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#古典がすき

古典がすきだと感じたエピソード、学習の記録、勉強法など、古典にまつわる投稿を募集します!

人気の記事一覧

共鳴*能面の泣くも笑ふも秋思かな

☆能面作りは「彫り」と「塗り」。「塗り」は能面の化粧だそうです。  能面師 麻生りり子さんの記事です。 (岡田 耕)

【漫画】「望月の歌」ってどんな意味? ー 藤原道長は傲慢な歌を詠んだわけではなかった!?

平安時代の有名人、藤原道長の和歌 ー この世をば 我が世とぞ思ふ望月の かけたることもなしと思へば ー。 摂関政治の絶頂を極めた彼が、「この世は自分のものである。望月に欠けたところがないように私にも欠けたところがないのだから…」と自らの栄華を誇りに詠んだ傲慢な歌と言われてきましたが、果たしてそうなのでしょうか? 近年この和歌に新しい解釈がなされ、私たちにこれまでと異なる道長像を見せてくれています。 この「望月の歌」の新釈は、当時の政治状況とそこに関わるキーパーソン・藤原実

『孫子の兵法』に学ぶX戦略⑪

この記事をご覧くださり、誠にありがとうございます♪ 私の記事では約15回に渡り、『孫子の兵法』のポイント解説をしております! 今回は、「『孫子の兵法』をX戦略に生かしたらどうなるか?」のオリジナル記事第10 弾となります🌟 『孫子の兵法』とは何か?について特集した導入記事(無料)はこちらです。(過去記事のポイント解説はマガジン購入がお得です♪) まだご覧になっていない方がいらっしゃいましたら、ぜひ参考になさってみてくださいね! 『孫子の兵法』は、現代のビジネスにも生

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自分の素直さが仇となりうつ病になった私が、素直が善か悪かを考えてみた✨

七海恋です✨ 突然ですが、 『西鶴諸国話』(サイカクショコクバナシ)を ご存知ですか?🩵✨ 『西鶴諸国話』は、井原西鶴が 300年前に書いたもので、 諸国の不思議な話や珍しい話をもとにしたお話が 35篇載っているものです✨ 私は、星新一のショートショートや、 こういった短編の昔話が大好きで、 私の国語の授業では、こういった短編の 起承転…まで読んで、 みんなが一番いいと思う結末を考えて、 班で発表してもらうといった アイスブレイクを行っています🩵✨ この活動は、 ワ

『孫子の兵法』に学ぶnote戦略⑮(最終回)

いつも私の記事をご覧くださり、誠にありがとうございます。 久々に、『孫子の兵法』のポイント解説に戻ってまいりました……! 実は、孫子の本編解説は終わっており、残すところは、note戦略編とX戦略線がそれぞれあと僅かなのです……🌸 今回は、『孫子の兵法』をnote戦略に生かしたらどうなるか?のオリジナル記事第15弾となります🌟 これにて、note戦略編は完結!! わーい!! 長かったですが、無事に完成出来て良かったです😭🌟 皆様におかれましては、大変長期に渡り、ゆ

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歳時記を旅する55〔きりぎりす〕前*離れたる眼と眼さびしききりぎりす

土生 重次 (平成四年作、『素足』) 元禄二年(一六八九)七月二十五日(陽暦九月八日)、芭蕉一行は加賀小松の多太神社に参拝する。 ここで斎藤別当実盛の遺品である甲冑などを拝観し、「むざんやな甲の下のきりぎりす」の句を残した。 兜の持ち主だった斎藤実盛は、源平合戦で平家の武将だった。倶利伽羅峠の合戦で敗れ、加賀の篠原で再び陣を取り戦ったが、木曾義仲軍の前に総崩れとなった。そんな中、実盛は老体(七十三歳)ながら奮闘したが討ち死にした。 句のキリギリス、離れた両眼は八方を見渡せそう

 『孫子の兵法』に学ぶX戦略⑩

この記事をご覧くださり、誠にありがとうございます♪ 私の記事では約15回に渡り、『孫子の兵法』のポイント解説をしております! 今回は、「『孫子の兵法』をX戦略に生かしたらどうなるか?」のオリジナル記事第10 弾となります🌟 『孫子の兵法』とは何か?について特集した導入記事(無料)はこちらです。(過去記事のポイント解説はマガジン購入がお得です♪) まだご覧になっていない方がいらっしゃいましたら、ぜひ参考になさってみてくださいね! 『孫子の兵法』は、現代のビジネスにも生

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歳時記を旅する55〔きりぎりす〕後*秋風や二手を合はす千手佛

    磯村 光生 (平成八年作、『花扇』)  八月五日(陽暦九月十八日)、芭蕉は那谷寺を立ち寄り、「石山の石より白し秋の風」の句を詠んでいる。  那谷寺は、本尊は十一面千手観音で拝殿の奥の岩窟内に安置されている。千手観音は、胸の前で合掌する二本の手のほかにある千本(那谷寺は四十本)の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表しているという。  秋風は色なき風ともいい、空気が一際透きとおる感じがする。句の観音様の祈りも、身に沁みとおる

三島由紀夫『古典文学読本』(中公文庫)を読む—「日本文学小史」を中心に

 すごい本です。この本の内容は、古典そのものの読解に充分馴染んでいない私のような読者にはたいへん難しいのですが、一読してみて、三島なりの日本とか日本人についての秘密を暴露したものであることを直覚させられたような気がします。  特にこの本の半分ほどを占めている「日本文学小史」と名付けられた一連の文章は秀逸です。これは三島の最晩年の著作で、『群像』誌上に昭和44年から45年にかけて連載され、未完に終わったものですが、それだけに彼の思想の到達点を一部示すものでもあると思われます。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。(『方丈記』鴨長明) 永遠に変わらないものなんてない。 すべてのものはいつかは消える。 だから 今、目の前にいるあなたが、かけがえなく大事。 また今度、は、多分来ないから、出来るだけ言わないのだ。

「玩物喪志」

「玩物喪志」「玩物喪志」は、「物を玩びて志を喪う」と訓読する。 「物」は、珍奇なものを指すが、「無用なもの」「無益なもの」という含意がある。「志」は、進取の気概を言う。儒家的な経世の思想を抱いた壮志、あるいはそのための学問に励む意志を指す。 「玩物喪志」は、「眼前の無益な享楽に熱中するあまり社会的使命や正当な人生の目標を見失うようなこと」「本来為すべきことを為さずつまらぬことにうつつを抜かしていること」という貶義の成語である。 『書経』における「玩物喪志」「玩物喪志」

「かしこさ」 VS 「こざかしさ」

「明哲保身」は、 という意味である。賢明で安全な身の処し方を言う。 「明哲保身」は、儒家的見地からも、道家的見地からも、古代中国人の賢い生き方の典型であった。 歴代の文献から「明哲保身」の用例をいくつか拾ってみよう。 北宋・司馬光は、『資治通鑑』「漢紀」高帝五年の論讃で、漢の高祖劉邦に仕えた功臣について、次のように述べている。 「漢初三傑」と並び称される張良・蕭何・韓信ら三人の功臣の中で、とりわけ張良が「三傑之首」として尊ばれるのは、「功成りて身退く」を実践した彼の

私訳『菜根譚』⑳~暗闇にこそ光明が見える

糞蟲至穢,變為蟬而飲露於秋風。 腐草無光,化為螢而耀采於夏月。 固知潔常自汚出,明每從晦生也。 糞虫は至穢なるも、変じて蝉となりて露を秋風に飲む。 腐草は光無きも、化して蛍と為りて釆を夏月に耀かす。 固に知る、潔は常に汚より出で、明は毎に晦より生ずるを。 *『酉陽雑俎』巻十七に「蝉は、蛣蜣(糞虫)の化する所なり」とある。 *『礼記』「月令」に「腐草、蛍と為る」とある。

【読書の秋2024】〜 読書のスゝメ 〜

九條です。 錦秋の10月。少しずつ秋めいて参りましたね。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。 秋の夜長に読書などはいかがでしょうか? いきなりですが…。 想像してください。ここにひとつの文章があると仮定します。詩でもエッセイでも小説でも伝記でも論文でも…何でも良いと思います。 そこに「何が書いてあるのか」ということは大事だと思いますが、それよりも「その文章によって筆者は何を伝えようとしているのか?」を理解すること、すなわち「文字だけではなくて文字に書かれていないその背

「殺身成仁」

『論語』の「殺身成仁」 「仁」は、儒家の説く最高の徳目である。 「仁」とは、人を愛し慈しむことであり、人間らしい親愛の情を言う。 孔子は、為政者はこの「仁」の徳によって政治を執り行うべきと説いた。 『論語』「衛霊公」で、孔子はこう語っている。 ――道に志す人、「仁」の徳を持つ人は、命を惜しんで「仁」を損なうようなことはない。命を捨ててでも「仁」の徳を成し遂げようとするのだ。 この章句に由来する四字熟語「殺身成仁」は、「一身を犠牲にしてでも人間らしい心を守り通す」とい

私訳『菜根譚』⑱~虎の背に乗る危うさ

進歩處,便思退歩,庶免觸藩之禍。 着手時,先圖放手,纔脱騎虎之危。 歩を進むる処、便ち歩を退くを思わば、庶んど藩に触るるの禍を免れん。 手を着くる時、先ず手を放つを図らば、纔かに虎に騎るの危きを脱れん。

11月1日は、古典の日。 『紫式部日記』の1008年(寛弘5年)11月1日の記述に源氏物語に関する記述があり、これが日本を代表する古典文学である源氏物語についての最初の記録であることから、この日に。 アバタローさんの古典の名著解説が好きで、よく聴かせていただいてます。

歳時記を旅する54〔西鶴忌〕後*秋澄むや殿の並びし寄進札 

磯村 光生 (平成七年作、『花扇』) 『日本永代蔵』(一六八八年)の菊屋の善蔵という質屋の話(巻三)。     人に情けをかけることをせず、神仏へ願いをかけることも考えそうにない男だったが、初瀬の観音を信心して急に通い始めた。菊屋は「戸帳がひどくいたんでいるので、私が寄進して新しく掛け替えましょう」と言って、古い戸帳を譲り受けた。この戸帳の唐織は貴重なもので、大切な茶壷の袋や表具切れとして売って、だいぶ金銀を儲けて家が栄えたが、後には、昔よりおちぶれて、京橋で、下り船を目

私訳『菜根譚』㉒~耳に痛い忠言 VS 耳に快いお世辞

耳中常聞逆耳之言,心中常有拂心之事,纔是進德修行的砥石。 若言言悅耳,事事快心,便把此生埋在鴆毒中矣。 耳中常に耳に逆らうの言を聞き、心中常に心に払るの事有りて、纔かに是れ徳に進み行ないを修むるの砥石なり。 若し言々耳を悦ばし、事々心に快ければ、便ち此の生を把りて鴆毒の中に埋在せん。

私訳『菜根譚』⑮~頑張りすぎない生き方

憂勤是美德,太苦則無以適性怡情。 澹泊是高風,太枯則無以濟人利物。 憂勤は是れ美徳なるも、太だ苦しめば則ち以て性に適い情を怡ばしむること無し。 澹泊は是れ高風なるも、太だ枯るれば則ち以て人を済い物を利すること無し。

鑑賞*笛吹川の風美しき九月かな

佐野 聰     川の流れを眺めながらも対象物との間に時間の流れを置いて笛吹川を透かし見ている。     笛吹川、なんとも美しく一度聞いたら忘れられない名前である。     その名前の由来は悲しく、六百年ほど前、父を追って住みついた笛の名手の権太郎と母が秋の長雨による洪水で流されて…という悲話が言い伝えられている。     悲しい気持ちのときほど空や風の美しさが身にしみる。 (岡田 耕) (俳句雑誌「風友」平成二十四年一月号 「風友」五周年記念大会吟行記「笛吹川の風美し

おはようございます 果報は寝て待て。焦ってもダメな時は改善できるところをして時期を待つ。 今日は水色💙が開運の鍵🔑 いつも多くのスキ💕ありがとうございます😊 今日一日良い日良い出会いがありますように〜

「平安オタク」だったJK時代は枕草子を漫画に二次加工していた

今は、まごうことなきBBAだが、私にも女子高生時代があった。白いシャツにネクタイを締め、ボックスプリーツのスカートをはいて、毎日赤い名鉄電車に乗って通学していた。 当時、流行していたのはアムロちゃんだった。はい、年齢がバレますね。 ギャル女子高生の多くはシャギーヘア。こんがり焼けた顔に、釣り上がった眉を乗せたメイクが流行していた。 私はというと、くせ毛で頭髪がもじゃっぴー。シャギーヘアを再現するのは不可能だったので、諦めてひっつめにしていた。 そんな流行に乗り切れない女子

大河「光る君へ」〜望月の夜〜

おはようございます。 ミュルアです。 昨夜は、大河ドラマ「光る君へ」第四十四回「望月の夜」をご覧になりましたか? 1年近く待ちに待った【望月の歌】がやっと登場しましたね。 平安時代の摂関政治を象徴し、藤原道長の栄華を誇った歌として有名でしたが、昨夜の放送では、これまでとは異なる解釈だったように思います。 【月】と言えば、【后】を表わすことから、道長の娘3人がすべて天皇の后になったことを寿ぐ歌のようにまず感じました。 今まで散々言われてきた傲慢さは感じませんでした。 もし

どうして茅の輪をくぐるのか(その3)

【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その1) 【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その2) この菅貫神事は現在の宇佐神宮でも、7月31日、8月1日、8月2日に斎行される御神幸祭(夏越祭り)の中で行われています。 菅貫神事の流れは文字ではわかりづらいので動画でも確認しましょう。  菅貫神事は動画の8:05から3分程度収録されています。(宇佐市観光協会ツーリズムTV 平成25年8月2日収録) 動画に出てくる字幕を以下に書き出します。 ここで押さえておくべきは、「神

なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし。 うつくしきもの (枕草子 第百五十一段 清少納言) これ、イヤリングなのですよ。こんなに小さいのにすみずみまで完璧に はさみのカタチです。 小さくて精巧な物を見ると「可愛いーーー!!!」と気分が上がるのは 1000年前からずっと。

私訳『菜根譚』⑲~たくみな人心掌握術

恩宜自淡而濃。 先濃後淡者,人忘其惠。 威宜自嚴而寬。 先寬後嚴者,人怨其酷。 恩は宜しく淡よりして濃なるべし。 濃を先にして淡を後にすれば、人は其の恵を忘る。 威は宜しく厳よりして寛なるべし。 寛を先にして厳を後にすれば、人は其の酷を怨む。

【漫画】平安時代の出産って? ー 大音響の中命を懸けて ー

医療のない平安時代、出産はまさに命懸け! 当時の人々にとって出産はどのようなものだったのでしょうか? 平安時代、出産で亡くなる女性も多く、母親の5人に1人が命を失ったと言われています。 また子が流れてしまうこと、産まれても幼くして亡くなってしまうことも少なくなく、母子とも健康は50%以下という説もあるようです。 当時、病気や死は物怪の仕業だと考えられており、邪気を祓うため数多くの儀式が行われました。 そうした儀式の中行われる出産はどのようなものだったのか、まずは上級貴族の

私訳『菜根譚』㉓~完璧を求めてはいけない

事事留個有餘不盡的意思,便造物不能忌我,鬼神不能損我。 若業必求滿,功必求盈者,不生內變,必召外憂。 事々個の有余不尽の意思を留むれば、便ち造物も我を忌むこと能わず、鬼神も我を損なうこと能わず。 若し業は必ず満を求め、功は必ず盈を求むれば、内変を生ぜざれば、必ず外憂を召かん。

歳時記を旅する54〔西鶴忌〕中*灯火親し句集に栞る葉書かな

 佐野  聰 (平成三年四年作、『春日』)     一六七五年、西鶴は三十四歳で、結婚して十年近くともに生活をしてきた九歳年下の妻を疱瘡(天然痘)で亡くす。  この年に「脈のあがる手を合してよほととぎす」から始まる千句近い俳諧を詠んで、大坂俳壇の俳諧師の追善句も加えた『独吟一日千句』を刊行し、妻に手向けた。     句は、読み続けた句集に手を止めたところ。栞にする葉書もまた読み返したくなる。涼しく、長くなった秋の夜。 (岡田 耕) (俳句雑誌『風友』令和六年九月号「風の軌跡

古事記を楽しむ・・・朗読劇で ? 1.それって何

突然ですが 神さま いると思いますか 突然ですが、朗読劇に出たことありますか 世界中に神話がありますので 神の世界はある前提で この記事は  古事記に登場する神さまや 朗読劇にトライする記録です (漢字が多い…) 古事記、日本書紀は日本の神話ですが この2冊に出てくる神さまは 開いた口がふさがらない  神さまは優等生、無敵、全知全能 不可能はない と思っていたけど  とんでもないです 古事記で 神の行いを知ると 日頃 願かけに神社に参拝し 神さまに手を合わせて拝めば 大

王心斎「明哲保身論」

「明哲保身」は、 という意味である。賢明で安全な身の処し方を言う。 「明哲保身」は、古来、知識人の処世態度を示す言葉として、しばしば詩詞文章に引用されてきた。 明・王心斎の「明哲保身論」は、「明哲保身」を自らの思想の中核をなす概念の一つとして取り上げた文章である。 王心斎は、明代後期、王陽明の門下で致良知説を継承し、のちに泰州学派を形成して思想界に大きな影響を与えた人物である。 「明哲保身論」の冒頭に次のように言う。 まず、「明哲保身」が、陽明学の基幹となる概念で

いつの時代も家は、シンプル・イズ・ベスト!エッセイ書くなら、好意的に思いを巡らせてみるのも大事

住まいは、現世の仮の宿にすぎないけど、住む人にふさわしい家は、いいと思う。 立派な人の、ゆったりと住みならした家なら、差し込んでくる月の光も心に沁み入るように見えるものだろう 皆さんは、どんな家にお住みでしょうか? 兼好さんは、人工的にあれこれ作り上げた家がお好きではないようです シンプル イズ ベスト! 確かに、個性的な家は、ちょっと引くかな 「ステキ〜」とか、言いながらもね 以前、テレビでバイオリニストの古澤巌さんがおっしゃってました ご自分の美学で、家の中にト

張岱『陶庵夢憶』

「玩物喪志」は、「物を玩びて志を喪う」と訓読する。「珍奇な物に夢中になって志を見失ってしまうこと」を意味する成語である。 「玩物喪志」は、「癖」(へき)の概念と相通ずる。「癖」は、病的に偏った嗜好を言うが、「玩物喪志」がある特定の物に凝集的に現れれば、それは「癖」と言い換えることができる。 「玩物喪志」も「癖」も、元来は貶義の言葉であり、伝統的士大夫の道徳観では戒められてきた悪習であるが、明末に至ると「雅」を求め「真」を尊ぶ人間論の一環として「玩物喪志」や「癖」の言動・心

【古文】古文だからこそ分かること/『紫式部日記』を読んで

 これは、『紫式部日記』が如何なる本なのかという全体像を紹介するものでございます。  『源氏物語』は、光源氏を中心にした物語が展開いたしますけれども、光源氏が死んだ後も子や孫たちの物語として続いて参ります。光源氏の何か意志を継ぐとかの生き方が語られるのかと申しますと、そうでもございませぬ。人として同じ情欲に囚われ、同じ葛藤を懲りることなく繰り返していくのでございます。人物が誰であるかの性格は勿論重要ですけれども、物語の後半になるに従い、個人の物語よりも「時の流れ」の中で「人

古事記を楽しむ・・・朗読劇で? 2. 素人プロ ?

突然ですが  古事記の中身 知ってますか これは  一瞬の連続が人生でしょ 今が大事なの!充実していたいのよ! と考える大人たちに起きた  自分がたのしむ活動話です。 あるとき ふとしたことから 古事記って知ってる?  という質問を誰かが投げたところ ???となりました じゃあ、イナバの白ウサギ 知ってる? と聞くと  知ってる知ってる  アホなサメがウサギに騙されて  アタマきて皮むく話でしょ 大きな袋を担いだ神さまが助けるのよね あの人は優しいわあ となる

どうして茅の輪をくぐるのか(その2)

夏の祓は平安時代には行われていた。 『拾遺和歌集』に「水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命 延ぶといふなり」という歌があり、平安時代中期には宮中で行われていたようである。 菅貫という草の輪は、夏の祓の道具として用いられていた。 平安時代の年中行事を描いた『年中行事絵巻』の「六月祓」にも、その菅貫の場面が描かれている。 手前左の池に面して案(机)が置かれ、その上には幣串(白木の棒に紙を挟んだ串で、祓に用いる)が立てられている。案の前には円座(丸い形の敷物)が置かれ、祓をする

「傍若無人」

「傍若無人」「傍若無人」(ぼうじゃくぶじん)は、訓読すれば「傍らに人無きが若し」である。「傍」は「旁」とも書く。 原義は、「周りに人がいても存在しないかのごとく、ただ自分のことだけに集中しているさま」であり、特にプラスにもマイナスにも含意はない。 ところが、派生義は、「他人を眼中に置かない高慢な態度」であり、横柄に我が物顔に振る舞うというマイナスの語気を含む。 現代中国語ではもっぱら派生義で用いられ、社会的マナーに反する行為や、公衆の面前で行うのは宜しくない行為などを

【漫画】『源氏物語』ってどんな話? ー 藤壺は源氏を愛していたか

源氏の初恋の人にして生涯の想い人であった藤壺。彼女は源氏のことをどう思っていたのでしょう? 藤壺は源氏の5歳年上の継母。源氏の母・桐壺更衣が亡くなった後、源氏の父・桐壺帝に入内した人です。 源氏との二度の密通の上妊娠し、不義の子(のちの冷泉帝《れいぜいてい》)を産みました。 度々忍んでくる源氏に冷たい態度を取り、源氏との不倫の関係を断つため出家までした彼女ですが、それは源氏を嫌ってのことだったのでしょうか? 藤壺と源氏の関係 ー 継母への禁断の行為 源氏と藤壺の出会い

どうして茅の輪をくぐるのか(その4・完)

【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その1)  【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その2) 【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その3) どうして茅の輪をくぐるのか。  その由来と神話とのかかわりについて、歴史学者・東洋古代思想史研究家 村上瑞祥さんのコラムに興味深い説明があったので、これまでの疑問ごとに結論の部分を抜粋、要約する。 1)なぜ「茅」なのか。 ⇒中国では古くから茅は魔除けとして、また神前に備える供物として使われてきた。漢字の「茅」の文字は、「草

【漫画】『源氏物語』ってどんな話? ー 源氏を苦しめた「女三の宮」というキャラクター

「『源氏物語』は「若菜」からー」と言ったのは、故・国文学者で歌人の折口信夫氏だそう。 『源氏物語』は第34帖「若菜」から第二部に入るわけですが…そこでは中年となった光源氏の人生の苦みや悲哀が色濃く描かれ、キーパーソンとして女三の宮という人物が登場します。 藤壺まで紹介した前回の記事から少し話がとんでしまうので(後でまた戻りたいと思っていますが)まずは「若菜」までの『源氏物語』のあらすじをざっくり確認いたしましょう。 『源氏物語』の第1部は、栄華の物語です。 葵の上や藤壺と

鯉は龍門に登ったか?

後漢の清流派の重鎮李膺は、厳正で剛毅な人物として声望が高かった。李膺に認められることは将来が約束されることに等しいとされ、世人はこれを「龍門に登る」と称した。立身出世の関門をいう「登龍門」の語源である。 龍門は黄河上流にある峡谷の名前で、この急流を登り切った魚は化して龍となるという言い伝えがある。通説ではこの魚が鯉であるとしているが、実はこれが少々疑わしい。 『後漢書』李膺伝で注に引く『三秦記』には、 魚鼈の属、能く上るもの莫し。江海の大魚、龍門の下に薄り集うもの数千、

日本の古典文学がおもしろい。ということに気づいた。

本を読みたくてもその時間がない。というのは忙しい現代人の共通の悩みかもしれません。 *通勤時間に本を読む → 車通勤なので無理 *昼休みに読む → 職場では落ち着かないので無理 *朝早起きして読む → 起きれないから無理 *寝る前に読む → 興奮して寝れなくなるから無理 休日は休日で何かと忙しい。 うーむ、読めない理由しか浮かんできません。 オマケに自分は遅読なもので、長編小説に手を出すと相当な時間がかかってしまいます。 ですので明らかに分厚い本や、上下巻に分かれている

【雑記】文化保護の視点(&最近の近況など)

■はじめに(近況) ここ1ヶ月ほど、noteをお休みしていました  意識して休んだというより、季節の変わり目で少し忙しかったことや、なかなか筆が進まなかったこともあり、結果的にお休みしていたという感じです。  この間、自分の記事を書くこともさることながら、フォローしている方々の記事も、あまり読めていなくて、すみません。また、少しずつ再開していきたいと思います。  今日は、雑記を少し記載します。 ■雑記:文化保護の視点 私は、文楽を観ることがあるのですが、文楽は歌舞伎よりも顧

殷に三仁有り。比干は諫めて死す。創業よりも守成が難しいのは何故か。貞観政要は幾つかの理由を挙げていますが、その一つにトップが部下の諫めの言葉を聞かないというのがあります。人臣、諫めんと欲すれど、死亡の禍いを懼ると太宗自ら言う位です。死を賭して諫めた比干は仁者だと孔子は言うのです。

「拙」(一)~潘岳・陶淵明

「拙」「拙」は、「つたないこと」「不器用であること」を言う。 『老子』第四十五章に次のような一節がある。 「大成」「大盈」「大直」「大巧」「大弁」は、その逆である「欠如」「空虚」「屈曲」「拙劣」「訥弁」のように見えるという。 この中で、「拙」は、「巧」と対峙して置かれている。 「拙」は、俊敏さを欠き不器用であること、人や物の性質が劣っていることを表す。 「巧」(たくみ)に対する「拙」(つたなさ)であるから、「拙」の原義は、一般通念の上では貶義である。 ところが、

お昼休み🕛 なるべく昼食は節約したい🥗 無理のない範囲で、家計管理も徹底していきたいですね❤️ 午後も頑張りましょう♪

怨みを買えば、必ずしこりが残る。そうならないためには―『老子』の「争わない生き方」

地位や財産と、生命と、どちらが大切か 「争わない生き方」をテーマにしたオンラインセミナーは、おかげさまで、多くの方のご参加をいただき、開催できました。御礼申し上げます。 セミナーの資料づくりに追われ、投稿が遅れてしまいました。 「争わない生き方」のヒントを考えるシリーズの締めくくりは、『老子』。 処世訓の名著『菜根譚』の支柱の1つにもなっている『老子』ですが、無為自然、宇宙の原理をもとに生き方などを考察しているところに特長があります。 なので、現実社会の利害やしがらみにつ

「傍若無人」と「嘯」

「傍若無人」は、訓読すれば「傍らに人無きが若し」。原義は「周りに人がいても存在しないかのごとく、ただ自分のことだけに集中しているさま」、派生義は「他人を眼中に置かない高慢な態度」である。 古代の「傍若無人」の言動に一つ特徴的なのは、しばしば「嘯」(しょう)という行為が伴うことである。 「嘯」は、口笛を吹くようにして口をすぼめ長く息を吐いて音を出すこと、あるいはそのようにして詩歌を吟ずることを言う。 一種の音楽形式であり、古くは『詩経』で女性の怨みや悲しみを表す歌唱であっ

THE男の涙!決断! 陸魯望「離別」。

またまた「中国古典名言辞典」より。 只今、「古文真宝」のところ。 「泣くな!男だろ!」 って言葉よくあるねー。 歌とか多そう。調べたら面白い。 昔ほどその傾向が強そうな。 今なら、 時代錯誤的? そんな価値観の中で 生きてきたから、 もう泣き方分らんくなったな笑 あと「決断」ね。 ズバッ!とね。 難しいね。 ちな「決断」の語源は、 昔の中国での洪水対策で、堤防を壊し、 どこかの村を犠牲にさせることを決めたことかららしい。 サクリファイス。 やっぱ、 何かを得るには