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突然の別れが訪れるときもある

今朝何気なくXを見ていた。見覚えのある友人とアメリカ人の旦那さんの写真。友人の夫は音楽家なのでフォロワーはたくさんいるだろうが面識はなくフォローもしてはいなかった。

最愛の妻が闘病の末亡くなりました。

これはどこか知らない著名人の話では、と一度スルーした。しかし改めて読んだところやはり友人であった。友人の夫は写真入りの投稿で訃報を伝えてくれていた。フォローもしてなかったのに目に飛び込んできたのはアルゴリズムの力だけではないのかもしれない。

東京に住んでいた時代、武蔵小杉のショッピングモールで話かけてくれた。

お互いハーフの子どもですね、お友達になりませんか。

当時長女を出産したばかり、長男出産後に知り合った仲良しのママ友はみな復職し、2人の育児に振り回されながらも平日は児童館や公園を行き来する日々。特別に仲の良い友人はできなかったしつくる余裕もなかった。子連れお出かけの聖地と言われる武蔵小杉は電車で20分程度。それでも友人とではなく子供2人を連れ1人で訪れたのは初めてだったかも。彼女は明るくパワーに満ちていて話しやすく、すぐに打ち解けた。お互いハーフの子どもを持つママ友がいなかったのでもう1人の友人を紹介してもらい3人でFacebookで国際結婚ママ友のグループを立ち上げた。こういったことをしたのは生まれて初めてでわくわくした。みなでクリスマスパーティーやハロウィンピクニックをしたり。家に遊びに行かせてもらった次いでに夕飯からお風呂まで入れてくれたり。友人の夫は多忙のため一度も参加したことはなく、活発な2人の子どもの家事育児から自営業の夫の手伝いまで全てこなしていた。

ベルギー移住のタイミングで友人家族も地方に引っ越したこともあり、前回日本に帰った際は連絡を取らなかった。とれば良かったのに。会えなくてもLINEで話をすればよかった。また子ども達が大きくなればゆっくり会えるなんて思っていたんだ。闘病してたなんてちっとも知らなかったし、何ができたかはわからないけれど。

こうすれば良かったなんて後悔を今してはいない。あの時出会えてよかった、もう会えないのは本当に悲しい。それでもこの悲しみは残された友人の家族、まだ幼い子供達の何十分の一でしかないだろう。

人生にはたくさんの痛みや喪失がある。失恋や友人や家族の死。それはとてもありふれているが私たちが経験するのは初めてで一度きり。そんな江國香織さんの『号泣する準備はできていた』の後書きを思い出す。

彼女ともっと話をしたかったしもっと仲良くなれるだろうとずっと思っていた。でもこれからはきっとわたしの中で生き続けるだろう。

友人のご冥福を祈ります。



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