本
        • フォーカシング・ワークショップで使う話
          13本
        • 自己紹介
          8本

        記事

          ブルックナー8番の初稿、テレビでやってるので久々に聴いた。ノヴァーク版の第1稿のことだろうと思う。そうそう、第1楽章後半に来る「最後の審判」みたいな厳粛な盛り上がりの時、この稿ではまだティンパニが入ってなかったのを思い出した。

          ブルックナー8番の初稿、テレビでやってるので久々に聴いた。ノヴァーク版の第1稿のことだろうと思う。そうそう、第1楽章後半に来る「最後の審判」みたいな厳粛な盛り上がりの時、この稿ではまだティンパニが入ってなかったのを思い出した。

          Some dissimilarities between Gendlin’s doctoral dissertation and “Experiencing and the Creation of Meaning”

          Gendlin’s doctoral dissertation, “The Function of Experiencing in Symbolization” (Gendlin, 1958), and its official publication, “Experiencing and the Creation of Meaning (ECM)” (Gendlin, 1962/1997), are almost identical in that they both co

          Some dissimilarities between Gendlin’s doctoral dissertation and “Experiencing and the Creation of Meaning”

          岩波の「新版 アリストテレス全集」シリーズって、『魂について』 (2014年) とか、『分析論後書』 (2014年) とか、『自然学』 (2017年) とかの主要著作は既に刊行されているけど、肝心要の『形而上学』って未だに刊行されていないですよね? 待つしかないかあ。

          岩波の「新版 アリストテレス全集」シリーズって、『魂について』 (2014年) とか、『分析論後書』 (2014年) とか、『自然学』 (2017年) とかの主要著作は既に刊行されているけど、肝心要の『形而上学』って未だに刊行されていないですよね? 待つしかないかあ。

          恣意的でもなければ論理的でもない

          『プロセスモデル』におけるジェンドリンの基本的発想は次の通りです。 どちらが欠けても成り立たない両側面を図解しようと思います。 プロセスは恣意性とは異なる「恣意性とは異なる」ということで言いたいのは、何でもあり (Anything goes) ではないということです。 プロセスは論理とは異なる「論理とは異なる」ということで言いたいのは、ユークリッド幾何学の演繹のように他の仕方ではありようがなく一通りに進むのではないということです。 インプライングとは常にオープンなもの

          恣意的でもなければ論理的でもない

          Neither arbitrary nor logical

          Gendlin’s basic idea in “A Process Model” is as follows: I will attempt to illustrate both aspects, neither of which should be lacking. A process differs from arbitrariness.What he means by “it differs both from arbitrariness” is that it

          Neither arbitrary nor logical

          Rugby analogy for explaining Focusing practice

          My doctoral advisor, Prof. Akira Ikemi, introduced my rugby analogy for explaining Focusing practice in his lecture video. He introduced the analogy in the following context: His lecture video is as follows: [The Leuven Lecture] Akira Ik

          Rugby analogy for explaining Focusing practice

          2年後のジェンドリン生誕100年、フォーカシング国際会議は生誕の地ウィーンにて開催が決定! めっちゃ行きたいっす。 https://focusing.org/event/international-focusing-conference-vienna-2026

          2年後のジェンドリン生誕100年、フォーカシング国際会議は生誕の地ウィーンにて開催が決定! めっちゃ行きたいっす。 https://focusing.org/event/international-focusing-conference-vienna-2026

          『プロセスモデル』の第II章と第I章における「インプライング」の用法史: 古典的プラグマティズムからの系譜

          『プロセスモデル』 (Gendlin、1997/2018) においては、基本となる用語「インプライング」が頻繁に使われています。この用語は、彼の以前の公刊論文 (Gendlin, 1973a; 1973b) で初めて使われました。現段階での私の見解では、「インプライング」のさまざまな用法は、以下の歴史的な流れに沿って発展してきたと考えています。まず、1970年代初頭にジェンドリンは『プロセスモデル』第II章に相当する「時間をもたらす、または生成する」インプライングの用法を使い

          『プロセスモデル』の第II章と第I章における「インプライング」の用法史: 古典的プラグマティズムからの系譜

          「ユニットモデル」や「内容モデル (パラダイム) 」に対するジェンドリンの立場: G・H・ミードの時間論から見た遡及的時間

          生命プロセスは事前に予測することができないというジェンドリンの発想はもうひとつの重要な発想につながります。それは、現在の視点から過去は「事後的に」見直されるという発想です。しかし、私たちは、後から発見されるはずの要素が、以前からそのままのかたちで存在していたかのような錯覚に陥りがちです。この錯覚を表したのが、彼の用語である 「単位モデル  (ユニットモデル) 」や 「内容パラダイム (内容モデル) 」です。 非ラプラス的連続以前のブログ記事 (田中, 2024, April

          「ユニットモデル」や「内容モデル (パラダイム) 」に対するジェンドリンの立場: G・H・ミードの時間論から見た遡及的時間

          ジェンドリンの「インタラクションファースト (相互作用が最初にある)」とデューイの「トランザクション (取引作用)」

          ジェンドリンは多くの著作で「インタラクション (相互作用)」という用語を使っていますが、『プロセスモデル』 (Gendlin, 1997/2018) では「インタラクションファースト (相互作用が最初にある) 」という用語を使っています。なぜ 「相互作用 (インタラクション) 」だけでは彼の言いたいことが十分に伝わらず、「最初にある (ファースト)」を加える必要があると彼が感じたのか、その歴史的背景を概説しました。 古典的プラグマティズムにおける「相互作用」ジェンドリンは『

          ジェンドリンの「インタラクションファースト (相互作用が最初にある)」とデューイの「トランザクション (取引作用)」

          絵に絵として反応する: ジェンドリンとランガー

          私たち人間は、動物とは異なり、絵の中の猫を撫でようとは思いません。ジェンドリンが『プロセスモデル』 (Gendlin, 1997/2018) で論じているように、絵に絵として反応することは、あたかも猫が実在するかのように行動することとは異なるのです。状況の中で行動することなしに状況を処理することは、物事をシンボルとしてとらえる能力、すなわち、「~について (アバウトネス) 」と呼ばれる人間の能力とどのように関係するのでしょうか。この関係を彼の他の哲学論文「パターンを超えて思考

          絵に絵として反応する: ジェンドリンとランガー

          そっか。今日でブルックナー生誕200年だったか。同い年のスメタナは3月にもう200年迎えてたか。

          そっか。今日でブルックナー生誕200年だったか。同い年のスメタナは3月にもう200年迎えてたか。