ロバート・A・ハインライン 『月は無慈悲な夜の女王』 : 運動組織における「人間論」
書評:ロバート・A・ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』(ハヤカワ文庫)
ハインラインの代表作と言えば、広く一般向けが『夏への扉』であり、旧来SFマニアに評判の高いのが本作『月は無慈悲な夜の女王』ということになるだろう。
のっけから少々皮肉な書き方になって申し訳ないが、率直に指摘されることない事実を、あえて指摘するのが批評の使命なので、どうかご勘弁いただきたい。
『夏への扉』は、たしかに面白いし、面白い作品が悪いというのではないけれど、『夏への扉』の魅力とは、端的に言って「SF」の部分にはなく、SFの仕掛けを使った「泣かせる小説」の部分にあると言っていいだろう。日本ではそれを「感動作」という便利かつ曖昧な言葉で表現しがちだが、要は「ハッピーエンドのロマンティックSF」であり、万人ウケする、わかりやすい感動作、ということである。一一くりかえすが、「わかりやすい小説」とか「感動作」が悪いと言っているのではない。「読者に高度の読解力や知性を求めない娯楽小説」だと言っているのだ。
ならば、『月は無慈悲な夜の女王』(1966年)の方はどうかというと、こちらはハッキリと「歯応えのある思弁小説」である。
「ヒューゴー賞」を受賞したハインラインの作品は、本作を含めて4作で、他の3作とは『ダブル・スター』(別に邦訳名『太陽系帝国の危機』1956年)、『宇宙の戦士』(1959年)、『異星の客』(1961年)ということになり、言うなれば「ハインライン最後のヒューゴー賞受賞作」である。
で、ご多分にもれずSFファンも「文学賞」の類いの好きな人が多いし、またSFファンは「群れて騒ぐのが大好き」ということもあるので、当然のことながら、ちょっと古い言葉だが「SF者」などと自称するようなSFマニアは、ハインラインの代表作というとヒューゴー賞受賞作の中から選んでしまうのだが、その4本の中で最も評判の高かったのが、本作『月は無慈悲な夜の女王』だったのだ。
私の場合、『夏への扉』と『宇宙の戦士』は、若い頃に読んでいる。
『夏への扉』は普通に「よく出来たいい話」だと思ったのだが、『宇宙の戦士』の方は、期待したような「SF戦争アクションもの」ではなく、その手前の「SF兵隊学校もの」だったという期待はずれと、愛国主義的な思想を描いたものだったので、群れるのが大嫌いな私は、むしろ積極的に「けっ」と思った作品で、それ以来ハインラインが嫌いにさえなった。
だが、「ハインラインを、単純に右翼や保守主義者と考えてはいけない。事実『異星の客』は、むしろリベラルな思想を語った作品だ」という評判を聞いたので、ごく最近、同作を読んでレビューも書いた。
結論としては、たしかにハインラインを単純に「右翼」や「保守主義者」と決めつけるのは、拙速すぎたと反省することになった。
じっさい、本作『月は無慈悲な夜の女王』の「訳者あとがき」で引用されている、福島正実の「ハインライン解説」も、次のようなものである。
私の場合、ハインラインの初期作品を読んでいるわけではないので、福島正実のこの「見立て」が、どのていど正しいものなのかの判断はできない。
だが、『宇宙の戦士』と『異星の客』では、語られている思想が180度違っているというのは、ハッキリした事実なのだ。
この福島文で語られている『スチューデント・パワー』というのは、フランスでの1968年の「五月革命」以降、世界的に盛り上がった「左翼学生運動」のことを指しているのだが、要は、ハインラインが、そうした新しい社会変革運動に共感するところがあって「思想的な立場を変化させた」と理解するのか、それとも、器用な作家が「流行に乗って、付け焼き刃のリベラル思想を語った」と理解するのか、ということになるのだろう。
だが、私が読んでいない本書後の作品の評判を見るかぎり、ハインラインが『宇宙の戦士』の頃のような、わかりやすい立場を採らなくなったという意味での変化は、たしかにあったようだ。「左傾」したとまで言えるかどうかは別にして、思想が深まったというのは間違いのないところなのであろう。
ともあれ、日本SF界の指導的立場にあった福島正実のこうした評価もあってだろうが、SFマニアがハインラインの代表作として最初に挙げるのは、(今では誰でも読んでいる、エンタメとして当たり前に面白い『夏への扉』を別にすると)『宇宙の戦士』でも『異星の客』でもなく、ましてや『ダブル・スター』でもなく、本作『月は無慈悲な夜の女王』ということになったのである。
もっとも、90年代以降の日本では、「左翼」の退潮とともに、『月は無慈悲な夜の女王』が人気ランキングの順位を徐々に下げ、逆に『宇宙に戦士』が徐々に順位を上げて、今ではその順位を(やや低空飛行ぎみに)競り合っているようだが、「宗教SF」色の濃い『異星の客』は、非キリスト教国である日本では、今も昔も、まったく人気が振るわないようだ。
したがって、思弁性のない『夏への扉』を別にして、それぞれに個性的な『宇宙の戦士』『異星の客』『月は無慈悲な夜の女王』の3作は、その個性のゆえに「好み」が別れるというところがあって、単純にどれが作品として優れているとは言いにくいように思う。
私などは、前記のとおり「右翼」的思想が嫌いだから『宇宙の戦士』は生理的に合わないのだが、その一方「宗教批判者」として「宗教」には詳しいからこそ『異星の客』はとても面白く読んだ。
で、問題の本作『月は無慈悲な夜の女王』なのだが、「左翼」系のようだから私に合うかと思ったのだが、これがそうでもなかった。けっこう退屈だったのだ。
たぶん、多くの読者は「『異星の客』に比べたら、ずいぶん読みやすいし面白いだろう」と言うのだろうが、それはたぶん「興味」の違いである。
たしかに私は「左寄り」の人間ではあるが、本作『月は無慈悲な夜の女王』に描かれているのは、正確に言えば「革命思想」ではなく、「独立自由思想」であり、さらに言えば、それを実現するための組織論であり、「政治」的方法論なのだ。だから、本作で語られている「思想(独立自由主義)」自体は、ごく当たり前の話で、面白い面白くないといったこと以前の、当たり前な「平等思想」にすぎない。
だから、本書の特徴となるのは、いかにして「植民地を独立させるのか」という「具体的な独立運動の思想であり方法論」なのだ。その意味での「政治」的な問題でなのであって、「思想」そのものの問題ではない。「理念」の問題ではなく、ハインラインの「人間認識」に基づいた、具体的な「政治的方法論」の話なのである。
で、私は、人並みはずれて「独立自由指向」の強い人間なので、「政治」とか「運動」とかいうのが、嫌いなのだ。それの必要性は認めるのだけれど、生理的に「嫌い」であり、合わない。要は「面倒くさい」。
「自由で平等な社会を、力を合わせて実現しなければならない」と「考えている」けれど、では「運動組織に所属して、その指導のもとに統一的な運動を行なってください」と言われると、そんなことは御免だということになる。
私は一人で好きにやるのが好きな人間なのである。だから「いかにして、植民地を独立させるのか」といった具体的な「政治的方法論」の話が延々と続く本書には、興味が持てないため退屈だったのだ。
ならば、本作を「名作SF」だと評価しているSFマニアたちは、本作のどこをどのように評価しているのだろうか?
少なくとも日本のSFマニアが「植民地独立のための具体的な政治的方法論」というリアルな政治の話になど、興味があるとは思えない。だから、興味が持てるとすれば、
・自意識を持ったコンピュータが独立運動を指揮する、という面白さ。
・資源や人口などで圧倒的に有利な地球人に対して、月面人がどのようにして対抗するのか、その対抗法のSF的アイデア。
といったことになるのだが、しかし、本書の「読みどころ」の7割は、ハインラインの深い見識に裏付けられた「植民地独立のための具体的な政治的方法論」にあるのであって、上の2つなどは、ハッキリ言って「アイデア」止まりでしかない。
したがって、こんな「アイデア」程度で、このなかなかしんどい「独立運動小説」を、SFマニアはどうして「面白い」と感じているのかと疑問に思い、本書のAmazonカスタマーレビューを眺めてみると、呆れてしまった。
現時点で「780個」もの「評価」が寄せられ、レビューも相当数が寄せられているわりには、まったく中身が無いのだ。
レビューを、大雑把に多い順から分けると、
・訳文が悪くて読みにくい
・傑作(名作)SFだ
・独立戦争SFである
・人工知能SFだ
と、こんな感じで、要は本書「解説」を一歩も出ない、無内容な「オウム返し」ばかりで、その人(読者)なりに理解して楽しんだとは、とうてい思えないようなものばかりだったのである。
中でも目立つ「訳文が悪い」という批判は、今どきの「ラノベ」文体でないと読めないような、低レベル読者の自己正当化の言い訳でしかなく、矢野徹の訳文が特に悪いということはない。単に、ハインラインのシビアな「政治思想」や「人間論」に、レベルの低い読者がついていけなかっただけ、というのが明白なのである。
もちろん、私だって「興味がないから」とは言え、本書の眼目である、ハインラインの「政治思想」や「人間論」を十分に読み込めていないのだから、偉そうなことは言えないのだけれど、しかし、本書を面白く読めなかった理由を、自分の理解能力不足に求めず、その責任を他人(訳者)なすりつけるような、見苦しいことはしない。それが、いかにも「バカ丸出し」だということくらいは、さすがの私だってわかっているからだ。
で、ハインラインが本書で描いた「独立運動」のための「人間論」とは、「人間とは、このように度し難いもの」だから「知恵のある者が、だましだまし上手く導いてやらないといけないよ」というものであり、政治思想としては「前衛」論、ということになる。
だから、月面人の最高指導者が、じつはコンピュータだという事実は、最後まで主人公ら3人内の秘密にされる。「大衆に本当のことを包み隠さず話すと、いろいろ実際的な問題が生じる」ということである。
つまり、「SF大会」なら雑多なSFファンを集めてでもできるだろうが、雑多なSFファンをいくら集めたところで「優れた作品理解が得られるわけではない」ということである。
なぜならこれも、シオドア・スターションの言ったとおりだからだ。
そして、こうした事実を教えてくれるものこそが、他でもない、本作という「厳しい女教師」なのである。
だがまた、ハインラインが本書で語るとおり、その生徒たちには、相当に「難物」が多い。したがって『その厳しい授業を生き抜いてきた人』は、ごく限られていたのである。
つまり、豊かな地球環境下で、甘やかされて育った読者の大半は、自身の軟弱さを自覚して、それを「恥ずるべきだ」ということなのだ。
(2024年1月21日)
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