いつもと違った表情・口調で言われた彼の一言は、間違いなく当時の僕を変えてくれました!
「あらら…また食べているのですか~?」
昼食後まだ2時間も経過していない食堂で、一人カップラーメンを食べる僕に声を掛けてくれたのは、担当の男性医師。
学生のころ、スポーツに取り組んでいた僕は、細身でありながら食欲旺盛でよく食べていました。脳腫瘍(髄芽腫)が見つかって入院しても手術までの2週間ほどはお腹が減ってたまりません。
執刀医は森先生でしたが、普段は病棟にいることはなくて、この男性医師が担当医として検査をしたり相談に乗ってくれたりしていたんです。
「どうぞよろしく!お~真っ黒に日焼けしていますね~」
「あ~そうですか?毎日水上に出る(カヌーを漕ぐ)からかな…」
「何かスポーツをやっているんですね?私は卓球の国体選手だったんですよ!」
「えっ!すごい…」
「私は全然…」
森先生と、担当医になる男性医師に初めてお会いした時にそんな会話をした覚えがあります。
彼は小児麻痺だったのか?歩き方に特徴がありましたし、色自で体格も痩せていましたから、運動が得意そうには見えませんでした。(森先生はスポーツマン、担当医は運動が苦手?)
ただ、黒縁の眼鏡が激しく上下するほど爽快な笑顔で明るく接してくれるお医者さんだなとは思っていました。手術当日も、手術室で麻酔が入る前に顔を見せに来てくれて、緑の手術用手袋?に手を掛けながら、「僕も頑張るから、辛島君も頑張ろう!」と言ってくれたのは忘れられません。
開頭手術後しばらくして始まった放射線治療は、目も開けられないほど苦しくて、ほぼ寝たきりのような状態が続きました。今振り返ると、あのときが苦しいと感じた時間が最も長かったのかなと思っています。
担当医だった彼は、毎日病室に来てくれて他愛のない話をしてくれました。ところが、僕は目をつぶって顔をしかめるばかり…
ある日、いつものように目をつぶって顔をしかめる僕を見て、突然いつもと違った怖い表情・強い口調でこう言われます。
「辛島さんは苦しいときも明るく元気ですごいなと思ったんだけどな…見損なったよ…」
彼は、当時まだ高校生だった僕が、家庭の環境や進路・部活動などの問題に悩んでいるのをご存じでした。それでも、人前では常に明るく笑顔でいる僕に、大したものだと言われていたんです。そんな僕が、治療の苦しみから笑顔が消えて「もぬけの殻」のようになってしまっている…
そんな状況では、本来なら治るような症状であっても、命に関わるような一大事になりかねない。
彼はそう思って、僕に活を入れたのかもしれません。
心で泣いていても、表では苦しくないような余裕の表情・笑顔を見せる…
根性とか気合いとか我慢とか忍耐とか…最近はそういうのをマイナス要素と捉える人も多いみたいですが、ギリギリ昭和生まれの僕は意外に好きなのかもしれません。
これは病気に限ったことではありませんが…
苦しい
辛い
痛い
きつい
怖い
悲しい
逃げ出したい
そんな自分にとってマイナスになりそうな時こそ笑顔で明るくいたいです!
そうすれば、きっと未来は見えてくるはずですから。
それを教えてくれたのは、間違いなく彼の一言だったと思います。
いかがでしたか?
今回送った「僕からの手紙」が、何らかの形で、みなさんのプラスになれたら、とても光栄です!😊
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できましたら、これからもたくさん手紙を送りますので、どうか目を通してほしいです。🙇
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