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私がオンラインゲームを5000時間くらいやって気づいたこと。
ゲームっていいよね。
ゲームをしている時間というのは現実から解放されて自由にいちプレイヤーとして全力でその世界を遊ぶ、ということができる。
私はそんなゲームという遊びが大好きで、私の人生という未だどこに到達するかわからない26年という短い歳月もそれを、あるいはそれでできた繋がりを抜きにして語ることはできない。
繋がり。そうゲーム、特にその中でもオンラインで人と繋がる事ができるものはそれを軸と
私の『無視力』の鍛え方。
『無視』って単語を聞いたときに最初に抱くのはやっぱり悪いイメージになる人が多いのではないかと思う。
私も別にいい言葉だとは思っていないけど。
しかしこの世には『無視』したほうがいいことは間違いなく存在する。
『無視』っていうのは、それを受け止めていやになったり、傷ついたり怒りを覚えてしまう自分を想像できてしまうからだ。だから見なかったことにして通り過ぎるのを待つ。
でも結果として一度自分の
感情と現象を切り分けるためのコツ。
人とケンカすることがある。
そういうときって相手に向かって「相手じゃなくて自分がどう変わるかっていう話してよ」とか「まずはこっちの言い分を理解してくれよ」とかのド正論をぶつけたくなる。
自分は“わかってる”とか、もうその話しは終わったとか、相手の気持ちは充分に汲めたから、とかそうやって考え方がどんどん歪んで、あらぬ方向に行ったりする。
しかし言い争いや権力争いをしているときのことを振り返って
忘れる、ということをできるだけポジティブに考えてみた
人間は忘れる生き物だ。それはわざわざ言われなくてもわかっているひとは多い。それなのに忘れることに関して誰かを責めるような文化があるのはなぜなのだろう。
察するに、これはパートナーに約束をすっぽかされたとか、古い友人に名前を忘れられたとかそういった個人の尊厳に関わるものがほとんどなのだと思う。『自分のことはその程度の認識だったのか』という怒りや悲しみが招く失望は相手を責めることで表現されているのだ