金子つとむ
週に一回くらいのペースで、自作の詩を発表していきたいと思います。俳の森をさ迷っているうちに、いつしか、詩の森に紛れ込んでしまいました。これまで発表したもの含む詩集を作りました。詩集『もっとほんとうのこと』(2024.7.11)東京図書出版、1300円+税。
うたのジャンルはよく分かりませんが、短歌というより狂歌に近いかもしれません。日々の思いを綴っています。
30年程句作を続けていますが、ここ十年位の間に俳句について考えたことを一話1000字ほどでエッセイ風にまとめてあります。俳論風エッセー『俳の森』が本になりました。(東京図書出版、定価2300円+税、568頁)
未来社会 僕らの種や食料を 企業がつくりその企業の株を 投資会社が手中に収めその投資会社を ほんの一握りの資本家が 牛耳っている 例えば世界最大の投資会社 BlackRockは すでに世界の4割の企業を 掌握したという かくも絶対的な富の偏在――― かの投資会社から見れば日本国も 顧客リストの中の 一顧客にすぎないという このまま世界単一政府に向かって世界は 雪崩を打って落ちてゆくのだろうか それはどの辺りまで進んでいるのだろう もしパンデミック条約が成立すれ
人の心もお金で買える時代にいいね押せますか(都々逸)
99%の数の力 防衛費が倍増されて 増税必至だという 10兆円といえば人口1億人としても 一人当たり10万円だ どうせ取られる位なら 使ってしまえと消費すれば 10%の消費税が待っている まさにふんだりけったりである ところが大金持ちとなると そうではないらしい 消費税の逆進性といって実は 低所得者ほど負担が重くなる仕組みなのだ その理由はなくてはならない食費に 同じ税率が課せられているからだ さらには俗にいう 一億円の壁というのもある これは 所得が1億円を超え
お金の好きな政治家選び五公五民の税とられ(都々逸)
お化け煙突 昔千住の墨田川沿いにあった 火力発電所の煙突は お化け煙突と呼ばれていた 元々は4本なのだが 見る場所によって2本にも3本にも 見えたという もしマスコミが 千住に面白い煙突があるといって その事実を伝えるだけなら 「へえー」で終る人もいれば 「えーっ何で」と疑問を持つ人も いるだろう どうしてそう見えるのか その理由まで知らなければ 事実を知ったことにはならない いっぽうマスコミも その理由まで伝えるのでなければ 伝えたことにならないだろう もし
自分でできる人には便利みんな不便という過疎地(都々逸)
花を贈るひと 知り合いのMさんに 詩集『もっとほんとうのこと』を贈った しばらく経って 彼女が小さな花束をもってやってきた 出版祝いだという 花束を貰った記憶は 人生で数えるほどしかない この前は定年退職したときだった 十年ぶりに貰った花束――― 何だかうれしい 久し振りに会った僕らは 時を忘れて語り合った 理不尽な世の中ことを話しながら 僕の心はふしぎと 花のようにときめいていた 花はやがて 枯れてしまうだろう しかし花の記憶はずっと残るだろう 贈ったほうに
自分の言葉を持たない者はきっと誰かのロボットさ(都々逸)
恨み歌 どうせ僕なんかより テレビの人の肩書を信じるんだろう 僕が何をいったって君には届かないんだ だから金輪際これで最後にするよ もう二度といわない 今この国は知の侵略を受けている 政府もグルになって国民を騙している コロナワクチンは打ってはダメだ ましてやレプリコンなんて とんでもない! この国は今や地球最後の人体実験場だ 何しろ世界で初めて レプリコンワクチンを承認したんだからね きっと圧力に屈したんだろう 他の国はとっくに気づいて 四回目以降は打っていない コ
和同開珎慶長小判硬貨も公共貨幣だよ(都々逸)
十月 十月になって三日 もう十月なのか 忙しい日々を駆け抜けた後で 今更のように 僕は独り言つ 今年ももう十月なのか 始りの一月は 疾うに遠く霞んでいる いやそれとて 人の拵えた区切りにすぎない 「去年今年貫く棒の如きもの」 そう詠んだのは虚子だ 嗚呼その時僕は どこにいたのだろう もし日常のレールというものが あるとすれば 僕はその時 一寸脱線して いたのかもしれない もう十月 いつしか 燕の姿も見えなくなって 「そういえば路地の燕は帰ったか」 そう詠んだのは僕だ
憲法で戦争しない国のまま公共貨幣で日本再生
事実と思い込み きっとそうだ そうに違いない はじめは単なる思い込みに 過ぎなかったものがいつしか 事実と練り合わされ混然一体となって 僕らの判断の 拠り所になっていく どんな事実を 練り合わせたのか どのように練り合わせたのか その違いによって 僕らは少しずつ 違う世界を見るようになる のではないだろうか 客観的事実など 推量するしかないものだ 人の数だけ 見えている世界があるのだ ただ事実の分量が多いか 思い込みの分量が多いかの 違いだけで――― 今頃にな
人類の子孫は地団駄踏むだろう核廃棄物押し付けられて
自分に帰ろう 必要なものは買わなくちゃと思う 欲しいものがあれば買いたいとも思う 食料や日用品のような必需品もあれば その人だけが欲しがる嗜好品もあるだろう 誰にとっても変わらない 不変の商品価値があるわけではない 人は欲しいと思ったときに 初めて価値を見いだすものなのだ だから免許返納してしまえば 車はもはや無用の長物でしかない 欲しがらせるための煽動 それがCMというわけだろう しかしこれとてあくまで 商品に限った価値のことである 他にも価値のあるものは色々ある
この星と一蓮托生人類は水も空気もいのちの糧も