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「閑適」を歌う漢詩3選
「尋胡隠君」
明・高啓「尋胡隠君」(胡隠君を尋ぬ)
渡水復渡水 水を渡り 復た水を渡り
看花還看花 花を看 還た花を看る
春風江上路 春風 江上の路
不覚到君家 覚えず 君が家に到る
あちらの橋を渡り、またこちらの橋を渡り、
あちらの花を眺め、またこちらの花を眺める。
春風そよぐ川沿いの道、ゆっくり歩いているうち、
いつの間にか、君の家にたどり着いた。
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明の高啓の五言絶句「尋胡隠君」は、胡姓の隠者を訪ねに出かけた際のことを歌っています。舞台は作者の郷里の蘇州。江南の美しい水郷で、到る処にアーチ型の石橋がかかっています。道を急ぐわけでもなく気ままに春の風情を楽しみながら、橋を渡り花を愛で、風に吹かれて歩いて行きます。相手が隠者ですから、訪ねる側も隠者の気分で悠長にふらっと訪ねます。この詩は、「渡・水・看・花」がそれぞれ2度ずつ用いられ、しかも起句がすべて仄声、承句がすべて平声ですから近体詩としては破格です。承句で平声が5つ並ぶと、朗誦する際に平らに長く伸ばす音が続いて間が抜けたような調子になり、のんびりと花を見ながら歩く長閑な気分とぴったり合っています。
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「過故人莊」
唐・孟浩然「過故人莊」(故人の荘に過る)
故人具鶏黍 故人 鶏黍を具え
邀我至田家 我を邀えて 田家に至らしむ
緑樹村邊合 緑樹 村辺に合し
青山郭外斜 青山 郭外に斜めなり
開軒面場圃 軒を開きて 場圃に面し
把酒話桑麻 酒を把りて 桑麻を話す
待到重陽日 待ちて到る 重陽の日
還來就菊花 還た来たりて 菊花に就かん
古い友人が、鶏や黍の料理を用意して、
わたしを田舎家に招いてくれた。
緑あざやかな木々が、村の周りに繁り、
青々とした山が、城郭の外に斜めに連なっている。
窓を開いて庭先の菜園を眺めながら、
酒杯を手にして桑や麻のことを話す。
重陽の節句(陰暦九月九日)になったら、
ぜひ再び訪れて、菊花を愛でたいものだ。
✍️
唐・孟浩然は、官途に不遇で、郷里襄陽(湖北省)の鹿門山で隠遁生活を送りました。俗世から離れた高雅な境地を明朗清爽な山水景物の詩に歌っています。「過故人莊」は、村里に住む友を訪ねた時のことを歌った五言律詩です。「故人」(古くからの親友)が誰を指すのかは不明ですが、そもそも古典詩では、固有名詞(人名、官職名など)が詩題に記されていない人物は、多くの場合、架空の人物です。この詩は、作者と同様に山中に隠遁暮らしをしている人物を設定し、隠者同士の気ままな交友を描いたフィクションと考えればよいでしょう。余計な気遣い無用の純朴な人と人との交わりが描かれています。孟浩然の詩は言葉が平明で温かみを感じさせる趣があるのが特長ですが、「過故人莊」はその典型的な例と言えます。
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「遊山西村」
南宋・陸游「遊山西村」(山西の村に遊ぶ)
莫笑農家臘酒渾 笑う莫かれ 農家の臘酒の渾れるを
豐年留客足鷄豚 豊年 客を留めて 鶏豚足る
山重水複疑無路 山重水複 路無きかと疑えば
柳暗花明又一村 柳暗花明 又一村
簫鼓追隨春社近 簫鼓 追随して 春社近く
衣冠簡朴古風存 衣冠 簡朴にして 古風存す
從今若許閑乘月 今より若し閑に月に乗ずるを許さば
拄杖無時夜叩門 杖を拄きて 時と無く 夜 門を叩かん
(村人)「農家の酒が濁り酒だからとて、馬鹿にしてはいかん。
去年は豊作、客人をもてなすのに、鶏も子豚も十分あるぞ」
山々が連なり、川が幾重にも曲がり、もう行き止まりかと思ったら、
柳がほの暗く茂り、花が明るく咲くあたりに、また一つ村里が現れた。
笛や太鼓の音が追ってくるように聞こえてくるのは、春祭りが近いからだ。
村人たちの衣服や帽子は、簡単素朴で昔ながらの体裁のままだ。
(作者)「これからも暇な折りに月明かりに乗じて訪れても宜しければ、
杖をついて気ままに夜ふらりとやって来て門を叩きますぞ」
✍️
陸游は、北宋の蘇軾と肩を並べ、南宋を代表する詩人です。七言律詩「遊山西村」は、四十三歳の時、隆興府(江西省)の通判(副知事)を免職になり、郷里(浙江省紹興)に隠棲していた時の作です。官職を失った後、郷里の村を訪れ、村人から心温かいもてなしを受けた喜びを歌っています。首聯が村人の歓迎のセリフで、尾聯が村人のもてなしを受けて暇乞いを告げる作者のセリフという洒落た設定になっています。次回の訪問の約束などせず、気が向いたらアポ無しで訪ねていきますよ、という悠長なムードが漂っています。人間関係や礼儀作法に細かい気配りをしなければならない役人生活から離れ、親切で素朴な農村の人々との触れ合いを楽しんでいる様子が伝わってきます。
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