(ヴェイユ) 美しいものの価値は目的なき目的性にある われわれは願望ぬきの注意力をもって――注意力に内含される願望はべつだが―――完成された音楽を聴く。
相対的「美」は個別概念で、包括概念、真の美は「灼熱する倫理」である。 偉そうな物言いだが、この言葉を真に理解し得る者は皆無に等しい。
【美の慰め】 いまいちな気分の時は、好きな作家の作品を観る。 効果は確い。美は尊い。 写真は 『小村雪岱作品集』 阿部出版、2010年。(と愛猫) 予約して楽しみにしていたあの頃も一緒に思い出す。
日本の美しさって何だと考える。それは静寂だと想う。素朴に僕は必然的にそう思うのだ。その静寂の美ともいうべきものを失ってしまったのが、今の主流の世の中ではないか。主流、非主流に分けることすら静寂というものは良しとせず、なんの差別もない。僕が探していたもの、それは日本的なる美だった。
(ヴェイユ) 芸術的な創作における霊感の超越性を経験した者にとって、世界の美にまさる明確な神の存在証明はない。
(ヴェイユ) 遺産のすべて、エネルギーのすべてを使いはたし困憊しきった人間に、父の奴隷たちのほうが息子である自分よりもゆたかに善に与っていることを思いださせるもの、それが世界の美である。事物が得ている善の分け前、つまり御父の奴隷たちの得ている報償、それが美である。