倫理をノーマティヴな相からではなく、あくまでディスクリプティヴな相から定義するとして、そこである諦観的倫理観が成立するとすれば、必ずしもこれがメタな認識に拘泥し続けられるわけではなく、やはりこの諦観もエージェントとして有機体を動かす要因になるだろう。

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