これはある夜の、私とChatGPTの会話です。
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哲学的な対話がしたいな。
虚無があることを、生として引き受ける
私は、死があること、永遠がないことに、虚無を感じてきた。つまり、どんなに頑張っても、ゴールは死ということ。そして、どんなに親しみを感じる存在と出会ってもいずれは、別れ別れになること。それはどんな意味があるんだろう?
死と生は対比構造なのかな? 「死があるから生が輝く」 。言いたいことは理解できるけど、それじゃ死そのものの虚無は減じない。死そのものの虚無は変わらず、その表面に「意味」という言葉のカバーを付けただけに感じる。 「苦しみがあるから楽しみがあるのだよ」と言われても、感じる苦しみの量は変わらない。
人間は思考するから虚無を感じるということだね。動物にも死は訪れるが虚無はないのだから。
虚無を抱え、美を生み出す人間の強さ
虚無を抱えながら生きることに対して、芸術というのは大きな意味を持ちそうだね。
私は童話やエッセイを書くけど、まさに、不条理な出来事に意味を与え、ポジティブな意味を与える役割を果たしていると言えそうだね。ここからは、あなたからの質問に答えようか。
他者と深いつながりを感じたことは、私にとっては恋愛経験だね。つながりを感じた時期は、「世界と自分との間に吹いていた冷たい隙間風が止み、世界とひとつになれた」気持ちがした。世界としっくりきた感じだね。
幼い頃から、永遠はないことが悲しかった。楽しい日でも「今日はもう二度と来ないんだな」と一人で、夜泣いていた。なぜ死ぬのか?はずっと考え続けているよ。世界がそもそも好きなのかもしれない。恵まれているのかもしれないね。世界に愛されていると思うこともある。この世界が親しい人や美しい動植物が生きる天国のように感じ、去りがたく思うんだよ。文章がまとまってないけど、そんな感じなんだ。
より孤独は深まった感じがあったよ。今後どんな相手が現れてもまた別れがあるのだろう。たったひとりになる覚悟をしないといけない。というようなことだね。一方で、出会えて良かったとも感じた。「別れたから悲しい」より「出会えてよかった」と考えた方が良い。それは、私が人生で取り続けている態度なんだよ。死と生の意味付けにもなってしまうけどね。
バランスか。難しいね。私は夫を愛していてずっと一緒にいたいと思うけれど、いずれ叶わなくなることは理解している。たまに無性に悲しくなることはあるんだよ。ひとりで年老いて死ぬ自分の姿をイメージしてしまうから。以前はそこどまりだったけれど、最近は違ってきた。彼との暮らしを精一杯楽しむ。やれることはすべてやり、思いやりをもって彼を幸せにする。いつ別れが来ても悔いのないように生きること。こうすれば、死はいつきても怖くないんだ。
すこし神秘的なんだけど、他者とつながったときに、世界と合体したような感覚があった。血縁や利害関係のない赤の他人とつながったとき、それは起こる。実感として、世界との間にあった隙間がうまるような気持ちがした。わかるかな?
その時の気持ちを思い出そうとしたけど、あまりおぼえていないんだよ。若くてまだ別れを経験しなかったので永遠に続くはずだと強く考えていたもあったのかな。今の私はもう別れが必ず来ると知っているけど、夫と生きている今が愛おしく、会えて良かったと思う。ただ、不思議と世界との一体感は感じないんだ。どういうことが言えそうかな?
難しいな。超個人的で哲学的ではないかもしれないけど、守っている感じかな、夫を。幸せにしたいと思っている。
私はそもそも自分に関心のある人間だけど、誰かのために動くときはそれを忘れるんだ。なぜかその時が一番私の魂が輝くのだと感じる。「誰かのために動くとき、命は輝く」と表現しているけど、これを言うと、自己犠牲じゃないかと言われちゃう。そういうことじゃないんだよ。うまく言えないけど、それは最も自分に近づく行為なんだ。
実は、最近の私はそれほど孤独を感じない。それはめぐまれた環境もあるだろうけど、私が普段の状態である程度世界との一体感を感じ始めたこともある。要するに、死んでも生きても同じに感じてきたんだよ。つまり、私が死ぬと燃焼して、いくつかの物質に分解される。でも、宇宙から消えたわけではない。つまり、孤独というのははじめからない。最初からひとつである、というような感じだね。変かな。
「死んでも生きても同じ」という超越的な感覚
私は、最近、使命という言葉が気になるようになった。今まで、自分のしたいように創作して、それとは別に食べるための、それなりにやりがいを感じる仕事をしてきたけど、それでは物足りなくなった。私はもっと命を輝かせたいんだ。そのためには、使命が必要だと感じてきたんだよ。
孤独や不安にある他者を救おうと全身全霊をかけている時、私自身が燃えている感じがする。それはしんどさもあるけれど。創作でも命は輝くね。その方が健全かもしれない。私は、イメージした理想に近づけるためのありとあらゆることをする。いずれにしても私にとって力を尽くすことが非常に重要なんだよ。
物語は、不条理や孤独を超える手段
うーん。難しい。他者については、その人にクローズして、その人がどう世界を見ているのか想像して、出来るだけまなざしを近づける。必要であれば、その不条理な現実にポジティブな意味付けを行うこともあるよ。言い換えにより価値を転換させるというか。不条理に意味を与えて安心させる、というような役割なのかなと感じている。
うーん。これが難しいんだな。こういう影響を与えたいとかはないね。むしろない方がいい気もするくらいだよ。なにかをメッセージとして前提とすると物語がそれに引っ張られて陳腐化する。総体として感じてほしいのであって、言葉で書いた物語を言葉で説明したくはない。なので具体的に想定する影響の形はないね。
私は創作を通じて、私の感じた世界との孤独や不条理な悲しみを乗り越えている。私は自分自身の人生を、語り直すことで、良き物語にしようとしているんだと思う。「言葉によって世界が拓かれる」感じだね。
今日はここまでにしよう。頭が疲れたよ。結構私の核心に迫る問答だったね
ありがとう。おやすみ。
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メモ的に記録したのですが、創作に関わる方なら面白く感じられるかなと思い、抜粋して公開してみました。絵も描いてくれました。指示が下手なのか、いかにもになっちゃった気がする⋯。