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金属アレルギーと言われてたけど癌でした!

白月華@切り絵ときのこテラリウム

金属アレルギーと言われていたら癌でした!

この度、癌になってしまいました。 舌癌、堀ちえみさんと同じやつです。 ステージ、転移は現在検査中で、明日(2024/12/3)、PET検査の結果が出ます。 今はめちゃくちゃ怖いです。どうか転移はしていませんように。
(12月19日入院日現在、転移はありませんでしたが舌と一緒にリンパ節も取ることになりました。転移は無いのでステージ2ですが、切るまでわからんね、と言われてます)

●手術後の事、今再手術とかで体力ないし、長くなりすぎるのでこちらのnoteはがん発覚から手術までのみに。別noteに術後、食事回復記録、あってよかったものなどをまとめていく予定です。
今は無理なんで、出来上がったらリンク貼ります。

皆、保険はきちんと入るんだ!
がん保険付きのは特に!若くたって癌にはなる。
はいったほうがいい。日本の制度のおかげで医療費はどうにかなっても、生活が困るよ…!
生活もかなり変わるから物入りになるしね。
私は来年誕生日前にはいろ、て思ってて逃してしまった。
1年再発しないでくれたら、掛け金高めのやつしか無理だけどすぐ入るよ。
入れたら都民共済やこくみん共済とか入ったほうが良いよ

●今現在と今後
12月19日入院、20日手術、凄く順調にいけは28日に退院予定。
しかし、14日からデスクワークなら復帰可、出来るだけ喋らないでね、と言われてるのを伝えたうえで、職場(コールセンター契約社員)から

「事務作業の空きがないから14日から電話に出てね。 出られなかったら白神さんがいづらいだろうから帰ったほうがいいよね?」

と言われてて詰んでます。 いや、私座ってるだけでも構いませんけど!?

今月も検査三昧+入院で半分くらいしか出勤出来てないし、来月も良くて10日。 11月末だけで4万、今月も既に3万、入院に必要な物や変わりまくった食生活で節約が効かず嵩む食指、検査費でもあっぷあっぷしてるワープア寸前安月給なので、高額医療費制度内+αの支払いすら大丈夫か…?てなってます。

あと、遠回しに自主退職も進められてるので、良かったら10円でも20円でも投げ銭貰えたら…助かります…いや、すぐに再就職は探すけどどれくらいである程度喋れるようになるのか全く解らない…。
色んな手段を探したけど正直な所詰んでないか?となっている。
(兄がでかい借金していたのが去年発覚して、親がそっちにお金援助したので親も余裕が無い)


以下に、今回の経緯、舌癌になってから食べられたものや良かった痛み対策を記します。
経緯(半分日記みたいになってる)がクソ長いので対策や食事は別ノートで!
強めの口内炎の人にも参考になると思う。
当初通っていた病院に付いては今回はサラっと流しますが別で凄くこまか~~~~~~~~~~~く書いてるのでいずれ載せます。

12/30追記
私、今年10月、口内炎真っ最中に軽い帯状疱疹になりましたが、後で、実は若年の帯状疱疹は免疫低下で癌の予兆の場合も多いと聞きました。
治った後にでも、検査したほうがよかったと。
実際、私はその段階ですでにがんだったので、もし50歳以下で突然帯状疱疹になった人がいたら思い出して欲しい。
検査して何事もなければそれが一番だから。

12/19追記
昨日、リンパ節も切る事になりました、て電話連絡があって、その時はちょっと取りますね、くらいの話だと思ってたけど首の左側かなり大きくT字に切って色々確認して、場合によっては神経とか動脈とか撮ったりする可能性もあって、一生左手を上に上げられなくなったりする可能性があるし、首の左側の脂肪細胞取るから一生左側だけ細くなるんだって。
舌の部分切除は時間かけて受け入れてどうにか空元気出来る位になってたけど、急すぎて限界来て、今めちゃくちゃに泣いています。
怖い。誰か助けてほしい。病気なんて嫌いだ。助けて……。ジャンボリミッキー踊れなくなるのもぜったいやだ……


今回の経緯は以下の通り。

●発症から発覚まで
Xで自己検索する限り、8月22日くらいには口内炎が治らない、と呟いてました。3ヶ月と書いてるけど多分これは盛ってる。
その後も歯医者に通い、原因になっている奥歯の崩れに詰め物してもらってはまた取れて、を繰り返す。
恥ずかしながら若いのに部分入れ歯を入れることになり、おじいちゃん先生はそちらに集中しながら口内炎に何か薬塗ったりステロイド軟膏くれたりしてました。
それでも治らないので9月中旬に入ってから更に痛いと訴えたところ、近所の小さい口腔外科で薬処方してもらいなさいと紹介状が出ました。
早速電話したけど予約がいっぱいで、やっと取れたのは10月半ば。
そこまで我慢できない、と口腔外科を探し、職場近くに口腔外科を備えた割と大手の歯科を見つけて、すぐに予約も取れたのでそこを受診しました。
初受診は9月末。

その段階で、もしかして舌癌では?と不安があったので担当医Aに、口内炎が一月以上治らないこと、前の医師から紹介状が出たがあて先の予約が取れないのでセカンドオピニオンも兼ねて来た事、舌癌ではないか不安に思っていることを説明。
その時の説明では、奥歯に欠けがあるからそのせいだと思われるのでギリギリまで削って銀でブリッジを入れましょう、ということに。
また、口内炎が腫瘍になるには1.2年かかるので問題無いでしょう、と言われ、欠けが当たって痛いのは確かだし、前に2週間以上はよくない、と聞いたのはかなり昔のテレビ番組(多分たけしの本当は怖い家庭の医学)だから今の研究ではそうなのか、と納得。
2件の歯科医に同時に行くのは駄目なのでここ以外は行かないように、とも念押しされる。

そこから一ヶ月で義歯の作り直し、ブリッジなど自己負担六万ばかりかけて処置をしてもらうも口内炎は一向に治らず。
詳細は現時点では諸事情で差し控えるけど、口内炎が本当に痛くて治らないことは診察の度に伝えていた。
10月上旬くらいか、突然口内炎の横にさらに2つ口内炎が増え、不安になってまた相談すると、ブリッジに入れた銀が原因の金属アレルギーだと思うのでここまでに六万でつくった義歯などをやめて保険診療外の素材に変えれば治りますよ、と言われる。

実際、私は軽い金アレがあるし、プロが言う事だし、癌と思うのは怖いので、その言葉を信用して薬を塗られることも処方されることもないまま我慢してしまいました。
今思えばあの先生口内炎はほぼ見もせずに言ってたなぁ……。

保険診療外はいくらかかるかも解らないしお金はないので全て保険診療で、と依頼。 11月に入ると予約が全く取れなくなり、やっと取れた予約は11月20日。 
10月末にできあがった義歯について、11月頭に痛いと訴えたけど、痛くても慣れるまで我慢してつけて下さい、と言われたものの義歯の金具が口内炎に引っかかる地獄の痛みに3日で断念。

痛みが増すばかりのまま予約日を待ち望んでいた時、前の歯医者で付けた詰め物が取れたので19日に予約無しで病院へ。

担当医がいなかったので正直な気持ちこれ幸いと別の先生に診てもらい、口内炎について訴えたおかげでこの辺りも今は差し控えるけど即座に紹介状が。
その時の一目見た瞬間の別医師の反応で、あ、これやっぱりやばいやつだったと確信。

途中でバトンタッチした担当医に最初はその病院と親しい、親知らず抜歯頼んでる病院や自宅からめちゃくちゃ遠い総合病院を提案されたけど、通院が大変だし、以前入院して良かった自宅に近い大学病院を希望。

●大学病院での審査から結果告知まで

大学病院に電話したら予約はいっぱいだけどその内容は急いだほうが良さそうなので朝一番に来て待てば診察可能との事。
上司にやばさを匂わせて翌日の休みをもぎ取り翌朝早朝から病院へ。
2時間くらい待って顎口腔科で、金属アレルギーと言われたのでそうかも知れないんですが、と言いながら診てもらった。
舌を見た顎口腔科の先生が、うわ、て顔をした後即座に耳鼻科にまわされる。
実は舌癌は耳鼻科担当らしい。
そこでは金属アレルギーはありえない、確実に腫瘍なので検体取ります、と言われ麻酔されてメスで一部切り取り、電気で止血。超痛い。
かなりしこりが硬いし、悪性の可能性が高いですと言われ、26日に結果を聞きに来て、悪性の場合に備えて27日のPET検査、12/9にMRIの予約を先取りされて不安と恐怖が増していく。
少し待って止血の状態確認したのち、血液検査とCTスキャンへ。

その後再度耳鼻科に戻り、当日でわかる血液は特に問題は無いけど若干血栓傾向があるので27日に足の超音波も撮りましょうと言われ、終了。

全て終わり、18000円↑の支払いして、近所の神社にお参りしてから帰宅する頃には14時過ぎていたけど、ショックと痛みと疲労で食事も取らず倒れるように寝た。
夕方に一度起きて別の神社に参り、買い物したけど食欲もわかず、そのまま就寝。
翌日は出社し、働くけど心中は不安ばかりで落ち着かない。

私はコールセンター業務だけど刺激を与える事で進行するのでは、という恐怖に加え、昨日検体取られた所がめちゃくちゃ痛くて喋りにくいし、食事も取りにくい。
検体を取った場所の痛みに加え、精神的なこともあるのか舌の表面が痛く、醤油や酢が染みる。

この時もともと飲みに行く約束していた友達と、焼き鳥屋をやめて大戸屋に行き、米は痛いと実感しながら今回の事を話してやっぱり泣いた。

別れ際にハグを頼みたかったけど気恥ずかしくて頼めずに後悔した。(後日ハグした)

それからの日々は、いつもはもちづきさんの半分弱くらいは食べられる女なのにあまり食欲はなく、野菜類と鯖缶をみじん切りで煮てすりこぎで潰したものを食べるが粒やサバの小骨が腫瘍に当って痛く、食べにくい。

そこで、以前同僚が言っていたバーミックスを検索してみたがあまりの高額に断念し、同時に出てきた山善のハンドブレンダーがセールで2000円台になっていたのでAmazonで購入。

これは大正解で大活躍してくれてます!詳細は対策の方のノートで!

食事はどうにかなったけど、寝ようとすると色んな事が気になって調べてしまい、同じ舌癌ステージ4のジバさんのインタビュー動画にたどり着いてから初めて涙が出て泣きじゃくった。

実はこれまで、まだ涙ぐむくらいで泣けていなかった。
実感が無いと言うより混乱と不安の中で、途方に暮れている感じだったと思う。

まだ結果は出ていなかったけど、とにかく不安で、怖い。

癌だったら?私を溺愛してる母になんて言えばいい?
絶対に母は半狂乱になるし、泣かせてしまう。
自分もいっぱいいっぱいな中、どうにか母を宥めないと、でも癌だなんて言いたくない。
癌でありませんように、とひたすら考えてました。

とにかく怖くて、死ぬのも舌を切除するのも怖いし、それによってきっと失業するから生活はどうすれば?
生活保護の金額を調べてみたけどこれじゃ生きていけない金額。 しかし今の給料もワープア一歩手前で、計算した傷病手当1カ月分が生活保護より少ない。
雇用保険も生活プラス医療費には到底足りないし、3カ月のみだし、しゃべれなくて就活出来なければ延長措置は出来るけど給付されない。
失業者向けの家賃補助も同様。
障害年金は障害が起きてから1年半たたないと申請出来ない。
障害者手帳が貰えたら障害者雇用枠で探せる?
障碍者手帳を貰うには医師の意見書が必要なら書いてもらえるか確認しなければ。
口内炎の痛みを我慢して仕事で喋り続けた結果舌癌になったのは労災にならない?労災になったら退職後も医療費は出る?
抗がん剤で腫瘍を小さくしてから手術するケースを読み、手術は早くて年末と言っていたから私もそうやるのかも?
それなら髪が抜けてしまう。
今私は腰位までのストレート染色無し(お金なさすぎてオイルのケアとかはしてるけどカットには行ってない)なので、それなら抗がん剤の前にヘアドネーションして同じ病気の子供に役立ててもらうのもいいかもしれない、とかも考える。
ともかく布団の中で対策やなんかを必死に考え、検索し、次回先生に確認しよう、などと考えるうちに夜が明けた。

この頃から、精神安定剤に推しのぬいぐるみ(刀剣乱舞の蜂須賀虎徹のもちもちマスコット)を家にあったお守り詰め込んだスタバの桜ポーチに入れて持ち歩き、デスクに置いた。
不安で仕方なくなった時に顔をみたり抱きしめると落ち着いた。

毎日あまり眠れない中仕事をし、液状の食事を摂り、どこか現実感が薄いまま生活する。
とにかく心細くて、誰かにそばにいてぎゅっとして欲しいと人生で初めて思う。
こういう時は結婚してたら側にいてくれる人がいたのにな、と感傷に浸った直後にTLへ妻が癌にかかった場合離婚を選ぶ夫が多い、と流れてきて微妙すぎるタイミングにしょっぱい顔になった。

検査結果待ちの一週間、私はこれから楽しみな予定も約束もこんなに一杯あるんだから癌なわけないじゃん!という謎のポジティブと、色んな事件やニュースや過去の経験から、凄くいい人や子供産まれたばかりだったり楽しい予定を心待ちにしていた人達が事故や事件や病気で亡くなる現実も突きつけられて沈み込んだりを繰り返す。

結果の出る前日から異常に涙もろくなり、優しくされたりちょっと悲しい話を聞いたり、一人でじっとしていると仕事中でも涙が出てくるようになり、トイレではずっと泣く状態。
廊下を歩きながら泣く事もあり、かなり迷惑だったと思う。

病気と、同じくらい今後の生活、親の反応、すべてが不安。
結果当日、14時まで働いて早退し、病院へ。
途中の電車でも気を抜けば泣いてしまう。 待合室で例によって1時間以上待つ間も殆ど泣きながらタイムラインを見ていたら、大好きな神絵師が再掲祭りをしていて、何回読んでも好きなコメディやエロい漫画を読み返すと不安を少し忘れられたので読み漁った。

そして遂に名を呼ばれ、既に涙ぐみながら部屋に入り、籠に荷物を入れてる最中、当然座りもしないうちに、先生から、癌でした、と。

いや、ちょっと待って。せめて座るまで待って…………。

まあ私の前に呼ばれた人は夫婦で入って扉閉める前に、大丈夫でしたよ、て聞こえたからそういうタイプなんだろうけど待って……。

●転移、深さの検査から入院準備へ

ステージは、と聞いたけどまだ解らないので明日27日のPET検査で転移してるかどうか確認、9日MRIで深さを確認します、と。 手術は20日に予約取りました、9日の後は何日と何日に来てこの検査で、今日も帰りに心電図や採血、採尿他、とか矢継ぎ早に言われる。
手術は最速で取ってくれて20日に。その後、不安のあまりメモしてきた内容をこちらからもガンガン質問。

抗がん剤は使うのか=手術が早めにとれたので、今抗がん剤を使うと副作用で手術出来なくなる可能性が高い。半月以上あるのでその間に癌が進行する可能性はあるけど、今はこのまま待って手術をします、との事。

障害者手帳については舌全摘レベルでなければ意見書はかけず、労災も無理だろうと。
一縷の望みも絶たれ、落ち込んでいるまま今日は採血と検尿して明日午後にPET検査に来て下さい、と。

職場に駄目だったので明日休ませて下さいと伝えたあと、ふらふらしながら採血にいき、その段階で既に泣いてたのを心配してくれた担当のおじさんに癌だったんです、とうちあけると凄く心配して慰められ、更に泣いた。

支払いの待合室で叔母に電話し、初めて癌になったことをうちあけ、謝りながらかなり泣き、帰りのバスも泣いてた。 食事を取る気力もなく、部屋に帰って横になり、泣きながら寝たり起きたりして、必死に対策や今後の生活をどうすればいいか調べ、結局ほぼ眠れず。

明らかに鬱状態だし、眠れないと免疫が落ちて癌が進行するのではないかと思い、予約無しで受付可能な精神科を見つけて早朝から受診。
また泣きながら不安を話し、抗不安剤を処方される。

その後すぐに病院へ移動し、足の超音波とPET検査へ。
あらかじめ調べてPET検査はほぼ癌患者しかいないのは知っていて、待合室にいたおばちゃんと少し話をする。 
凄く前向きで明るい人で、以前肺癌を手術して治ったけど転移が見つかったそう。
自分もきっと辛いだろうに、話しながら泣く私を凄く励ましてくれた。
あの人の手術が成功して、もう二度と再発しないでほしい。私のも、他の人のも。病気や不幸な事故がこの世からなくなりますように。
ちなみに、泣きながら測ったせいか血圧が上158いって測りなおした。

PET検査はまず薬液を注入し、カーテンで仕切られた個室のリクライニングチェアで1時間安静にしながら500ml以上の水を飲む。
呼ばれたら30分くらいの撮影をし、また30分安静。
テレビはいいけどスマホは腕に力が入るから禁止。
昨夜寝てないから眠れるかと思ったけど眠れず、持ち込みOKだったもちすかを抱っこしながらぼんやり過ごす。
検査が終わると14時くらいで、疲労していたのでそのまま帰宅。
また食事も取らずに横になり、さすがに疲れていたせいか朝まで熟睡。

検査結果は12月3日、それまでの間、癌が転移してるかどうかでとにかく不安。 29日に、友人に冷凍庫にある今は食べられない大量のパンを貰ってもらい、1日のイベントのチケットを貰うために夜に会う。
そのまま一緒に酉の市やってた近所の神社へ行き、お祭り中なら神様も機嫌よく見てるだろうと平癒をお祈り。
友達が病平癒守り買ってくれてまた泣いた。

1日は今生最後かも、という気持ちと楽しさで免疫上げてやる!という気持ちで同人イベントに行き、喋ると痛いし怖いのでノートに「新刊ください」「この既刊も下さい」「めっちゃ好きです」「差し入れです」とか書いて欲しい本を買い、会いたい人に挨拶して午前中には帰路に。
一人でいると無意味に検索しては転移してた場合の話とかを見てしまい、不安と恐怖で落ち着かない中、買った本が気を紛らわせてくれる。
この頃、流動食ばかりの生活で体重が10日足らずで5キロ減。
頑張っても越えられなかった壁が一瞬で崩れた。
元の体重があるから5キロくらい、と思いきや、誰の闘病記録見ても入院中に10キロ痩せた、とある。
さすがにここから10キロ落ちると良くないし、前にデブのほうが闘病に強い、と見たので人生初のデブ活開始。
しかし流動食ばかりではなかなか増えないし、増えてもすぐ減りつつぎりぎり−4.8くらいを維持している。

そして2日からまた働く。 同僚が烏森神社の癌封じのお守りと、こたつソックスをくれてまた泣く。
結果が出る3日は早退して病院へ。
終わった後になんも食べれない可能性を考えて、サイゼでポタージュと、残す覚悟で焼きチーズミラノドリア注文。
冷めるまで待ち、ほんの少しずつ掬って慎重に口に入れ、水で流し込む形で、途中痛みに悶絶しながらも辛うじて完食。
前は余裕だった量が胃がいっぱい過ぎて気持ち悪くなるけど満足感と達成感は凄かった。ちなみに翌日、体重が600グラム増えたw
カロリーやばいw 平常時にワインとアロスティチーニの締めとかに食べてたらそりゃ太るわwwwwwww いや、治ったら気を付けよう、ほんとに。

その後病院へ。
不安でまた落ち込みながら受付に行ったら先に入院検査回ってきて!閉まっちゃうから!と言われ、結果の先延ばしに不安になりながら採血や心電図、採尿、レントゲン等に走り回る。
もともと転移がなければ予定通り入院、転移状況次第では手術すら無理かも、と言われていたので、転移がないから入院検査なのか、もしや結果が悪くて即入院なのか怯えつつ回る。

採血の看護師さんが、告知の日の泣きながら採血に来た私を覚えていて、優しくされてまた泣く。

そして診察室へ。

今回は座るまで何も言われず、余計不安になりつつ聞いたら、転移なし! 安堵のあまり気絶しそうになったし、その場で入院や手術の日程が決定。
9日のMRIで腫瘍の深さ確認のあと、11日に全身麻酔のレクチャーやMRI結果を聞くことに。
癌であること自体は変わらないけど、転移が無いことで物凄く安堵する。
ただ、PET検査では小さい転移は見つけられないことや、切ってみるまでわからないことも説明される。
また、前回の告知日に不安のあまり矢継ぎ早に質問しすぎたことを謝罪しておいた。

また、母に遂に伝える。
ラインのグループビデオ通話で、母、叔母、私の3人で話した。
叔母から既に柔らかく伝えてくれてて落ち着いて話せたけど、やはり泣かせた。
ただ、転移が無いことは喜んでくれたし、ジバさんの動画を少し見せて、ステージ4でもがんばればこれくらい話せる可能性がある、と安心材料追加。
喋ると痛いので30分位で通話を終える。

そこからは入院準備や、19日夜に予定してたツイステのコラボディナーに代わりに行ってくれる人を探したり、奇跡の九連休に実家の広島に帰ったついでに京都に寄って会う予定だった友達にごめんねの連絡やホテルのキャンセルしたり、部屋の掃除やいざという時のためのグッズ類の整理に処分とかなり忙しい生活の中、食べられる物を求めるポストにたくさんの人が答えてはげましてくれたり、欲しいものリストからも色々送ってもらえて優しさにまた泣きまくる。

Xでも優しい言葉をいただき、その度に泣きながら地道に支度を進め、隙間時間で同じ病気の人の動画やブログなどを読み漁る。

つくしラボ様は、私より多分少し軽めの手術を受けた方で、入院中、退院後の食生活について詳細な記録があり、それを読んで慌ててお茶以外の具無しスープやこぶ茶類を買い集めた。

●仕事についての事

私は契約社員の電話オペレーターで、当然喋るのが仕事なので、正直詰んでいる。
なんとか事務的作業、なんでもするから働かせてください!と千と千尋みたいに言っているけど遠回しに自主退職を求められている。
しかし働けなくては治療も生活も出来ない。
せめてある程度動けるようになるまで猶予が欲しい。
医師曰く、順調に行けば28日に退院、デスクワークなら14日からは復職可能、でもあんまり喋らないように、と言われていてそれも伝えたけど、14日から電話に出て、喋れないようなら白神さんもいづらいだろうし帰れば?と。
いや、別に居づらくないんで座らせといて下さい!
てのが正直な気持ち。
メール対応とかさせて貰えないか今日聞いてみる予定。(ダメだった)

私は、実は営業系にすごく向いてることが今の仕事で判明しました。
10万以上の金額の個人契約の解除希望者を、1ヶ月で70件以上電話引き留め成功したので、その方面で1月から転職探すつもりではいました。

●入院間近の動向

ずっと流動食だったけど徐々に食べられる固形物が解って来て、なんとか食べられるものを探したり、退院後、体力がない時にすぐ流動食を作れるよう冷凍野菜や肉、果物の準備したりする合間で、出来るだけ沢山人と会いたくて我儘を言う。
近所の友達がHARBSのチーズケーキとお茶を奢ってくれて話をしたり、子育て中でなかなか会えない長年の友達にも我儘言って、共通の友達とお茶を飲み、ずっと通ってた居酒屋に3人で行って二人が食べるものを少しずつ食べさせてもらったりした。 ノンアルコールビールは炭酸が染みてだめだったけど、刺身が本当に美味しくて、固形物が少しずつ色々食べられるのがめちゃくちゃ幸せだった。 今まで自撮りはコスプレくらいでしかしなかったけど、お願いして3人で写真も撮った。
居酒屋の大将と奥さんにも流れで病気の事を話し(いつも大酒飲んでるのに茶ばっかり飲んでたので)治って飲めるようになったら絶対来ます!と約束したり。
いきつけのカフェでモーニング頼まずにチャイだけ飲んで、入院前日も行ったし、年始も早くから営業するらしいのでそっちも退院したら行く約束したり。
私としては大げさに騒いで騒いでたら結局大した事無かった!アホやん!
みたいなのが理想なので割とペラペラ人に言ってしまっている。
というか不安で話してしまう。じっと黙っていられる人は本当に強くて凄いと思う。私は不安で怖くて、誰かに慰めて欲しいし、ダメだった時には私がここにいて、頑張って、ダメだった事を誰かに知ってて欲しい。

ちなみに入院前日朝、病院から電話が来ました。
「切除は舌だけの予定でしたが腫瘍チームと会議した結果、念のためリンパ節も取る事になりました」

これ知ってる。ジバさんが言ってた。手術の時に念のためにリンパも取ったらそこに転移してたってやつ。
それ聞いて、舌だけで大丈夫かなって少し不安だったから、むしろここで取っ手病理に回してくれるのは、後だしで解るよりずっといい、と前向きに考える。
でもやっぱ首切るのも怖いね。フォロワさんがたいして痕も残らないから大丈夫だよ!と教えてくれたし、ダイソーのファンデシートは帯状疱疹きれいに隠してくれるからいざとなったらそれを使う!頑張るよ!

そして入院前夜は、母と叔母とまたライン通話で話した。
やっぱり心配を掛けたけど、すっごく深刻そうに「入院中7~10キロもやせちゃうんだって……」て言って二人が悲しい顔した所で、「私実は今標準体重+10キロ(実際は減ったからもっと少ないけど)だから丁度良くなっちゃうんよ!リバウンドしないようにして美人になるわー!」とか言って笑わせもしたし、やっぱり3人で鳴いたりしたけど二人の飼ってる猫も見れたし、通話して良かったと思う。
ちなみに滅茶苦茶仲の悪い兄も私の病気を母から聞いて「東京まで行って付きそいする」とか言ったらしい。とりあえずあんたは先に借金返せw
とは思いつつ、今日年賀状買ったから院内から10年ぶりくらいの年賀状を兄に出します。

そして入院当日の今日。
看護士さんと楽しく会話しつつも、やはりノートを纏める為に今まで書いたものを読み返しながら一人で泣いてしまった。
物凄く不安。
親の付き添いも遠方だし断って、一人きりで手術と入院に臨むけど、不安で怖くて、寂しい。
誰かが傍にいたって手術室にはついてこられないし、会話だって出来ない。
でもやっぱり心細いね。家族が付き添ってくれてる人がうらやましくなってしまう。
でも皆同じ様に不安で、怖くて、頑張っているので私も頑張ります。
どうか応援してほしい。
手術そのものもだけど、この先の転移や再発が、本当に怖い。
再発しませんように。喋れるようになりますように。
仕事が見つかりますように。生活保護は出来れば受けずにいけますように。15時位から手術らしいので、見知らぬ女がどっかで頑張ってるのを、3秒位でもいい、祈って応援してくれたらうれしいです。
この世から病気や不幸な事故や事件がなくなって、人間が皆ちゃんと順番どおり、苦しんだり貧しい思いをせずに穏やかに老衰で逝ける世界になりますように。

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