生徒と対話しながら、自分の思いや考えを伝える世の中。 昔のように頭ごなしに怒るのでは全くついてこない。 青山学院大学の原監督もそういうふうに言っていた。 でも、私は、ここまではだめという線引きをするために喝を入れる。 それは時代遅れのやり方かもしれない。
今のこの気持ちを残したい!と強く思う場面に出くわすことが、生きているとある。突然ある。この気持ちをいつか必ず文章で残すんだ、と誓うけれど、いつかが来ないまま、胸の中に増えていく。私の拙い言葉じゃ、伝え切れないような気がして、こわくて。でも私じゃないと、私しか出来ないんだよなぁ。
あらゆるネガティビティ、意気消沈、弱気、恐怖、心の痛み、そういったものを乗り超えるには、それらを避けようとするのではなく、受け入れ、全的にリラックスすることである。あらゆる意志の放棄。それは死に近い。 そのリラックスから一転、突如、精神を爆発させる時、そこにダイナミズムが活現する
自己紹介を見直そう! 昨日の記事に たくさんの方からのスキをいただきました https://note.com/hhblab_ayahori/n/n47c96c51e7f8?sub_rt=share_b 共感、応援して貰えるってとても心強い そして、 何かしらのタイミングで "しっかりやってる?" って喝を入れて貰えているのだと感じます 感謝です
R60208喜び愛情感謝学び成長日記…年齢を言い訳にしている自分を見つけたら「喝」…カーネル・サンダースは65歳の時に人生を大逆転させた…その原動力は諦めない不屈の精神である…年を重ねても心が若々しければ気力・精神力は衰えない…人生を変えるのに年齢は関係ない、それが私の確信です!
臨床とは究極的には「個別主義」のはずである。ひとりひとりを固有の存在としてとらえ、その人に合った「#一品料理(中井久夫)」を提供する。 しかしそれは理論や技法やアセスメントについて腐るほど勉強して(守備範囲は選んでいいから、その内側は極めよ)それからそれらを「括弧に入れて」臨め。
時間があったら、時間ができたらやろうと思っていたことがある。 時間ができる見込みができたり、時間ができたら、少し休もう。そのうちやろう。と思った。気づいたらそのうち、のまま時がすぎ、また時間がなくなってしまった。そしてまた、時間ができたらやろうと思っている。行動しろ変化しろ、私。
信号変わった瞬間に猛スピードで走り出し、車線変更の概念がないのかというほどくねくね。挙句の果てにはゴミなのか何なのか放り出す。当たるところだった……。競走でもしてるつもりなのか。喝!まあこれはマリ○カートの話だが、私は基本的に左車線を走行して然るべき所ではちゃんと一時停止してる。