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オフィスはキャンピングカー。旅するように仕事する社長が、日本の大学を飛び出して、バブソンで学び、決意したこと。挑戦者 Vol.13
自己紹介をお願いします 成瀬勇輝です。現在ON THE TRIPという会社を経営しています。日本中のお寺や神社、美術館、街全体のオーディオガイドを作ったり、観光施設のブランディングを手がけたり、リニューアルに関わったりしています。オーディオガイドは多言語で手がけていますので、現在の訪日観光客の増加に伴って需要が伸びています。 私たちのガイドは、まるで映画を見るような体験を提供できるように、クリエイティブの質にこだわっています。例えば、小豆島にある妖怪美術館。この美術館を、
海外経験の無い日本人が、海外MBAで挑戦と挫折を経験。遂にアメリカ西海岸挑戦の大きな切符を手にいれる。日本人MBA生のアメリカ奮闘記 卒業後編 Vol.1
本連載記事「日本人MBA生のアメリカ留学奮闘記」は、アントレプレナーシップ(起業家教育)の分野で世界No.1のバブソン大学にて、MBA生となった及川さんに密着し、日々の発見や及川さんの成長を追い続けるドキュメンタリーとなっております。 MBA在学中のバックナンバーはこちらをご覧ください! 第1弾:TOEIC250点!? 日本人MBA生のアメリカ留学奮闘記 留学1か月目 第2弾:「英語上手」ではなく「コミュニケーション上手」を目指せ! 日本人MBA生のアメリカ留学奮闘記 留
日本人MBA生のアメリカ留学奮闘記 21ヶ月(卒業) 卒業間近で遂に今までの失敗と経験が形に!!海外経験の無い日本人がアメリカで選ばれる存在に。
本連載記事「日本人MBA生のアメリカ留学奮闘記」は、アントレプレナーシップ(起業家教育)の分野で世界No.1のバブソン大学にて、MBA生となった及川さんに密着し、日々の発見や及川さんの成長を追い続けるドキュメンタリーとなっております。 今回のインタビューは、本シリーズ第14弾となっております。バックナンバーはこちらをご覧ください! 第1弾:TOEIC250点!? 日本人MBA生のアメリカ留学奮闘記 留学1か月目 第2弾:「英語上手」ではなく「コミュニケーション上手」を目指
MBA生に人気のサーチファンド。大隈重信の子孫はどのように考え行動してBCGを経てサーチファンドを起業したのか。起業家教育No.1スクール卒業生の挑戦 Vol.6
自己紹介をお願いします 安宅祐樹と申します。母方の先祖が大隈重信で、自分も彼のように何か社会に自分の足跡を残したいという気持ちを子供のときから持っていました。色々な職業選択肢がある中で、高校生のときに、商学部に進学した高校の先輩がいて夏休みに地元に帰ってきてお会いする機会があった時、「100円のこの水を1万円で売る方法って分かる?」と言われました。『100円のコーラを1000円で売る方法』の本が発売される前の話です。全然分からなかったのですが、その先輩がマーケティングについ
化学とデジタルのユニークなコンビネーション。ハーバードMBAの卒業生はどのようにビジネスモデルを構築したか。アメリカで戦う挑戦者 Vol.11
自己紹介をお願いします 松岡俊祐です。大学時代はアメフトに明け暮れて、卒業後ソニーに入社しました。放送機器と液晶テレビの海外マーケティングでやりがいのある仕事をさせてもらっていたのですが、会社は入社以来右肩下がりの厳しい時期でした。退職後、2009年にハーバードビジネススクールに留学することになり、2011年に卒業。卒業前の3月に東日本大震災があり、当初アメリカで就職するつもりだったのですが、日本のためになる、日本に貢献したいという思いを持って日本に帰国し、マッキンゼーで働
私にできることは何か、を考えることがビジネスの突破口になる。日本のプロダンサーからアメリカで着付け師になった女性。アメリカで戦う挑戦者 Vol.10
自己紹介をお願いします 北川聖子です。現在アメリカのボストンに住んでおり、こちらに来て12年ほどになります。今は和服の着付けビジネスをしています。元々は東京でプロダンサーとして活動しておりました。ダンスの仕事の一つとして、北島三郎さんのバックダンサーを4年半ぐらいしていました。北島さんのショーは、ドレス姿でジャズダンス等の洋舞を踊っていたところから一瞬で和装に着替えて日本舞踊を踊るという特徴がありました。着物はプロの衣装さんが大体着付けてくれるのですが、腰紐を結んだり、襟を
「挑戦すること自体に意義がある」。日本とは異なる指導方針、環境への適応力、そして新たな視点への気付き。厳しい環境の中で、彼の価値観を変えたその瞬間とは?
まず、自己紹介からお願いします。 はい、森平旬翼(もりだいら・しゅんすけ)です。僕は2004年にカリフォルニア州にあるナパ(Napa)っていう場所で生まれて、その後1カ月くらいですぐに日本に帰って、14歳まで東京に住んでいて、私立の一貫校に小学校から中学3年生の夏まで通っていました。水泳は小学校に入った後、7歳から始めて今も継続してという感じです。中学3年生の1学期が終ったときに学校を辞めて、アメリカの高校に8月から入って、そのときに水泳もアメリカで再開しました。アメリカの
誰にでも夢はある。しかし、その実現には困難がつきものだ。ハーバード大学に進学し、異文化の狭間で苦悩を乗り越え切り開く新たな道のり。世界を肌で感じ、無限の可能性を大きく広げたその経験とは
まず自己紹介からお願いします。 はい、名前は佐野月咲(さの・るなさ)です。1998年生まれで26歳です。東京都出身で、5歳からアイスホッケーをやっていて、ずっと東京で生まれ育ってきたんですけど、筑波大学付属高校を卒業してから、ハーバード大学に入学しました。それからハーバードで4年間、コロナの時期がちょうどかぶったので実は1年間休学して東京にいたんです。ですので、入学してから卒業するまで実際5年間で、2022年の5月に卒業して今はアイスホッケー選手として活動しています。 な
自分の感情やパーソナリティにシンクロするもの。会計事務所を辞めてアメリカで起業した女性がこだわったポイント。アメリカで戦う挑戦者 Vol.8
自己紹介をお願いします 池村渚と言います。アメリカのカリフォルニアで生まれて、小学校までアメリカで過ごしました。その後日本に行き、中学、高校、大学を日本で経験しました。スポーツが好きで、中高ではバレーボールをやりました。大学では陸上競技をやりました。またスポーツ関係の学部を卒業しました。日本で就職もしましたが古風な会社に就職したこともあり肌に合わず、退職してカリフォルニア再チャレンジしようと決めました。そこで英語を勉強し直しビジネスを学びたいと思って、それなら会計がいいので