譲ってしまう人の心理
やたらめったら他人に譲る人がいます。
生きる基本姿勢が、譲ること、になってしまっています。
譲ること、が良く無い、ということでは勿論ありません。
自分を大切にした上で、他者を思いやり、時に譲ることは、尊いと思います。
けれども、生きる基本姿勢が、譲ること、になっている人のそれは、自分を大切にした上で他者を思いやる、という事からは、かけ離れている様に思います。
深掘りすれば、その人には、これは譲れない、という、芯、の様なものが無いのだと思います。
自分の中に、芯、が無いと、他人から好かれること、他人から受け容れられること、が生きる目的になってしまいます。
仮に他人と意見がぶつかったとしても、譲れない、という自分にとって大切なものが無いから、
他人から受け容れられること、が最大の関心事になり、言わば迎合することになりがちです。
自分の意見を押し通しましょう、と言っている訳ではありません。
ただ、ここから先はおいそれと触れさせたくないという部分や、
これだけは曲げたくないというものを持つことは、
自分を大切にすることと密接に絡みます。
最大の関心事が、他人から受け容れられること、なのに、
やたらめったら譲る人は、受け容れられることは少なく、
他人から適当に扱われたり、ズルい人から利用されたり、
要するに、他人からナメられます。
その人に、芯、が有るか無いかは非言語的に、
接する他人に伝わることが少なくありません。
もっと言うなら、ズルい人は、芯、が無い人を目敏く見つけ出します。
譲る人は自分では、自分に、芯、が無く、なんでもかんでも譲っているという意識は薄いのかも知れませんが、
自覚が無いだけに、いつの間にか、ズルい人からいい様に利用され、
人生はハードモードになって行きます。
どうして、これは譲れない、というものが無いのでしょうか?
そもそも、その人には心の中に、確固たる【自分】が育っていません。
確固たる【自分】が育っている人は、自分はどうか、という視点で世の中を見ます。
自分はそれが好きか嫌いか、
自分はそれが心地よいか、悪いか、
自分はそれをしたいか否か、
自分の目で世の中を見ます。
確固たる【自分】が育っていない人は、
親はそれが好きか嫌いか、を優先せざるを得ない幼少期を過ごし、
目の前の人は自分をどう思っているか、ばかりが気になる子供に育ち、
周囲はどう思っているか、に呑み込まれた人になりました。
自分が育っていない人には当然、自分はこれは譲れないという、芯、がありません。
親が、
目の前の人が、
周囲がどう思うのか、が全てです。
親や目の前の他人や周囲がどう思うか、が最優先事項である限り、
その人生は自分のもの、ではありません。
人生は他人事にしか感じられず、砂を噛む様に虚しく思えます。
なんでもかんでも他人に譲っているとそうなってしまいます。
なんでもかんでも他人に譲ってしまう人は、
自分は優しいから他人を優先してしまう、
という、言い訳、に逃げ込んでしまうのが常です。
しかし、言い訳はどこまで行っても、自己正当化の手段、です。
納得のいかない自分の現状を、無理矢理納得させようとする思考です。
その人が本当に、優しさから他人に譲る生き方に終始しているのであれば、
人生は他人事になど思えません。
虚しさを感じるどころか、自己実現に次ぐ自己実現で、人生は喜びに満ちるのではないでしょうか。
しかし、その人は人生を他人事の様に感じ、
虚しさに埋没して生きています。
譲ることが、優しさ、からの行為では無く、
そうする事で他人から受け容れられる事を期待している行為だから、です。
本当は、自分が受け容れられる為に、渋々、不本意ながら譲っているから、です。
不本意ながら譲っても、先に触れた様に、
その、不本意さ、は非言語のメッセージとして他人にキャッチされてしまいます。
更にはズルい人は、この人は不本意でも譲る人だ、と感じ取り、いい様に利用します。
その人を取り巻く人間関係は悪い方へ、悪い方へと転がります。
悪い方へ転がりながら、自分は優しいから譲ってしまう、という自己正当化をしている限り、
人生は好転する事がありません。
どうしても譲ってしまう人は譲った後に、不本意な思い、があるならば、
自分は優しいから譲ってしまう、という、自己正当化、を先ず止めることです。
止めたなら次は自分の中に、譲れない大切なもの、を探します。
探しても見つからなければ、それは心に、確固たる【自分】が育っていない事を意味しています。
育っていないのならば、育てれば良いのです。
心に、確固たる【自分】が育っていない為に、
他人に譲る人、もいれば、
他人を攻撃する人、もいます。
現れ方は違っても原因は心に、確固たる【自分】が育っていないこと、にあります。
他人を攻撃する現れ方をする人については、本記事では触れませんが、
譲る人、攻撃する人、共に原因は、確固たる【自分】が育っていないこと、です。
譲ることが生きる基本姿勢になってしまっている人、は、
自分が他者に譲っているのは、優しさや思いやりでは無い、という真実をしっかりと見据えることが不可欠です。
自己正当化を止めた時点で、
確固たる【自分】は、芽吹きます。
芽吹いたなら、
どう育てるか、が自ずと見えて来ます。
【自分】を育てる、などと言うと、
とてつもなく遠く難しい課題に思えるかも知れませんが、
自己正当化を止めるだけで、
糸口は現れます。
決して遠い道のりでは無いのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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