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双極性障害と私のアイデンティティ

米村エマ子です。
42歳女です。
双極性障害を患っています。

自己紹介をしろと言われたら、必ず最初に自分の病名を挙げてしまう。それ以外に何を言ったらいいのか分からない。いつの間にか私は、双極性障害をアイデンティティの核に持つようになってしまった。それ以外に自分が何者なのか分からない。

失われたものの大きさ

双極性障害と診断されて10年になる。それ以前のうつ病という診断の時代も含めると、15年ほど、この病気と闘っていることになる。
思えば多くの物を失ってきた。大学院で専攻していた英語学は途中で頓挫してしまって、博士論文を書き上げることができなかった。それから生きづらい身体と心を引きずって勤めていた英語講師としての仕事は、大きな躁転で霧散した。英語を教えるの、楽しかったんだけどな。
そして、処方薬の炭酸リチウムの副作用で胎児に催奇形性があるとのことで、子どもを持つことは諦めざるを得なかった。子どもの言語習得を研究テーマにしていたのにね。まさか自分が子どもを持てなくなるとはね。

双極性障害を患った人が病気をアイデンティティの中核に置いてしまうのも無理はない。本来そこにあったはずのものを病気によって失ったのだから。

闘病の重さ

それからの10年間何をしていたかというと、闘病だ。来る日も来る日も自分の病状に意識を向ける。今日は上がり気味かもしれない。今日は鬱っぽいな。そんなことばかり毎日毎日考えてきた。気がつけば定期的に会う人は精神科の主治医だけになっていた。Twitterはいろんなアカウントを作ったけど、闘病アカウントしか運用しなくなっていた。
主婦としての家事も病気の症状の影響でままならない。ちょっと病状が安定してアルバイトをしてみても、また躁や鬱の波が襲ってきて辞める羽目になる。連続性のない日々。自分が続いていかない。

こんな風に病気と向き合い続けること十数年。自分とは何者かと問われたら、双極性障害ですとしか言えなくなっていた。

自分を探す

そんな自分に嫌気が差して、いろんな趣味に手を出してみた。ミシンで裁縫。水彩画。パズルにビーズに買っただけの中古のピアノ。パソコンで小説を書いたこともあったな。すべて数か月で放り出した。躁転でやっていただけなんだと思う。
今は2年ほどパートを続けている。英語講師とは程遠い、単純作業の力仕事で汗を流す日々。これは私の一部になっているのだろうか。

noteへの投稿も、自分を探す行為の一環だ。私の中のどこかに、病気ではない何かがあるんじゃないかと思って、ことばを紡いでみる。それでもこうやって病気のことしか書けない自分が悔しい。

アイデンティティの作り直し

失ったものの大きさと、闘病してきた日々と、新しい自分を探してもがくプロセス。そういったものを全て超えて、いつか私はまた「双極性障害です」と言わなくても済む自分に戻れるだろうか。それとも、病気と付き合う自分をアイデンティティの一部として受け入れられる日が来るのだろうか。どの方向であれ、私の努力が実を結び、形になるときが来る。それを信じて、今日もパソコンを叩く。

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