これまでの人生を振り返り、 「何も成し遂げていないではないのか」と思っていたわけである。 いろいろあれこれと自分なりには、 挑んできたわけである。 しかし取り組んできたことが、 まったくカタチになっていない。 そのことをとても残念に思って いたのである。 しかし、今、あらためて気づいた ことは、自分が目指してきたのは、 泰然自若の心だったのである。 泰然自若(たいぜんじじゃく)とは、落ち着いていて物事に動じない様子、平常心を保ちながら周囲の変化や困難に揺さぶられないさ
デンゼル・ワシントンは、俳優としての道を歩み始めた時、ひとつのこだわりを持っていました。 「黒人のイメージを良くする映画だけを引き受ける」 そのこだわりでした。 しかし、そのためにある映画の出演を断ったとき、数ヶ月、仕事が、 来なくなりました。 悩んだ彼は、先輩の黒人映画俳優、シドニー ポアチエに相談しました。 ポアチエは、こう答えたそうです。 「それで良い。初期の作品は、その後の進路を決めてしまうのだから」 田坂広志 「自分であり続けるために」より つまると
「マネジメント」の発明者である ドラッカーは、「企業は営利組織だと考える経済学者や経営者がいること」に呆れていたのである。 そして、「自分の企業が何のために存在するか。もう一度、存在理由を考えてみることだ。何のためにやっているんだろう」とドラッカーは、 言っている。 また、「自分の企業の使命も知らぬ経営者がいることは馬鹿げたことだ」と。あるいは、「存在理由のない組織」は、存在しようがないとも 言っているのである。 では、ひるがえって、 人間ひとりひとりを考えてみる。
「無駄死に」とは、役に立たない死に方、無益の死を意味する。 自らの死に対する恐怖を詳しく調べてみると、そのほとんどは、無駄死にすることに対する恐怖なのだと理解できたのである。 ここでいう自分にとっての 「無駄死に」とは、自分のことを 知らずに死ぬことである。 「自分とは何者か」 「自分は何のために生まれたのか」 「自分の人生のテーマは何か」 「自分の使命、役割とは何か」 これをわからずに死ぬことを無駄死にと考えていたのである。 それゆえ、いっも焦燥感に駆られていたの
夢や目標をもち、その実現のために、努力を重ねることは、大事なことで ある。 たとえ、夢実現が叶わなくとも、 とても大事なことである。 なぜならば、夢に挑む、そのプロセスで、人間的成長を遂げることこそが、 この挑戦の主たる目的だからである。 もし人間的成長を遂げているならば、 挑戦の目的は達成されているということなのである。 では、ここで、この人間的な成長と いう目に見えない成長をはかる基準が必要となるわけである。 人間的成長を遂げるとは、 いったいどういうことなのか
「たとえ明日、世界が終わるとしても今日私はリンゴの木を植える」 ~マルティン-ルター~ 明日世界が終わることは、とてもまずいことだとずっと思っていたわけである。 なぜならば、今人生が終わったら、とんでもない悔いが残ると思っていたからである。 どのようなことに悔いが残るかといえば、それは、自分の「使命」や、 「生まれてきた理由」、「人生の 目的」を、何ら発見できずに、人生を終えることは、自分の命を無駄にしたように思っ
本当のところは、時間をかけずに、 物事を成就したかったのである。 できるだけ、効率的に、楽に願いを 叶えたかったのである。 しかし、時間をかけずに、楽にかなったモノやコトには、それほど価値を 見いだすことができなかったので ある。 そのかわり、時間をかけても、 エネルギーを注いでも、なかなか 成就しない。 成就するどころが、悪化して いるように見える。 そのようなことの中に、大きな価値を見いだし、ますますのめり込んでいったのである。 それが、家族のつながりであり、
レ・ミゼラブルは、1斤のパンを盗んで、窃盗と脱獄未遂の罪によって 19年間の監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャンが、ミリエル司教の無償の愛にふれたことをきっかけに改心して「正しき人」になるために生涯をささげようとする物語である。 ジャン・バルジャンは、少女コゼットを引き取ることを決めた、その時から、これまで得た地位や名声、成功を捨てることとなるのである。 彼は、コゼットとともに、「愛に生きる」と決めたからである。 マドレーヌ市長という名の偽りの人生ではなく、徒
「人は誰も平等にたったひとつの命をもらってこの世に生まれてくる。しかし、生まれたあとの人生は、決して平等とは言えない。自由を奪われ、貧しさや飢えに苦しむ人が多くいて、その人たちの命が、悲しいほど軽く扱われていている。けれど、そんな世の中を変える方法は、とても簡単だということだ。ひとりひとりが、まず自分自身を大切にして、ほかの人のことも、自分と同じように大切にする。これができれば、いつかきっと誰もが、自分らしく、力いっぱい生きることができる世界になる。人は変わることができる。人
職業に上下もなければ貴賤もない。 世のため人のために役立つことなら、何をしようと自由である。 しかし、どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。それから十年本気でやる。 すると四十までに頭をあげるものだが、それでいい気にならずにまた十年頑張る。すると、五十までには群を抜く。しかし五十の声をきいた時には、大抵のものが息を抜くが、それがいけない。「これからが仕上げだ」と、新しい気持ちでまた十年頑張る。すると六十ともなれば、もう相当に
Now and here. 「いまここ」を生きる。 これが、たいへん難しいわけで ある。 未来のことを思い煩い、 いまここに集中できない。 そのような状態に陥るのである。 これは、未来でなく、自らの 過去に課題が残っていることの 証である。 「あのことさえなければ」 「もうあのようなことは、 繰り返してはならない」 過去に悔やんでも悔やみきれない 悔恨の念が、残っているから、 未来を恐れてしまうのである。 だから、自らの過去を清算しなければならないのである。
この感情は、いったいどこから 湧いてくるのか。 このようなことを考えたくなる 何とも言えない、気持ちの悪い 感情が湧いてくることがある。 自分の中に、このような憎悪に 満ちた、狂気をはらんだ感情がある ことに驚くわけである。 このような感情が湧いてきたときには、心の穏やかさは、 一瞬でなくなるのである。 恐怖の念が、心を支配するのである。 だから、このような気持ちになった時は、感情の源を探るのである。 すると、感情の源は、両親や兄弟姉妹との魂のルーツにあることがわ
みんな集ってほん気できけよ まづ第一に毎朝起きたら あの高い天を見たまへ お天気なら太陽 雨なら雲のゐる処だ あそこがみんなの命のもとだ いつでもみんなを見てゐてくれる お先祖さまだ・・・・・・ えらい人や名高い人にならうとは決してするな 持って生まれたものを深くさぐつて強く引き出す人になるんだ 天からうけたものを天にむくいる人になるんだ それが自然と此の世の役に立つ ~高村光太郎「少年に与ふ」より~ 大事なことは、「もって生まれたものを探ること」であり、「天から受けたも
誰しも、人生を貫くキーワードが ある。 「世界を舞台とする」 「誰もやらないことをやる」 「人の心に灯をともす」 自らの人生を貫くキーワードをたどると、この三つの言葉に至るのである。 こういった仕事、事業、活動を やりたかったのである。 それゆえ、このようなことに挑んで いる人に興味が湧いたのである。 このようなことを成し遂げた人を みると、心熱くなったのである。 そして、仕事や事業、活動の目的は、「世界平和の礎」となることでならねばならなく、かつ「日本人の目覚め
これまで30年以上にわたり、教育を 生業として、生きてきたのである。 教育の何が好きなのかを考えてみると 「他人の心に灯をともすこと」が、 好きだったわけである。 「心に灯をともっている」とは、 「目標や目的に向かって、困難を恐れることなく、勇んで前進している」という状態のことである。 自らの教育実践を通して、誰かの心に灯をともすことができた時、その瞬間が、至福の喜びだったわけである。 この「誰かの心に灯をともす」ために、一番大事なことは、「自分の心に灯がともっている
内観の目的は、どんな逆境にあっても、感謝報恩の気持ちで、日暮しできる。そういう心に大転換することです。いかなる境遇にさいなまれても、「ありがたいなあ」「幸せやなあ」と受け取れる心境になる方法が内観です。他の人から見て、「あの人は、かわいそうやなあ。気の毒な境遇の人やなあ」という立場であっても、喜んで暮らせる、そういう精神状態に転換すること。どんな地位、境遇、立場、状況にあろうとも、「ありがたいなあ、わしみたいな悪い奴が、今日も元気で達者に、こうして暮らさせてもろうて、幸せやな