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吉本隆明が語る小林秀雄の古典論
「ほぼ日」ホームページに掲載されている、「吉本隆明の183講演」というコンテンツは、2015年から運用が開始された。文字通り吉本の講演録音がそのままフリーのアーカイブになったもので、テキストに起されているものもある。これを時々活用させてもらっている。文字通りの耳学問であって身についているかは心もとないが、吉本隆明の文章は難渋なものが多く、理解に苦しむことが多いのだけれども、講演となると意外なほど聴きやすくてわかりやすい。ここではそのうちのひとつ、「小林秀雄と古典」という講演を簡単にとりあげてみたい。
吉本隆明によれば、小林秀雄は戦時中に鮮やかに古典を描き出した数少ない批評家だった。小林秀雄の古典論は鎌倉末期から室町時代の武家文化を中心にすえている。「無常といふこと」には批評文学としての『徒然草』への入れ込みがある『徒然草』、『一言芳談抄』、『平家物語』とみていくと小林の古典論がみえてくるのだという。
1.『徒然草』
当時の世界観である「無常」とはなにか。吉田兼好は有職故実についてもたくさん書いているし、男女間のこともたくさん書いているけれども、特に「死」と「奇譚」(珍しい話)に視線をもって、こだわって観察している。
「死」に対する兼好の語り方の特徴は、人間はいつまでも生きるものだと想定してだらだらと生きるが、そのうちにふいに死がやってきて、その時にはもう遅いのだから、今日しか生というものがないのだと考えて無駄な過ごし方をしないということを執拗に述べる。そこには、死が遠くにあるのではなく、前からも後ろからもやってくるという人生観がある。そして怠りなく自分の技にはげみ、励んだ後は仏道に志して修事に入る。そのように、常に死を見据えて生きるという点で、異常なほどの死へのこだわりがあるという。
吉田兼好にはまたもうひとつ、「奇譚」へのこだわりがある。例えば「強盗の法胤」という坊さんは、なぜか強盗に遭うからそう呼ばれる。それだけのことしか書かれていない。また「おやいも」なるものばかり食べている坊さんの話なども書き記している。こういった奇妙な話の背景にはどういう考えがあるか。吉本によれば小林秀雄は、こういった奇譚がたくさん紹介された背景として、兼好がそれらの特異なエピソードからたくさんのことを感じ取りながら、それを言わずに我慢した人物であると理解している。感情があり余るが故に、事実だけを投げ出したというのである。
吉本隆明はそれに対して、それら奇譚の登場人物についての兼好法師が事実だけを投げ出すという方法の背後には、「宿命」というものを読み取っていたのだという。徒然草はわかりやすいところがあって、その奇妙なエピソードには執拗な問いかけがあるが、小林秀雄は実はそこに着目していたのではないかとも述べている。
さらに、小林は『徒然草』とモンテーニュの『随想録』との類似を述べる。死についての観念が特によく似ており、モンテーニュは人間は死の間際のときまで来ないと、幸福かどうかはわからないということを言い、死と仲良くすべきだという。モンテーニュには東洋的な無常感がないので、死への向き合い方は違った方向を導いてはいるものの、基本的な思考法において類似が多いという。いずれにせよ両者を貫くのは宿命的な観念であって、その先に、小林の関心は『一言芳談抄』に伸びていったという。
2.『一言芳談抄』
『一言芳談抄』は名高い坊さんの言葉を書き留めたもので、小林はその中から、若い女性が巫女さんの真似をしながら、この世はともかく来世はよろしくお願いしますと祈っているというエピソードを、蕎麦を啜りながら思い起こしたと書き、現代のインテリは当時の若い女性(なま女房)ほどにも無常を理解していないという感慨にいたる。吉本によれば、このなま女房の逸話は、『一言芳談抄』のもっとも取るに足らないエピソードのひとつであるという。なぜこのようなエピソードを小林は引用してくるのか。
『一言芳談抄』にあらわれたラディカルな思想は、人間は生きていることを徹底的に否定すべし、生を厭うべしとの考え方であり、さらに凄まじい表現をすれば「疾く死なばや」、つまり早く死ぬべしというのである。この思想は、当時における無常感と現実のやりきれなさという風潮の結集したところに成り立っている。しかしそうしたラディカルな表現をするのは小思想家で、例えば法然や親鸞(親鸞は『一言芳談抄』には登場しないが)のような大思想家はそうは言わない。往生が決まったと自分が思えば決まるのだと言ったり、浄土に急いでいこうと思わずとも、寿命が尽きれば行けるようになっているのだと、大思想になればなるほど、民衆が安心するような当たり前のことしか言わないことになる。小林秀雄は上記の通り、『一言芳談抄』を貫く小思想家的なラディカルな思想には触れずに、そのなかから、(吉本に言わせれば)もっとも取るに足らないと思われるエピソードを選んで引用している。そして、兼好法師も『徒然草』で、死についての穏健な考え方しか取り出していない。ここに小林と徒然草の共鳴点、もっといえば小林の古典論の根底があるのではないかと吉本は述べる。
3.『平家物語』
吉本隆明は、小林秀雄は『平家物語』を古典で最も高く評価していたのではないかという。平家物語に登場する侍たちは、しょっちゅう組打ちや合戦をしるが、その描写のありかたは、生き死にについての健康な溌剌としている、こういうものが小林の平家物語理解なのであるという。自然を背景にして侍たちの命のやり取りを描いており、無常である人間と、無常でない自然とのかかわりあいを描いた優れた作品だというのが小林秀雄の『平家』評価であると述べる。小林はまた、『平家』の語り口は謡い口調と講談口調と書き言葉の高度な物語口調によって、鎧兜の機能美にも似たポリフォニーをなした世界が造られていると述べている。しかし吉本は、戦はあくまで殺し合いであって、『平家物語』の世界は武家の習慣法の世界なのであって、異常な世界で、これを自然になぞらえて健康な自然児たちの世界と捉えるのはおかしいと強い違和感を表明する。
小林秀雄は『平家物語』とは対照的に、『源氏物語』は好かないといって拒絶する。そもそも成立年代と背景の全く異なる『平家物語』と『源氏物語』を比較するのがおかしい話だが、ともかく、『平家』が、人間と自然の枠組みが取り払われた開放的・健康的な世界であるのに対して、『源氏』は人間と人間とのねちねちとした心理の世界であって息苦しいというのが小林の見解である。しかしそのように捉える小林の思考様式には、古典も歴史も思想も、全ての概念が伝統という意味合いに収斂していく。そういう小林の思考法が典型的に出ているのが『平家』理解であると述べる。吉本に言わせれば、『源氏物語』にも、登場人物が織りなす心理の綾を、無意識に決めている自然の流れというものがみられて、『源氏』に自然が見えないというのはおかしいことになる。
上記のとおり吉本隆明は、小林秀雄の古典論に対する最大の問題点は、歴史という概念、古典という概念、思想と言う概念が全て「伝統」に収斂するところであるとみていた。果してそのように収斂させていくことが適切なのかということについて、吉本の批判を言い換えれば、小林の読み方は古典の異常な性質というものを無視して、すべて健全かつ穏健でなければならないという捉え方に、読み手を導こうとしているように思える。穏健・健全なものだけが小林のいう古典であり、ひいては伝統というものである。その論理は、伝統というものから異常性を剥離していく観念に支えられており、歴史や古典や思想に含まれた異常な醜い部分、現在的な心理の葛藤などが全て捨象されて、伝統の名のもとにまとめられることで恣意的に肯定され、挙句には美化されるという帰結に導かれてしまう。例えば『平家物語』の理解に表れた侍たちの合戦(=殺し合い)の健康性、これを伝統の名のもとに肯定したとき、戦時下においてその伝統が生きていると捉えることは、世の中にどんな影響を与えるだろうか。そうした場合、古典が現在に生きるとは果たして小林のいうような「伝統」を継承したものだと考えられるべきものなのか。吉本の批判はそういう意味を含んだものと思われる。