アイマイ

かつて考えたこと、日々思ったことをつらつらと、短編や詩、エッセイと云った非定型で発信し…

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かつて考えたこと、日々思ったことをつらつらと、短編や詩、エッセイと云った非定型で発信します。

最近の記事

夢の距離

夜毎、ベランダから月を眺める 日中には吹かなかった、 湿ってひんやりした風が 肌をかすめていく 乱視じゃなかったら もっとくっきり視えるのだろう 一抹の悔しさを味わう 都会の空は狭くて高い 田舎の空は広くて低い いつもそう感じる どちらがいい、という訳ではなく 伸ばしたら手が届きそうで それはまるで人が「夢を見る距離」 のようであった

    • Gazing at shooting stars

      大好きなんだ 愛してもいいかな? (しこたま深く、長く 息を潜めてさ 誰にも知られなくたっていいんだ) そんなこともう二人の間では おくびにも出さないけれど ずっと想っているんだよ あなたが届かない距離と場所で 必死に熱視線送っているんだから あとはキャッチするだけなんだよ 本当にそれをしさえすれば いいだけなんだよ、君は ねぇ、気付いてよ ねぇってば 私が宇宙から燃えてなくなる前に あなたは願って恋をして

      • 年少さんの頃 右の部屋に行っても 左の部屋に行っても 月が追いかけてくるので、 当時の私が出した結論は、 「世界中の人の数だけ月がある!」 というものだった 何度両親から 「月は一つだよ」と言われても 頑なに信じなかった 自分が信じたものが必ずそうだって 疑わないでいられた

        • 砂時計的日常

          隣家の屋根を照らす、滑らかな月灯り 今日は中秋の名月である 空はこんなにも丸くて高いのだと ベランダで一人、改めて知る 「どう?綺麗?私も見たい」 やって来た母と交代する ふと、遠い記憶を呼び覚ました 弟と布団を並べて眠った いつかの満月 真夜中に目を開くと 葡萄の蔦柄したカーテンの裾から 月がひっそり忍び足をして、 彼の輪郭を朧気に映した 私と似ているようで 似ていない けれど、似てもいる 弟という存在 血を分けた姉弟 憂いも恐れも素知らぬ寝顔で 一定の呼吸を繰

        • Gazing at shooting stars

        • 年少さんの頃 右の部屋に行っても 左の部屋に行っても 月が追いかけてくるので、 当時の私が出した結論は、 「世界中の人の数だけ月がある!」 というものだった 何度両親から 「月は一つだよ」と言われても 頑なに信じなかった 自分が信じたものが必ずそうだって 疑わないでいられた

        • 砂時計的日常

          雨上がりの夜 お腹の底から呼吸をすると 濃紺の闇が瞼の内側で押し寄せて 一時の静寂がその場に漂う 田舎に住んでいると 自然が近い 水に濡れた 深い森と土のような 奥行きのある香りが鼻腔をくすぐる この瞬間がたまらなく大好きで 雨上がりの夜は 愛猫よろしく窓辺で佇む

          雨上がりの夜 お腹の底から呼吸をすると 濃紺の闇が瞼の内側で押し寄せて 一時の静寂がその場に漂う 田舎に住んでいると 自然が近い 水に濡れた 深い森と土のような 奥行きのある香りが鼻腔をくすぐる この瞬間がたまらなく大好きで 雨上がりの夜は 愛猫よろしく窓辺で佇む

          時間に対するメモ書き

          時間、という概念に私がネガティブなイメージを抱きやすいのは、おそらく時間に生産性というものが掛け合わされてしまったからで、 そこに実力主義や能力評価主義がついて回るからだと思う。 つまりは資本主義の産物である。 けれど、一方では、 時間の持つ奥行きや幅は、 それを知覚しようとする者による 視座の数だけ、多様だと思う。 例えば、 バッタにはバッタから見た 独自の世界観があることとか →環世界(ドイツ人生物学者 ヤーコブ・フォン・ユクスキュルが提唱) 個人的には、古来より

          時間に対するメモ書き

          翔んだり跳ねたり、踊ったり ふと見上げれば そこに輝くは 重陽の三日月 あなたを照らす 私を照らす 幾重にも小さな祈りを込めて タンザナイト色した夜

          翔んだり跳ねたり、踊ったり ふと見上げれば そこに輝くは 重陽の三日月 あなたを照らす 私を照らす 幾重にも小さな祈りを込めて タンザナイト色した夜

          「これも、自分が自分でいいよって思うまでやってオッケー」 今日、仕事を教えてもらっている中で、職場の先輩に幾度となく伝えられたこの言葉 単純な言葉ではあるのだけれど、自分が納得するまでやってもいい、GOサインを出すのは自分でいい と言われているようで、胸に残った

          「これも、自分が自分でいいよって思うまでやってオッケー」 今日、仕事を教えてもらっている中で、職場の先輩に幾度となく伝えられたこの言葉 単純な言葉ではあるのだけれど、自分が納得するまでやってもいい、GOサインを出すのは自分でいい と言われているようで、胸に残った

          ボディポジティブ(?)

          好きが高じて全米ヨガアライアンスRYT200を修了しているのだが、私がヨガをする理由は、「心身ともに健康でいたいから」「心地よいから」である。ヨガに出会ったきっかけも、抑うつが続いている中で瞑想の効果を実感したからで、主治医の勧めもあって資格取得が実現した。今では、その日の自分の体調や身体の具合に合わせてどんなヨガをしたいのか、選択している。 実はここ2週間で4キロ増量していたことが、昨日判明した。驚愕の事実である。「何だか最近浮腫むなぁ、生理まであと1週間くらいだしなぁ、

          ボディポジティブ(?)

          ずっと独りだと思っていたし、出来ないことも出来るようにならなければいけないと そう思ってきた けれど今日、相談支援員さんに初めて出会えて 「障害特性は活かしつつ、苦手なことは周りに伝えていけたらいいよ」 と言われた ようやく「もう自分が全て変わろうとしなくてもいい」と思えた

          ずっと独りだと思っていたし、出来ないことも出来るようにならなければいけないと そう思ってきた けれど今日、相談支援員さんに初めて出会えて 「障害特性は活かしつつ、苦手なことは周りに伝えていけたらいいよ」 と言われた ようやく「もう自分が全て変わろうとしなくてもいい」と思えた

          あるがままを受け入れようとするならば、豊かな時の流れがそこにある。

          あるがままを受け入れようとするならば、豊かな時の流れがそこにある。

          今朝起きて、 肌をかすめる 柔らかいガーゼのような風と セピア色の日差しを見て、 「ああ、もう秋がひっそりと来ている」 と思った。 母にもそう伝えたら、 「私もそんな感じがしたんだよね」 とのこと。 季節は巡り巡る。 私たちが感知し得ないだけで、 秋と夏の空気は入り混じる。

          今朝起きて、 肌をかすめる 柔らかいガーゼのような風と セピア色の日差しを見て、 「ああ、もう秋がひっそりと来ている」 と思った。 母にもそう伝えたら、 「私もそんな感じがしたんだよね」 とのこと。 季節は巡り巡る。 私たちが感知し得ないだけで、 秋と夏の空気は入り混じる。

          前髪と再生

          約4,5年振りくらいに前髪ができた。数年ほどショートカット前髪なし、前髪作ってもちょろ毛程度であった自分にとっては、中々の冒険心である。幼い頃はクラシックバレエを習っていたため、そもそも前髪なしのロングヘアがデフォルトであった。だが、ジェンダー論について関心を得るようになった15歳を皮切りに、日本の家父長制にファイティング・ ポーズを決めるかのごとくショートカットへと移行した。成人式では振袖を着るべく腰椎L1辺まで髪を伸ばしたが、それは幻である。 前髪を作りたくなったのはな

          前髪と再生

          いつも変わらない距離間で そっと見守り、 私の言葉を 待っていてくれる方々へ ありがとう

          いつも変わらない距離間で そっと見守り、 私の言葉を 待っていてくれる方々へ ありがとう

          自由奔放

          忘れられた夏の思い出が、 風に揺られ、 ポコポコと、浮かんでいる、 (ように見えた) 沢山の、黄色いアヒルたち 自由奔放にさすらって 水面にたゆたう ぷかぷかぷか 私たちに 柔らかい時と笑みを 授けてくれた そんなあなたが 愛おしい ありがとう

          やりたいことやこれから紡いでいきたいことが山ほどあって、そのことに胸を躍らせると同時に足がすくむような恐怖も感じる。 こんなとき、私はどうすればいいのか。 浅くなった呼吸の中で、自分のリンカクを探している。

          やりたいことやこれから紡いでいきたいことが山ほどあって、そのことに胸を躍らせると同時に足がすくむような恐怖も感じる。 こんなとき、私はどうすればいいのか。 浅くなった呼吸の中で、自分のリンカクを探している。