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【悪性リンパ腫・闘病記㉑】裸一貫

-前回の記事はこちら-

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怒哀に満ちた感情に支配されながらしっかりと看護師との Hな夢を見て、しかし看護師さんからのHな誘惑を「あ、そういうの大丈夫です」と断ってしまい、己の男性としての機能や尊厳を疑問視して目を覚ました私はNetflixで相撲映画「サンクチュアリ-聖域-」を見ています。裸の男と男がぶつかりある姿に胸が熱くなっております。自分の精神状態がよくわかりません。

無菌室に入って1週間が経ちました。抗がん剤の影響でここ数日は宇宙にでも行ってきたのか?と錯覚するくらい身体が重く、体重も5キロほど落ち、低血圧で眩暈がする日々を過ごしておりましたが、今日は幾分か体調がマシです。この1週間は肉体的にはもちろん精神的にかなり苦しい時間でした。あと数日後にインフルエンザ並みの高熱が数週間続くみたいなのですが、もはや肉体的な苦痛によって精神的な苦痛が緩和されるならそっちのほうが良いと考えてしまいます。今回の記事は普段の闘病記とは少し毛色が違う、私が思うがままの散文になることが予想されます。オチがつけられない可能性が高い。ただ、人生をウダウダと語る元気を少し取り戻しましたので、ご興味ある方は是非、寛大で温かい心を持って読み進めて頂けると幸いです。



もうご存知の方もいらっしゃると思いますが、無菌室に入って2日目、病気が寛解するまでは花仕事はやめた方が良いと主治医から伝えられました。病気や治療の影響で退院後も免疫が落ちること、さらに土壌や植物には原因となる細菌やカビが大量に含まれているため重篤な感染症を引き起こす可能性が高く、毎日触れ続ける仕事となると推奨はできない、とのことです。これでも3年ほど花の世界に浸かりましたので、主治医が言っていることが決して間違っていないことはすぐに理解できました。割れた花瓶で手を切って流血をしたり、ハサミで手を切って傷口を膿ませたり、冬場でも暖房をかけられない環境下で身体を壊したり、華やかな雰囲気とは裏腹に花屋の仕事は肉体的にとても過酷なのです。

しかし、「自分は花屋である」という自負は私の人生を多分に助けてくれました。と言うのも、私の社会人生活は遡ればボロボロで、1社目を適応障害、2社目を双極性障害(躁鬱)と診断されて退職しています。今のご時世、精神科に行けば割と簡単に診断書を出してもらえるのは理解の上で、それでもあの頃の私は今の私から見ても目を逸らしてしまいそうなくらい生きていることが辛そうでした。紛れもなく社会不適合者でした。そんな私が間一髪で二本足で立てるようになり、社会と適合できると実感したのは花の仕事に出会ったからでした。

花というレンズを通して世界を見ると、少し雰囲気が優しくなると言いますか、大雑把ではありますが人生の儚さと素晴らしさを感じられるような気がして、私はこの仕事が好きです。

おそらく、白血球の値が元に戻るのは1〜2年だと思われます(再発せず、うまく行けば)。だから永遠の話ではないので治るまで我慢しろ、って話ではあるのですが、いかんせん花屋になるまでの過程での紆余曲折がこれからの人生を不安にさせるのです。

「え、お前、花屋以外にできることあんの?」

みたいな自問自答が繰り返し繰り返し頭を巡りました。体力が落ち、金が無くなり、髪も抜け、眉毛も抜け始め、好きだった仕事までもがポロポロと溢れ落ちていく。とても残酷です。

「こんな経験をしている人はそうそういないから、絶対この経験を活かして人生を好転させてやる!」

と自信を取り戻したと思えば、

「こんな経験をしたからこそ、もう終わりだ」

とメンタルがどん底に落ちることもある。

「あなたより苦しい人が他にいるよ」

とメッセージをもらえばめちゃくちゃに腹が立ちました。

「若いから大丈夫だよ」

一番大嫌いな言葉です。

当事者の苦しみは結局当事者しか分からないんですね。これからどうしたらええんや、と八方塞がりになってしまい泣いてしまいました。



そんな怒哀に満ちた感情に支配されながら泣きつかれた私は夢を見ました。ちょうど眠りについた頃と同じ時刻くらいに、とても見た目が魅力的な看護師さんが病室に入ってきました。猫目な吊り目の美女でした。こんな看護師さんいたかな?と思いながら、話を聞いていると彼女は突然「Switchでマリオカートをしようよ!」と言ってきました。二人でマリオカートをしていると、彼女は突然肩にもたれかかってきて、「ねえ、こっちを向いて」と言ってきました。健全な男子であれば、その生ぬるくて甘い匂いの吐息に耐えうるこはできずに喜んで彼女の手玉に乗るのが通説だと考えられます。それに夢の中ですからね、押し倒しても文句は言われないでしょう。しかし私は「あ、そーゆーの大丈夫です」と彼女を押し退けてしまいました。

その様子を後方から眺めていた私の自意識は、夢の中の私の判断に大変驚き、私自身を叩き起こしました。目を覚ました私は洗面台で顔を洗い、夢であるにも関わらず男子として健全な態度を取らなかったことに不安を覚えました。だって、夢ですよ?。長く苦しい闘病生活、夢でくらい美女とちちくりあっても誰も咎めてきませんよね?。夢診断で「夢 美女 誘い 断る」と検索したところ、「強い責任感に囚われている証拠」と書いてありました。昨夜、Threadsにて上記のエピソードを紹介したところ「彼女さん思い!良い彼氏さんですね」的なコメントが散見されましたが、違う、そうじゃない!。当の彼女さんにこの話をしたところ「男としてその判断は大丈夫なのか」と言われました。そうです、夢の中にも関わらず美女の誘いを断ってしまうほど、私の精神は追い込まれていることを訴えたかったのです。

なんとかこの状況を打破したいと考えた私は、Netflixを見ることにしました。先日、「地面師たち」を鑑賞して豊川悦司の演技に戦慄した私は、流行遅れでNetflixオリジナルのドラマが面白いことに気づきました。そんな私の目に映ったのは、「サンクチュアリ-聖域-という相撲映画です。

体は屈強だが、投げやりな性格の青年が相撲部屋に入門。力士になった彼はとがった振る舞いでファンを魅了しながら、伝統と格式を重んじる角界を揺るがしていく。

「サンクチュアリ-聖域-」あらすじ

「地面師たち」で美味しそうに鉄板焼きを食べていたピエール瀧が、今作でも同じように美味しそうに鉄板焼きを食べているシーンを見た時は「高血圧になってしまえ!」と思ったものでございますが、武器も持たず、裸一貫で屈強な力士たちが戦う様を見ると胸が熱くなりまして、ああ、こうやってなりふり構わず生きてみたいな、強くなりたいなと非常に勇気をもらいました。本とか映画とかドラマとかって本当に不思議で、適切なタイミングで適切な作品に必ず出会うんですよね。きっと誰かのレビューよりも、本能の方が自分のことをわかっている証拠なんだと思います。



宣言通り、思うがままのことをウダウダと語る散文になってしまったことをお詫びします。あともう少しだけお付き合いください。

退院して少しずつ花屋を再開することを目標に治療に耐えてきましたが、よくよく考えてみると、私は人類を一番殺している病気「癌」に罹患しているのであって、そんな簡単に日常生活に戻れると思う方がお門違いです。怪我が理由で長期離脱や引退を強いられるスポーツ選手の姿を見ると、まだ病気が治れば復活できる希望があるだけでも恵まれているのだと思います。「花」という武器を取り上げられ、病気によって金も仕事もなくなった私は文字通り「裸一貫」です。そんな私が社会でどのように生きていくのか、ドキュメンタリー的に物語を紡いでいくのも一興かもしれません。

この世界で、私は何ができるのかな。

福岡県出身、27歳、相徳夏輝と申します。資格は普通自動車免許のみです。よろしくお願いいたします。







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