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幸福とは?

 幸福とは生きる上においてかかせない要素でしょう。
 誰も不幸に生きたいとは思っていない方が圧倒的多数だと思います。

 しかし、幸福において人類史でまともな答えを出した例は私の知る限りではほとんど聞いたことがありません。
 なぜなら幸福とは相対的なものでその時時の状況によって変化してしまうものだからです。

 例えば1万年前の森の中で生活するのなら今日、ご飯にありつけて生きられるだけでもこの上ない幸福だったことでしょう。
 スマホの友達が、とか、学校がとか概念すらもありません。

 だから幸福とはその時代時代で変わってしまうものです。
 しかし、変わったからといって答えがないわけではありません。

 料理でもまずは素材を知らないと本当の中身は知り得ないのと同じです。
 幸福もまずはベース、基礎を知りましょう。
 他人の差し出す幸福という料理に一体どんな素材が使われているのか、知りもせずに何でも食べるということはとても危険ですからね。

 では、果たして幸福とはなんなのでしょうか。
 その基礎となる部分を確認してみましょう。


・不幸ではないこと


 2500年前に存在したお釈迦様は幸福の定義を不幸ではないことと説明しました。
 それは移り変わる世に即した幸福を定義するシンプルで完全な回答に思います。
 すべての時代時代における最適な回答でしょう。

 不幸でも幸福でもない。
 そんな状態を説明する単語がないのですから不幸ではないことはそのまま幸福なのです。
 ただし、その幸福に刺激というスパイスのようなものを求めたりする人間の悪癖がどうしても先立ち今日の幸福を曇らせているのは確かでしょう。

 ですから不幸とは何かと考えてみるのが幸福を知る近道だと考えました。

・他の幸せを願えないこと


 他人の不幸ならばそれを願う人はいつもいます。
 他人の不幸は蜜の味という言葉まで存在するくらいです。

 他人の不幸話をしているとなんだか気持ちがいいから人の噂話が好きな人も多い。
 ゴシップ週刊誌も他人の幸福よりも不幸を取り上げることの方に熱を入れています。

 そして人は自分より不幸な人がいることに安心して幸福を相対的に生み出すのです。
 幸福と不幸は対比で成り立っていますから自分よりも他が不幸なら自分は幸福だと思えるのです。

 そしてそれは文字通り暗い生き方でしょう。
 なぜならその人より幸福そうな人が現れるとたちまち嫉妬してショックを受けてしまうのですから。
 そうして他の幸せなど願えないまま自滅していくのです。

 ここで問題なのは自分だけが幸せであればそれで満足できると考えていることです。
 生命が他を助けることや、心配するということで成り立つ幸福には目もくれていない。

 だから日々生きることがますます辛く、意味の無いものに感じられる。
 なぜならどれだけ努力して幸せになったつもりでもそれより幸福そうにしている人はどこにでもいるのですから。
 そうしたらまた自分より不幸な人を探すか、より幸福になるために何か努力をするしかなくなるのです。

 結局そんな堂々巡りをヘトヘトになるまでやるはめになり、どうやって他を幸福にするかとは考えられないのです。

 だから幸せに生きようと思えば、他の幸せを願う(他が不幸ではないように心配する)力を身につけることは必要最低条件なのです。

 それは他の幸せを願うことで自分が他に献身的になるとか、損をしてでも相手に尽くすという意味ではなく自分の心を暗い気持ちから守るために必要なのです。

 仏説では友達がいることが幸せだと言われていますが、現代では友達は得ようと思って得られるものでもなろうと思ってなれるものでもありません。

 むしろ、今の人たちは他から奪おうと考えすぎです。

 ですから自分が心配する力を身につければあなたはすべての生命に対して友達になるのです。

 別に相手に友達になって貰わなくてもあなたが友達というスタンス(姿勢)をとれば解決する問題ですからこのように話しました。

 
・満足すること


 日々に満足しないことこそ不幸の象徴と言えるのではないでしょうか。
 ないないと言う人生は傍から見てどれだけ豊かに見えていても本人にとっては何も満足できない不幸です。

 例えばもったいないと言って何も捨てずにいると心は何か満たされない気持ちになります。

 そうするとあれもない、これもないと心はどんどん落ち込んでいきます。

 あるいは、これが良かったから次はもっと欲しいとか他のが欲しいとか「もっと」という気持ちが募るといつも満足していないことに気がつかないものでしょう。

 それは不幸な状態だと思うのです。

 私たちは常に外界の刺激によって判断していますから刺激がこれで十分だ、もういらないということにはならないのです。
 なぜならその刺激という感覚は1秒よりも短い時間で変化し、やがて時間と共に消滅するものだからです。
 満足という感覚も日々変化していくのです。

 だから適度なところで満足できるということが幸福で不幸にならない秘訣なのです。
 
 もし抗い難い欲求があって満足できないとするならばそこには大きな妄想の力が働いています。

・苦しみがないこと


 闘病生活だとか、怪我を負っているということだけが苦しみではありません。
 心にもまた苦しみは多くあります。
 もちろん苦しみは不幸でしょう。

 もしそれらがないとすればその人は幸福の一端をまさに持っているのです。
 ですから苦しみがないことも幸福です。

 肉体の苦しみはやがて壊れる肉体ですから一定以上はどうにもならなくとも心の苦しみは手段があることでしょう。

 また、そうして健全な肉体であっても心に怒りや嘆き、悲しみ、恐れ、不安、絶望といったものがあるならばそれも苦しみであり不幸でしょう。

 現代の人はこれら心の苦しみが多くあるように思います。

・罪を犯さないこと

 最近では闇バイトといった犯罪を行って金銭を稼ぐというものが取り沙汰されていますが、そんなものが人の幸福ではないでしょう。
 そのような罪を犯せばその人に普通の生活はなくなってしまいます。
 それは不幸そのものでしょう。

 


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