幸福とは何か
幸福とは何か。
それはいつの時代にも語られてなお、
来る日も、未だに、これからも、
永遠に人を悩ますものでしょう。
幸福であるか。
それに対して頷くことのできる人は、
そう多くないことのように思えます。
かく言う私も、
決定的な不満があるわけではないが、
しかし素直に首を縦に振ることができません。
だから答えは、幸福ではない。
しかし幸福について、
私は何も知らないわけではないのです。
正確には、
私は幸福であった時がある。
今がそうでないのは、
かつてそうであったことを知っているから。
厳密に言うとするのなら、
私の答えはそうなってくるのでしょう。
ではそれは一体いつの事であったか。
決して最近のことではない、
遠い昔の事であったような気がします。
それは幸福という、
その言葉さえ知らなかった幼少期の頃でしょう。
私という人間の思う幸福の在処はきっと、
意識も芽生えない程の少年時代にあると思うのです。
何も考えることなく、
ただ辺りを駆け回り、
将来のことなどつゆ知らず、
腹が減っては家に帰り、
空腹を満たして床に就く。
私の言う幸福とは、
不安や憂鬱のそのどれもから、
遠いところにあるものなのです。
しかしそれを幸福であるとするには、
幾分か納得のいかないものなのです。
それを幸福としてしまえば、
それは今後永らく手に入ることのない、
ただの幻想に成り下がってしまうのです。
私の言った幸福とは結局のところ、
幼少期の思い出の美化でしかなく、
それを絶対的な幸福としてしまうのならば、
手に入ることの無いものになり、
過去の幻影に呪われることになるのです。
ですから、そのことは、
胸の隅に追いやって、
私はまた新たに幸福とは何かと、
日々追い求めていく事になるのでしょう。
幸福とは何か。
その答えは結局見つからないままで、
しかしそれが何かと、
もがくようにして考え抜くことこそ、
人が生きる意味であると考えるのです。