実母には母の日のプレゼントを廃止した。昨日は誕生日(5月)のプレゼントを持って行った。何度「誕生日のプレゼント」だと言っても、実母は幾度も幾度も「母の日のプレゼントをもらった!」と繰り返す。そのたびに私は「誕生日のプレゼント」と言い直すのだが、実母は「母の日」と言い直す。不本意。
考えてみれば幼少期から、自分のしたい学びを周囲から阻まれてきた歴史があった。そのうち何を学びたいか、どう生きたいかも不明瞭になっていったわけであるが、そういう意味では今は幸せだなあ。もともと、そういうものなのかもしれないけれど。
たとえ寄りかかることのできる対象物が不本意であったとしても 寄りかかる存在があること、それこそが本意であり、本望だ。