寺山修司が、公衆便所の壁に書かれた、ルナアルの「幸福とは幸福を探すことである」を読んでしみじみと感じ入ったように、些細な切っ掛けで人は「変われる」のだろうか? 自分のような「鬱」を抱えた人間には、そういう光が差し込んで来ることは無いのか…、そう思うと哀しくなる事がある。
今年は、本当に価値観が変わった。如何にお金が恐ろしく、お金は愚か者にとっては無力で、結局は人間的な器と性格により、お金は光にも闇にもなることがわかった。 皆姿形が見えない「本来の人間的文化的充足」を求めて、如何にこれまで迷走してきたか。答え合わせの一年だった。静かな価値観の革命。
窓を開けると雨の香りがした☂️感情に振りまわされている自分に気づけるようになろう🌷一時的な感情で突っ走らず、冷静に、落ち着いて、深呼吸しながら、ゆっくりした感覚を味わう🍵大丈夫だよ👍YouTubeでアランの幸福論を聞いて、最近の体や心の状態について色々腑に落ちた✨感謝😊
「幸福に必要なことは、心身が今に集中することである」 (ハーバード大学の研究) 不安や後悔が頭にあると幸福感が低い 目の前の時間に意識を向けて 今を味わっている時は幸せな時 前から来たかった友ヶ島に来た ラピュタの世界 非日常の風景 GWは今に集中する時間を沢山待ちたい
何度考えても、結局、 「幸福」=自分の才能を活かすこと 「愛」=相手を幸福にすること 「生きる意味」=世界の善を加速させること といったニュアンスに着地する。 だから、自分らしさを知り、人を喜ばせ、世界を面白がって生きるのが良いのだろう。
嫌な奴がいる! それだけで生きる価値があるのだろう。 その敵対心こそがあなたのモチベーションであり、やり甲斐であり、伸びしろなのだから #幸福だねえ
整理のために。まず、人は生存したい。生存するためには、基本的に、必要とされなくてはならない。だからそれに足る何かをする。それが根源的な欲求と一致していれば幸福なことである。ただしそれでその人が幸福であることは保証されない。一致したか否かという白黒で決まるものではない。