余裕がない。余裕がない時ほど余裕を作らなくちゃ。今日は主人と大喧嘩をした。価値観も気遣いのセンスも違うのでプチ喧嘩は年中だが、今日はいつにも増して腹立たしくなった。きっと私に余裕がないのだろう。新年早々、こんなつぶやきしかできない私。我ながら悲しくなる。闘病と介護は心を病む。
今の私は明るくも暗くもなれない。現状、闘病と介護を抱えている身としては、やれることが限られている。無理してはしゃぐことも落ち込みまくることも必要ない。淡々とできることをつなげるだけ、向かいたい未来に進めるだけ。未来は明るいなんて簡単には言えない。ただ未来を諦めないだけ。それだけ。
私は人に好かれたくて書いてるわけじゃない。かといって嫌われたくて書いてるわけじゃない。私を嫌いだと思ってる方々が、私を嫌いだという意思表示を様々な形でアクションに起こしてる様子を立て続けに見てしまった。闘病と介護で心身病んだ私を救ってくれたのはnoteだったからこそ、悲しかった。
闘病や介護のストレスが溜まってるからこんなことを考えるのだろうか?一度でいいからピッチピチに弾けた人生を送ってみたい。私は心から解放された人生を送ったことがない。天真爛漫にイェーイ的な人生を送ってみたい。お酒も飲めないからハイになったこともない。伸び伸びとした自分で生きてみたい。
「病気を苦にして自死した」 といった内容のニュースを 聞くたびに、何故に頑張れなかったのかと、他人事として思っていたが 今のわたしは、まさに 「病気を苦にして」の心境だ。 痛い、痛い、痛い。 苦しい、苦しい、苦しい。 だれか どうか…… 手を差し伸べて…… どうか……
痛みや辛さ不自由さに負けずにnoteを書き続けているかたがたへ。 あなたが力をふり絞って書いた記事に勇気づけられます。 ありがとうございます!
書くという行為は楽しいけれど、今の私は思考が暗いのか?ご心配をおかけするような内容しか書けなくなってきている感じがします。元から精神的に闇(病み)を抱えているのか、闘病と介護の疲労がもたらしたものなのかわかりませんが、書くことを休むか書きまくるか何かしらの療法が必要な気がします。
今の私の課題は気にしないようにすることだ。ずっと気にして生きてきた。まるで思考することが趣味のように。しかしそれは弊害に近い。気にする、思考する、度を過ぎていたのか?今はそれを闘病や介護のせいにしているが、私は常に何かを気にして思考しすぎて生きてきたのだろう。病気レベルだな。