008.【闘病生活】この言葉への違和感
わたしは、約6年前に父を肺ガンで亡くしました。
父が体の異変に気ついた時にはすでに手遅れ…「ステージ4」でした。
父の病状は「抗がん剤による延命治療しか成す術がない」と医師に言われ、日本の医療の限界を目の当たりにしました。
「病気」と「闘う」という概念
日常、社会全体に浸透しているフレーズだけに今まで気にしたことはなかったのですが、父の入院生活が始まったことにより私の中で「闘病」というキーワードについていろいろと向き合うきっかけになりました。
調べてみるとそもそも、「闘病」という言葉や概念は比較的に近代使われるようになった言葉のようで、明治以降日本に西洋文化が流れ始め、昭和初期以降から西洋医学が取り入れられるようになったことがはじまりのようです。
「病気って闘うものなのか?」
これがわたしの心の中にできた問いでした。
◎戦後、日本は西洋医学「対処療法」が病院で取り入れられました。
対処療法とは…
例)
・痛い症状→痛み止め治療や投薬
・高熱の症状→解熱治療や投薬
・かゆい症状→かゆみどめの治療と投薬
これに対して、東洋医学は「根本治療」により、その症状や病気になってしまった原因を探り、その要因から治療を考える。
例)
・この痛みは、人の感情や体内のバランスの乱れからではないか。
・このかゆみは、環境や食生活が原因ではないか。
身体の症状として、もしもかぜで熱が出た場合に、
本来は体の回復機能として、人間本来の機能として備わっているのは、体内で熱を出して、不要な体内に生息する菌を死滅させるために、体温を上げているという機能が働いているはずです。
それを「熱が悪い」という考え方だけに偏ってしまうと…
「解熱剤」を投薬し、「熱を下げた状態」を維持しようという思考に偏ります。薬によって体温が下がってしまった時の体内のウイルスはどうなってしまうのでしょうか・・・。
西洋医学が日本では「当たり前」となっているので、
もしも日本人が、「病院へ行けば病気が治る」と信じて疑わない。そういう概念しか知らない場合、どうしても病気に対する考え方に偏りが生じてしまうのではないでしょうか
対処療法のみを信じた場合、「病気は闘うもの」という概念に、何の疑いも持たない人がどんどん多くなってしまうように思います…。
体に生じる「痛み」や「症状」には、本来その痛みをを引き起こす【要因】が必ずあるということをまずは知るべきだと思うのです。
その要因に対して、「闘う」姿勢を植え付けてしまうような、この「闘病」というキーワードが「病を敵視してしまう」火種になっていないでしょうか。
病と闘うという見方は、「体の内側からのメッセージ」を拒否し、病は「辛い」「苦しい」などのネガティブな側面しか観ていない偏った思考を生んでいるように思うのです。
きっと身体の痛みって、闘うものではなくて
・「無理し過ぎて頑張り過ぎてるから休みましょう」とか
・「ストレス抱え過ぎてるから、リフレッシュしましょう」
というようなメッセージを、【痛み】や【病気】を通して気づいてもらうために、体からの重要なお知らせのはず。
向き合い方が大切ではないかと思います。
今まさに大変な病気をされていて、辛い思いをされている方には、受け入れ難い言葉かも知れませんが…
病気は、向き合って「寄り添うもの」
以下はほんの一例ですけど…
例えば、
・面倒くさがりの人は「腰痛」になりやすい
・食べ過ぎたり、ストレスは「胃腸」に
・真面目な人ほど「リウマチ・神経痛」に
・あまりにも考えすぎたり不安がたまると「頭痛」に
こんなふうに痛みや症状から、その人の「物事の考え方や生き方」に対する偏りががだんだんと視えてきたりするものです。
何事もバランスが大切です。
体の不調や痛みは、体からのメッセージではないでしょうか?
無理しすぎたり、過度の緊張状態、不安状態、ストレス、そして何かの感情を抑えていたり、食生活や生活習慣ももちろん関係します。
報道はされませんが‥
奇跡的に「がん」が消えた!
という症例も探せばいくつもあります。
これは医療だけに頼るのではなく、その人自身が「がん」の原因と向き合えたからではないでしょうか。
大きな事故や病気を経て、「人が生まれ変わった」かのように人格も性格も変わって、生き方そのものが変わった方もいます。
そのような方は、病気と闘うどころか【事故や病気へ感謝】をしています。
難病やがん細胞も、1万回ありがとうを伝えたら消えた。
という奇跡のエピソードも世の中にあります。
気づきが深まると見えてくる世界が変わるのではないかと思います。
病気との向き合い方ももっと広い視野で見つめ直すと、「辛い」「苦しい」「闘うもの」ということではなくて、何か今までと違う「命への感謝」であったり、「何か大きなもの」にふと気づかされることはないでしょうか。
もっと自分自身と向き合うことができたら、病の本当の原因にたどり着けるのではないかと思うのです。
…もしもこのメッセージが、何かの気づきのきっかけになれば幸いです。