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#古典がすき

古典がすきだと感じたエピソード、学習の記録、勉強法など、古典にまつわる投稿を募集します!

人気の記事一覧

「馴染めない」ではなく「馴染まない」ことのススメ(『荀子』不苟篇)

今回の言葉【意味】 君子は交流しやすいが、慣れ親しむことは難しい 会社や学校などの組織に所属していると、多かれ少なかれ、派閥のようなものに遭遇します。 組織によっては派閥間で対立があったり、上下関係のようなものができていたり。 一人で穏やかに過ごしたい人にとっては、なかなかに厳しい環境です。 特に、優しく真面目な人であるほど真剣に悩んでしまい、あちらを立てればこちらが立たず、という状況にストレスを感じてしまうことでしょう。 自分の心に嘘をついてどちらかの派閥に属し

不遇の若き天才詩人と励ましの詩(曹植「贈徐幹」)

今回取り上げるのは曹植の漢詩からの言葉。 肥えた田んぼであれば、刈り入れ時期が遅くなっても収穫が得られないということはないし、雨に恵まれた土地であれば、心配せずとも豊作になることが多いという意味。 つまり、徳の備わった優れた人間であれば、いつか必ず花を咲かせることができるものだ、ということですね。 曹植が不遇な友人に宛てて贈った詩です。 曹植(そうしょく / そうち、192年 ~ 232年)は、三国時代の英雄、曹操の息子として生まれました。 幼くして詩など数十万語を

目の前の小さな物事の積み重ねが、やがて大きな成果となる(白居易「続座右銘并序」)

今回取り上げるのは白居易(白楽天)の言葉。 千里の道も足元の一歩から始まり、高い山も小さな塵が積み重なってできあがるのだ、という意味。 一歩一歩着実に前に進み続けることの大切さを語った言葉です。 千里の道も一歩から、ということですね。 この言葉は「続座右銘并序」という文章のものになります。 読み方は「ぞくざゆうのめいならびにじょ」。 「続〇〇」というのは、「『〇〇』という作品に倣って作った」という意味になります。 その作品への尊敬の気持ちを表して作った作品という

結局のところ、日頃の振る舞いの積み重ねが評価を作る(『書経』旅獒篇)

今回取り上げるのは『書経』旅獒篇からの言葉。 ささいな行いでも慎まなければ、いずれ大きな徳を失うことになる、という意味。 つまり、「このくらい別にいいか」という気持ちでいると、いずれ人としての大きな失敗につながってしまう、ということですね。 日頃からの心がけが大切なのです。 信頼を積み上げることは難しいものですが、失うときはあっという間に崩れ去ってしまいます。 現代ですらそうなのですから、戦乱の時代なら尚更です。 特に、臣下からの信頼や諸侯からの信頼はとても重要な

ささいな一言が災いを呼ぶ(『大学』傳九章)

今回取り上げるのは『大学』傳九章からの言葉。 上に立つ者のささいな一言が国を誤らせる。 逆に、徳のある人物が上に立つと国は安定する、という意味。 口は災いの元なので気をつけなければなりませんね。 最近は国内・国外に関わらず、さまざまな情勢が不安定になっているような気がします。 私のnoteは古典と歴史を楽しんでいただくためのものなので、政治的な話には触れませんが、責任ある立場にいる方々は特に発言には気をつけなければなりません。 自分のささいな一言が、国家や国民の安全

手放すことで自分の想いに気づく(『老子』七章)

今回の言葉【意味】 天地がなぜ永遠であるのか、それは天地が意識して生きようとしていないからだ 先日、外出の際に町田市を通ったので、町田駅すぐそばの泰巖歴史美術館に足を運んできました。 泰巖歴史美術館は、織田信長を中心とする戦国日本コレクションが有名な美術館。 NHKの歴史番組などでも、しばしばクレジットに名前を見かけます。 5階建ての綺麗な建物で、1Fには安土城天守閣が原寸大で再現されていたり、4Fには甲冑がずらっと並んでいたり。 どれも見やすく展示されていて、と

錦秋の京都旅「宇治神社、宇治十帖の像と朝霧橋」

2025年1月5日、女性アイドルグループ『でんぱ組.inc』が16年の歴史に幕を閉じエンディングを迎えました。 松田聖子さんを憧れ系、K-POPをパフォーマンス系と分類するならば彼女らはドキュメンタリー系になります。インドアの陰キャが武道館を目指すという成長ストーリーのアイドルでした。努力と涙と根性で夢を叶えることに成功したものの主要メンバーが次々と卒業、脱退をします。解散の噂が大きく広がりファン以外の一般層にも良くない情報が流れたことがありました。私はというと彼女たちが二

【方丈記】オレの人生、なんか思ってたんと違った。でもこの世界で生きてく。

2025年2月7日(金)読書の旅 よっ、今週もお疲れさん。  また一週間、生き抜いたな。 『方丈記』を読んでたら、なんかこう、「人生とは?」みたいな深いところにたどり着いたんで、心に刺さった一冊として、令和の尚納言がざっくり訳してくわ。 金曜の夜、電車に揺られながら、 ぼんやりと眺めてくれ。 川の流れって、ずーっと続いてるけど、 流れてる水は同じものじゃないんだよね。 水たまりに浮かぶ泡なんて、ポコッとできたと思ったらすぐ消えちゃうし、また別の泡がポコッポコッて生ま

小学生の漢詩3選

中国の小学校ではたくさんの漢詩を暗唱します。 孟浩然の「春暁」、李白の「静夜思」、杜甫の「春望」など日本でも有名な詩は必ず暗誦のリストに入っています。 ここでは、日本では比較的知名度が低くても中国の小学校では定番の漢詩を3首採り上げます。 「詠鵝」~ガチョウの合唱                            唐・駱賓王 ガア、ガア、ガア、 うなじを曲げて、 お空に向かって大合唱。 白い羽毛、緑の水にぷっかり浮かび、 真っ赤な水かき、さざ波ゆらゆら。 ✍️ 駱賓

「天地の一沙鴎」~さすらいの詩人杜甫

「旅夜書懷」(旅夜書懐)                             唐・杜甫 細く柔かな草がそよ風に吹かれて揺れる岸辺、 高い帆柱のもと、独り眠れぬ夜を過ごす一艘の舟。 夜空には星が降るように垂れ、平野はどこまでも広がり、 川面に湧く月影を浮かべながら、大河は遠く流れていく。 しがない詩文で世に名を立てることなどできるはずがない。 役人として活躍したくとも、老いて病弱ではそれも望めない。 飄々と風に流される我が身、いったい何に似ているだろう。 天地の間をさすら

納豆の糸

フォロワーさんの記事の感想。 211.  中村直樹|NOVASTヘルスコーチさん。 この note をお勧めする人(私見) ① 健康は 大事。 ② 動画を見て 学ぶのがすき。 ③ 体によい 食事で 美しく生きよう。 美と健康の食事に 詳しい 動画中心の note。 納豆って やっぱり良いのね、よく食べるよ。 健康本のご出版、おめでとうございます。 では ここで 納豆の俳句を 2つ、どうぞ。 「納豆の 糸 引張つて 遊びけり」 「百両の 松をけなして 納豆汁」   どちら

「理解する心、思いやる心」

處富貴之地,要知貧賤的痛癢。 當少壯之日,須念衰老的辛酸。 居安樂之場,當體患難人景況。 處旁觀之地,要知局内人苦心。 富貴の地に処れば、要ず貧賤の痛癢を知るべし。 少壮の日に当たりては、須らく衰老の辛酸を念うべし。 安楽の場に居れば、患難の人の景況を体すべし。 旁観の地に処れば、要ず局内の人の苦心を知るべし。 ――明・鄭瑄『昨非庵日纂』 📖

「隠者を訪ねたが会えなかった」という漢詩

前回の記事「閑適を歌う漢詩3選」の中で、明・高啓の「尋胡隠君」を採り上げました。 胡という苗字の隠者を訪ねに出かけた際のことを歌っています。 あちらの橋を渡り、またこちらの橋を渡り、 あちらの花を眺め、またこちらの花を眺める。 春風そよぐ川沿いの道、ゆっくり歩いているうち、 いつの間にか、君の家にたどり着いた。 さて、隠者とは「俗世を避けて郷里や山奥に隠れる知識人」のことを言いますが、中国の隠者は、おそらく日本人の多くが想像するであろう隠者とは少々異なります。 「隠者

「己には秋を、人には春を」

律己宜帶秋氣, 處世宜帶春氣。 己を律するには宜しく秋の気を帯ぶべし。 世に処するには宜しく春の気を帯ぶべし。 ――清・張潮『幽夢影』 📖

主役は周瑜!

「赤壁の戦い」は「三国志」のクライマックスである。 この戦いは、正史『三国志』ではごく簡略に述べられているが、明代の小説『三国志演義』では、虚実入り混ぜて目一杯話を膨らませている。 諸葛孔明と江東の群儒との舌戦に始まり、孔明が奇計を用いて十万本の矢を手に入れる「草船借箭」、周瑜が老将黄蓋を棒叩きにして曹操を欺く「苦肉の計」、龐統が曹操の船団を鎖で繋ぐよう仕向ける「連環の計」と続き、黄蓋が偽の投降をして火矢を放ち、最後に孔明が七星壇で祈禱して東南の風を呼び曹操の大船団を炎で

【漫画】「望月の歌」ってどんな意味? ー 藤原道長は傲慢な歌を詠んだわけではなかった!?

平安時代の有名人、藤原道長の和歌 ー この世をば 我が世とぞ思ふ望月の かけたることもなしと思へば ー。 摂関政治の絶頂を極めた彼が、「この世は自分のものである。望月に欠けたところがないように私にも欠けたところがないのだから…」と自らの栄華を誇りに詠んだ傲慢な歌と言われてきましたが、果たしてそうなのでしょうか? 近年この和歌に新しい解釈がなされ、私たちにこれまでと異なる道長像を見せてくれています。 この「望月の歌」の新釈は、当時の政治状況とそこに関わるキーパーソン・藤原実

【読書】恋と歌舞伎と女の事情(仲野マリ 著)

 2025年2月19日(水)、仲野マリさん著作の『恋と歌舞伎と女の事情』を読了しました。  私は、本屋に行くとき、能狂言や歌舞伎のコーナーに立ち寄ることがありますが、本書は、同コーナーで「これは面白そうだ!」と思い、購入した本です。実際、すごく面白かったですし、歌舞伎の入門書として為になりました。 ■本の概要・著者 :仲野マリ ・出版社:東海教育研究所、かもめの本棚 ・発売日:2017/9/25 ■面白かった点 自分の言葉で書いてみようと思ったのですが、なかなか上手くま

「シルクロードの砂漠を行く」という漢詩

「磧中作」(磧中の作)                             唐・岑参 唐王朝は、ウイグル族・チベット族など異民族との交戦が絶え間なく続きました。盛唐期には、岑参・高適・王昌齢・王之渙ら多くの詩人によって、「辺塞詩」と呼ばれる詩が作られました。西北の国境地帯での過酷な従軍の体験や荒涼たる自然の光景、エキゾチックな西域の風物などを題材として歌った詩です。 岑参は、天宝八載(749)と十三載(754)の二度にわたり、節度使の属官として西域の安西と北庭(共に新

「月あり、山あり、酒あり、友あり」の漢詩

「友人會宿」(友人と会宿す)                                     唐・李白 唐代の詩人李白の五言古詩です。友人と山中で同宿し、月明かりのもと共に酒を飲んで酔っ払ったという詩です。 詩題の「友人」は架空の人物です。俗世を捨てた隠者、あるいは道教の修行をしている道士を想像すればよいでしょう。詩の舞台は、そうした俗世離れした人物が隠れ住んでいる山奥です。 ――永遠の愁いを洗い流さんと、いつまでも飲むうちに百壺の酒を飲んだ。 「千古の愁い」

「戦争」を歌う漢詩3選

「戰城南」 漢・楽府「戰城南」(戦城南) わたしは、南へ北へと駆り出されて、ついに戦死した。 死んで野ざらしのまま葬られることもなく、カラスの餌食になっている。 わたしのためにカラスに告げてくれ。 「せめてしばらくの間は、異郷に死んだ兵士のために号泣してくれ。 野ざらしのまま、きっと葬ってくれる人もいない。 死んで腐った肉がお前たちから逃げていくことなどできないのだから」と。 傍らを流れる川の水は深く澄みきり、 水辺には蒲や葦が鬱蒼と生い茂っている。 勇敢な騎兵は、戦闘

【枕草子】清少納言も「冬は朝がいい!」って言ってるよね。

2025年2月6日日記 「冬はつとめて」―― (冬はやっぱり早朝がいい。) 清少納言も大絶賛の冬の朝、 やっぱり特別な時間だと思う。 雪が降った朝なんて、もはや説明不要の美しさ。庭も屋根もまっしろで、「あれ?ここ、平安京じゃなくて天界?」ってレベルの神々しさ。 霜が降りた日も捨てがたい。 草や葉っぱがキラキラ輝いて、まるで大自然が朝から張り切ってデコレーションしてくれたみたい。こんな日には清少納言も、筆を取る手が止まらなかったことだろう。 そして、寒い朝のもうひとつの主

己の欲せざる所、人に施すこと勿れ(論語)

「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」――これは、論語の中でも特に有名な教えの一つです。「自分がされて嫌なことは、他人にもしない」というこの言葉は、人間関係を円滑にする基本的な考え方として、現代社会においても重要な意味を持ちます。学校や職場、家庭でのコミュニケーションに役立つだけでなく、政治や経済の観点からも考えるべき問題を示唆しています。本記事では、この言葉の意味を深掘りし、私たちの身近な出来事にどう活かせるか、さらには社会全体の問題としてどのように考えるべきかについて一緒

共鳴*能面の泣くも笑ふも秋思かな

☆能面作りは「彫り」と「塗り」。「塗り」は能面の化粧だそうです。  能面師 麻生りり子さんの記事です。 (岡田 耕)

寒山寺の鐘は鳴ったのか?

唐の張継に「楓橋夜泊」という詩があります。 晩秋の真夜中、蘇州城外に繋いだ舟の中でなかなか寝付けないところ寒山寺の鐘の音が聞こえてくるという旅愁を歌った詩です。 「四季を歌う漢詩4選」の中でも、秋の漢詩として採り上げました。 詩は次のような七言絶句です。 月は沈み、カラスが鳴いて、夜空に霜気が満ちている。 川辺の楓樹と漁り火が旅愁で眠れないわたしの目に映る。 ふと姑蘇城外(蘇州の町はずれ)の寒山寺から、 真夜中を告げる鐘の音が、わたしの舟にまで聞こえてきた。 「楓橋夜泊

日本では徳川家康の「大御所様」や大塚家具の件で良いイメージがあるかもしれないが、引退した幹部は、次世代の組織運営に口出すと、その組織は弱くなる。船頭多くして船山に上る、というように、任せたなら任せ、金は出すけど口は出さないのが、後継者を育てる要。失敗させるのも大切な仕事

『孫子の兵法』に学ぶX戦略⑭【最終回】

🌸Xフォロワー数が3000名を突破しました!皆様本当にありがとうございます🌸 『孫子の兵法』X攻略編が、少しでも皆さんの参考になれば幸いです💖 この記事をご覧くださり、誠にありがとうございます♪ 私の記事では約15回に渡り、『孫子の兵法』のポイント解説をしております。 今回は、「『孫子の兵法』をX戦略に生かしたらどうなるか?」のオリジナル記事第14弾となります🌟 X戦略編は今回がラスト!!皆さんどうぞお見逃しなく🎶 『孫子の兵法』とは何か?について特集した導入記事

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「梅花」の漢詩

先日の記事「花を歌う漢詩3選」の中で、梅花を歌った有名な漢詩として、北宋・林逋の「山園小梅」を採り上げました。 今回は、「山園小梅」以外であと2首よく知られた梅花の漢詩を読みたいと思います。 北宋・王安石「梅花」垣根のすみにたたずむ数本の梅の枝、 寒さをものともせず、ひとり花を咲かせている。 遠くからでも、それが雪ではないとわかるのは、 ほのかな香りが風に乗って漂って来たから。 南朝宋・鮑照「梅花落」 中庭にはさまざまな樹木が植えてあるが、 わたしが褒め称えるのは梅の木

【難しい…】 漢詩の鑑賞も好きで、古代日本の官人たちにとっても、漢詩は必須の教養でしたので関心があります。 それで昨年11月に出た松浦友久氏の『中国名詩集』(ちくま学芸文庫)を買って読んでいるのですが…。 高校生程度の知識しかない私には難しい。勉強しなおそうと思います。^^;

李白3選

李白李白(701~762)は、唐代を代表する詩人の一人です。明朗闊達、奔放不羈な生き方、尊大なまでの自負心の強さ、そうした人柄が豪放で痛快な詩風を生んでいます。ダイナミックな躍動感、非凡な着想と斬新な表現を以て自然と人生を歌っています。「詩仙」と呼ばれるように、老荘思想と道教の影響が色濃く窺えます。歌う内容は多岐にわたりますが、主に、酒・月・山河・友情などを題材に取っています。 「月下獨酌」天宝元年(七四二)、四十二歳の年、李白は玄宗に召されて長安に上ります。都の名士たち

吉本隆明が語る小林秀雄の古典論

 「ほぼ日」ホームページに掲載されている、「吉本隆明の183講演」というコンテンツは、2015年から運用が開始された。文字通り吉本の講演録音がそのままフリーのアーカイブになったもので、テキストに起されているものもある。これを時々活用させてもらっている。文字通りの耳学問であって身についているかは心もとないが、吉本隆明の文章は難渋なものが多く、理解に苦しむことが多いのだけれども、講演となると意外なほど聴きやすくてわかりやすい。ここではそのうちのひとつ、「小林秀雄と古典」という講演

陶淵明3選

陶淵明陶淵明(365~427)は東晋の詩人です。華美で技巧的な貴族文学が全盛期を迎えようとしていた時代にありながら、陶淵明は、平明古朴な言葉で自然の興趣と人生の真理を求める独自の清遠な詩の世界を築きました。菊と酒を愛した隠逸詩人、田園詩人として知られています。  「歸園田居」陶淵明は、四十一歳で彭沢(江西省)の県令を辞した後、郷里に帰り隠居生活を送りました。「歸園田居」は、帰隠の翌年、官界での不本意な生活に別れを告げて悠々自適の生活を送る喜びを歌ったものです。五首連作の第

「更上一層樓」~日中解釈の違い

唐の王之渙に「鸛鵲楼に登る」という詩があります。 前回アップした「山河を歌う漢詩3選」の中でこの一首を採り上げました。 詩は次のような五言絶句です。 白く輝く太陽は、山に寄り添うようにして沈み、 黄河は、遥か東の大海に向かって流れていく。 千里の彼方まで見渡したいと思い、 さらに一つ上の階へと登っていく。 さて、今回の記事は、この詩の後半二句の解釈についてです。 中国で出版されている注釈書では、ほぼ例外なく、転句と結句を、 「遠くまで眺望したいならば、さらに一つ上の

徒然草の大根侍の話を読んで大根をよく食べるようになった|大根の恩返し

物価上昇が激しい今日この頃。 それでも週に一度の特売日に必ず買うのが大根。 通常1本398円の大根が198円で売られている。 大根を買うたび夫に「また大根だ」「冷蔵庫から大根なくならないね」と毎回言われるほど大根は我が家で食べられている。 旬だから食べる、というわけではない。 実は夏でもよく食べる。 夏はもちろん高め。それでも買ってしまう。 なぜこんなに大根を食べるのか。 それは、高校時代に国語の授業で読んだ「徒然草」の影響が大きい。 徒然草 第六十八段 世の

「愛情」を歌う漢詩3選

「上邪」 『樂府詩集』「上邪」(上邪) ああ、天よ! あなたと相知る仲となって、 この気持ちが永遠に続きますように! 山が崩れて平らになり、川の水も涸れ尽き、 冬に雷が鳴り、夏に雪が降り、 天と地が合わさるようなことが起きたなら、 その時、はじめてあなたと別れましょう。 ✍️ 楽府は、漢代に生まれた民謡風の詩歌です。「上邪」は、『楽府詩集』(北宋・郭茂倩撰)では、主に軍歌を集めた「鼓吹曲辞」に分類されています。この詩は、若い女性が夫あるいは恋人に対して切々と胸の内を吐露

2つの「靜夜思」

李白の有名な詩に「靜夜思」があります。 前回の記事「望郷を歌う漢詩3選」の中でも採り上げました。 詩は次のような五言絶句です。 静かな秋の夜、寝台の前まで差し込む月の光を見る。 あまりの白さに地面に霜が降りたかと見まごうばかり。 頭をもたげて、山上の月を眺め、 頭を垂れて、遥か遠い故郷を思う。 今回の記事は少々細かい話になります。 「靜夜思」の起句は、版本によっては次のようになっています。 「牀前看月光」と「牀前明月光」とでは、文法構造は異なりますが、一句の意味内容

ちゅ~るこわい 再放送

【お江戸の野良猫が怖いモノとは】 🎍お正月特番🎍 こちらの記事は過去記事の  編集再アップでございます 🐾 今日は町内の若いもんの集まりなのですがどうせ暇だからってんで早くから仲間が集まりましてワイワイやりはじめました。話題はと言いますと、それぞれに自分の怖い生き物を言い合おうじゃないかということになりまして 「俺ぁ、なんといってもゴキブリが怖いねえ。あんなすばしっこい、真っ黒な生き物がいるだけでゾッとするね」 「俺ぁカマキリだね。あの顔と、なんといってもあの大きな鎌

「閑適」を歌う漢詩3選

「尋胡隠君」 明・高啓「尋胡隠君」(胡隠君を尋ぬ) あちらの橋を渡り、またこちらの橋を渡り、 あちらの花を眺め、またこちらの花を眺める。 春風そよぐ川沿いの道、ゆっくり歩いているうち、 いつの間にか、君の家にたどり着いた。  ✍️ 明の高啓の五言絶句「尋胡隠君」は、胡姓の隠者を訪ねに出かけた際のことを歌っています。舞台は作者の郷里の蘇州。江南の美しい水郷で、到る処にアーチ型の石橋がかかっています。道を急ぐわけでもなく気ままに春の風情を楽しみながら、橋を渡り花を愛で、

「歴史」を歌う漢詩3選

「蘇臺覧古」 唐・李白「蘇臺覧古」(蘇台覧古)  古びた庭園と荒れた高台に、柳だけは今年も新しい芽を吹いている。 菱の実を採る乙女たちの澄んだ歌声を聞くと、春の感傷がこみ上げてくる。 もう今はただ西江の上に昇る月だけが往時を偲ばせている。 かつてあの同じ月が、呉王の宮殿にいた美女(西施)を照らしていたのだ。 ✍️ 唐・李白の「蘇臺覧古」は、呉の姑蘇山の宮殿跡を訪れた際の感慨を詠じた七言絶句です。春秋時代、呉と越は「臥薪嘗胆」の故事成語に見るように、たえず激しい戦闘を繰

アナログ派の愉しみ/本◎『夢中問答集』

そこには為政者と宗教家の 鍔迫りあいのドラマが 日本において世俗的な権力に立つ為政者と、倫理的な権威に立つ宗教家とは、いかなる関係にあるのだろうか? その最も鮮烈な一例を『夢中問答集』に見ることができる。   「あまりに善根に心を傾けたる故に、政道の害になりて、世も治まりやらぬよしを申す人あり。その謂(いは)れありや」   仏法の善根に拠りすぎたせいで政治がうまく運ばなくなった為政者を、どう考えるべきか。この問いを発したのは足利直義だ。室町幕府初代将軍・足利尊氏の弟で、

梅花礼讃 〜寒を凌ぎて独り自ら開く〜

九條です。 2月も中旬となりましたね。 いま、私の頭の中では、この漢詩がぐるぐるしています。空気が少し春めいてきたからでしょうか? 私のとても好きな詩です。 余談ですが…。 日本の古典文学において「花」といえば桜が常識のように思われていますが、それは平安時代以降のことです。もっと古い時代である奈良時代以前には「花」といえば梅の花を示していました。 閑話休題。 近いうちに梅の花を観に行きたいなと思っています。 私は梅も桜も好きですが、強いて「どちらかを選べ」といわ

「人生」を歌う漢詩3選

「對酒」 唐・白居易「對酒」(酒に対す) カタツムリの角の上のような狭い世界で、いったい何を争っているのか。 火打ち石がチカッと光る一瞬の間、そんな刹那の中でこの世に身を寄せているというのに。 富める者は富める者なりに、貧しい者は貧しい者なりに、まあともかく酒でも飲んで楽しくやろうじゃないか。 口を開けて腹の底から笑わない者、そんな奴は大馬鹿だ。 ✍️ 「對酒」は唐・白居易の七言絶句です。起句の「カタツムリの角の上の世界」は人間社会の狭小さを、承句の「火打ち石が光る一瞬

「三国志」を歌う漢詩3選

「短歌行」 魏・曹操「短歌行」(短歌行)  酒を前にしたからには、さあ、大いに歌おう。 人の一生はどれほどあるというのか。 そのはかなさは、あたかも朝露のようだ。 過ぎ去りし日々のなんと多いことか。 人の世のはかなさを思うと、気持ちは高ぶるばかり。 憂いは胸から離れない。 いかにしてこの憂いを払おうか。 ただ酒あるのみ! 青い襟の服を着た若者たちよ。 わたしは、久しく心に慕っている。 ひたすら君らの訪れを待ち、 深く思い続けて今日に至っている。 鹿はゆうゆうと鳴き

項羽と劉邦の漫才「四面楚歌」

項羽:どうも、天下分け目で負けました項羽です! 劉邦:どうも、天下取っちゃいました劉邦です! 劉邦:いやー、項羽さん、あの「四面楚歌」、ドラマチックでしたねえ! 項羽:おい、ドラマチックって軽く言うな! 俺にとっては人生最悪のシーンなんだぞ! 劉邦:でもさ、夜中に四方から故郷の歌が聞こえてくるって、ロマンチックじゃないですか。 項羽:ロマンチックじゃなくてパニックだよ!「あれ? 楚の奴らみんな俺を見捨てたのか?」ってパニクってたんだよ! 劉邦:でもさ、残ってくれた人もい

「山河」を歌う漢詩3選

「敕勒歌」 北朝民歌「敕勒歌」(勅勒の歌) チョクロクの大草原、 それは陰山のふもとに広がる。 大空はあたかもドームのように、 四方の原野をすっぽりと覆っている。 空は青々と澄み渡り、 草原は茫茫と果てしない。 風が吹き草がなびくと、見えるのは牛や羊の群れ。 ✍️ 南北朝時代(五世紀初めから六世紀末)は、南と北にそれぞれ特徴的な民歌が残されています。南朝民歌は大半が男女の恋歌ですが、北朝民歌は質朴で雄壮豪邁なものが多く見られます。「勅勒歌」は北朝民歌の代表的作品の一つで

私訳『菜根譚』㊵~足るを知る者は心豊かなり

貪得者,分金恨不得玉,封公怨不受侯,權豪自甘乞丐。 知足者,藜羮旨於膏梁,布袍煖於狐貉,編民不讓王公。 得るを貪る者は、金を分かつも玉を得ざるを恨み、公に封ぜらるるも侯を受けざるを怨みて、権豪も自ら乞丐に甘んず。 足るを知る者は、藜羮も膏梁より旨しとし、布袍も狐貉より煖かなりとして、編民も王公に譲らず。

「管鮑の交わり」~真の理解者がいてくれること

前回の記事「人生を歌う漢詩3選」の中で、唐・杜甫「貧交行」を取り上げました。                    手の平を上に向ければ雲となり、手の平らを下に向ければたちまち雨。 世の中には軽薄な人たちばかり。それをいちいち数え上げて何になろう。 見たまえ、かの管仲と鮑叔がまだ貧しかった時の友情を。 彼らのような友情を今の人たちはまるで土くれの如く捨て去っている。 さて、この詩に登場する管仲と鮑叔については、『史記』「管晏列伝」に 次のような逸話が記されています。 こ

「雪」の漢詩

唐の柳宗元に「江雪」という詩があります。 雪の渓谷で独り釣り糸を垂れる老翁の姿を歌った水墨画のような詩です。 「四季を歌う漢詩4選」の中で、冬の漢詩として採り上げました。 詩は次のような五言絶句です。 山という山から鳥の飛ぶ姿は絶え、 道という道から人の足跡が消えている。 ぽつんと一艘の小舟に、蓑と笠を身にまとった老翁が、 ただ独り寒々とした渓谷の雪の中で釣りをしている。  「江雪」は、蕭条たる渓谷の冬景色を歌うばかりでなく、詩人の孤高の精神を歌った味わい深い詩です。

【再掲】友情の梅花の香り〜万葉集より〜

九條です。 忘れた頃にやってくる「万葉集シリーズ」です(勝手にシリーズにしてすみません)。^^; もしよろしければ、興味がおありでしたら、このシリーズ『万葉集あれこれ』マガジンの過去記事もご覧になってくださいね。^_^ 古代中国の漢詩や我が国の『万葉集』を読む(鑑賞する)ことが好きな私。でも漢詩や和歌を詠む(作る)才能は全然ありません。(>_<) トホホ さて、2月も中旬。梅の花咲き匂う頃ですね。 今回は『万葉集』のなかから、梅の花の歌を通じて交わされた、古代の歌人

立春 〜春風花草香ばし〜

九條です。 今日(2025年2月3日)は、立春ですね。暦の上では今日から春。 植物の新たな生命が芽吹く季節。復活・再生の季節。花咲く季節。古代においては、春が一年の始まりでした。新春・立春ですね。 まもなく梅花の時期。その後は桜花の季節ですね。待ち遠しいですね。ワクワクします。^_^ ※見出し画像ならびに下の画像はウチの近所の公園に咲く花(2025年2月3日 撮影) 【参考文献】 松浦友久『中国名詩集 〜美の歳月〜』筑摩書房(ちくま学芸文庫)2024年 ©2025

「送別」を歌う漢詩3選

「易水送別」 唐・駱賓王「易水送別」(易水送別) ここ易水のほとりは、刺客荊軻が燕の太子丹に別れを告げた地だ。 血気盛んな丈夫の髪は、悲憤のあまり冠を突き上げるほどだった。 あの当時の人々はすでに没し、遠い過去のこととなったが、 易水の水は、今もなおあの日と変わらず、寒々と流れている。 ✍️ 駱賓王は初唐の詩人です。「易水送別」は、戦国時代の刺客荊軻のことを歌った五言絶句です。燕国の太子丹から秦王政(後の始皇帝)の暗殺を命じられた荊軻は、秦の宮殿に向かって旅立ちます。刺