全てが不本意

全部が嫌になることってあるじゃん。
なんか考えてみたら全部嫌だわ、みたいな。

私の場合、生まれ方がもう不本意。
元も子もないし反抗期かよって感じなんだけど、実際そうなんよ。
生まれつき脳が足りない人間でな。別に今だと珍しくはないけど、私は小学生くらいの時は特別支援学級があったりそういう学校があって、そこに通ってるというだけで、人となりも何も知らない人間からの偏見はすごかった。
ちなみに私は、そのどちらにも通ってない。普通の学校の普通の学級に通っていた。
当時はまだ診断はおりていなかったから。普通に分類される普通の脳をお持ちの皆さんの中に紛れて、偏見とか陰口とかを黙って見てきた。

そして、家族が不本意。
私にとって不本意じゃないのは、父方の祖母くらいのもの。私の記憶が残らなくなる頃に亡くなってしまったけど。
私は昔から、リビングのソファで寝落ちることがよくあった。社会人になってからはそれが余計に増えた。
ゲームしながら寝落ちたり、本を読みながら寝落ちたり、テレビを見ながら寝落ちたり。
そこで何となく目が覚めて、周りがドタバタしていたら私は目を開けずにそのまま寝たフリをする。
周りのドタバタは大体が不機嫌から来ているから。
ギリギリまで寝たフリをして、起こされたらそこで起きたフリをする。私って昔から狸寝入りが上手い。これは母からのお墨付き。
周りの音で、一旦状況を把握する。
足音がいつもより随分デカいな、不機嫌だな。
戸を閉める音がいつもより随分デカいな、不機嫌だな。
声のトーンがいつもより低いな、不機嫌だな。
話し方が素っ気ないな、不機嫌だな。
舌打ちとため息が聞こえたな、不機嫌だな。
ここで私が目を覚ますと、当たられるな。やめておこう。

子は鎹

子は鎹って言うけれど、それって微笑ましい内の話だと思う。
行き過ぎれば両親からのサンドバッグになるだけだから。
母は父には当たれない。父は全員に当たれるけど。
では母の不機嫌さはどこへ向かうかといえば、末っ子の私になる。
今は家にはいないけど、姉もそうだった。末っ子の私に当たり散らかして、私は全員分のそれを黙って受けるだけ。
私が当たることは許されない。拳が飛んできて終わり。
だから、黙って、ただ黙って受けるだけ。
ていうか、子は鎹って何なんだよ。
大人だろ。都合よく言うな。自分の機嫌は自分で取るか、せめて不機嫌を他人で晴らそうとするな。
その度に安定剤で騙し騙し誤魔化す私の身にもなれ。

そうしてるうちに

そんなこんなで、私はいつの間にか鬱になっていた。
診断がおりたのは20歳だったけど、その頃に自分が劇的変わったようには思えない。
希死念慮なんて小学生の時にはあった気がするし、自殺願望も自己否定も全部、いつの間にかずっとあったもの。
漠然と、私はいない方がいいんだな。って感じ。
いやいやいい加減にしてくれよ。なんで私が鬱になるんだ。
でも悲しいことに、因果応報なんてない。
これに関してもしあるとすれば、私が死んで両親の体裁が悪くなることくらいしか思いつかない。
後悔するかどうかなんて知らない。でも、やりようによっては体裁を悪くするくらいなら出来ると思う。
実際にやるかどうかは別として、ね。
生まれてさえ来なければ、私は私にならずに済んだのに。

生きてるだけで、愛。

なんかこんな胸糞悪い話で終わるのは申し訳ないので、私がとても好きな映画の一つを紹介しようと思う。
『生きてるだけで、愛。』
という、趣里さんが主演で、その恋人役が菅田将暉さんの映画だ。ちなみに菅田将暉さんの役名は津奈木だ。

『いいなあ津奈木。あたしと別れられて、いいなあ。「あたし」は「あたし」と一生別れることが出来ない。』


では、ここまで読んでくれたあなたに、何か笑顔になれることがありますように。

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