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「戦争」を歌う漢詩3選


「戰城南」

漢・楽府「戰城南」戦城南せんじょうなん

戰城南 死郭北 城南に戦い 郭北かくほくに死す 
野死不葬烏可食 
野死やしして葬られず からす食らうべし
爲我謂烏    
我が為に烏に
且爲客豪    
しばらかくの為に
野死諒不葬   
野死してまことに葬られず
腐肉安能去子逃 
腐肉ふにく いずくんぞ能くててのがれんや 
水深激激    
水は深く 激激きょうきょうたり
蒲葦冥冥    
蒲葦ほいは 冥冥めいめいたり
梟騎戰鬪死   
梟騎きょうきは戦闘して死し
駑馬徘徊鳴   
駑馬どば徘徊はいかいして鳴く

わたしは、南へ北へと駆り出されて、ついに戦死した。
死んで野ざらしのまま葬られることもなく、カラスの餌食になっている。
わたしのためにカラスに告げてくれ。
「せめてしばらくの間は、異郷に死んだ兵士のために号泣してくれ。
野ざらしのまま、きっと葬ってくれる人もいない。
死んで腐った肉がお前たちから逃げていくことなどできないのだから」と。
傍らを流れる川の水は深く澄みきり、
水辺には蒲や葦が鬱蒼と生い茂っている。
勇敢な騎兵は、戦闘で命を落とし、
乗り手を失った馬が、辺りをさまよいいなないている。  

梁築室      リャン 室を築くに
何以南 何以北  
何を以て南し 何を以て北する
禾黍不穫君何食  
禾黍かしょらずんば 君何をか食らわん
願爲忠臣安可得  
忠臣らんと願えども 安くんぞべけんや
思子良臣     
きみ良臣りょうしんを思え
良臣誠可思    
良臣は誠に思うべし
朝行出攻     
あしたに行きでて攻め
暮不夜歸     
暮れに夜帰やきせず

ああ、築城の人夫は、城を築くのが仕事のはずなのに、
どうして南へ北へと戦場に駆り出されていくのか。
イネやキビが収穫できなくなったら、君主といえども何を食べるのだ。
忠臣たらんと願っても、死んだらどうやってその願いがかなえられようか。
君主よ、あなたの善良な臣下のことをどうか考えてください。
善良な臣下のことは、本当によく考えるべきなのです。
彼らは、朝に出発して戦場に行き、
夜には死んで家に帰らないのですから。

✍️
漢の武帝の時、音楽を掌る役所が設けられ、そこで採録された楽歌を楽府がふと呼びます。のちに歌詞が一人歩きを始め、音曲を伴わずに歌謡風に歌われるようになり、韻文の中の一つのジャンルを形成するに至ります。楽府の内容は、当時の社会の現実をリアルに伝えるものであり、民衆の生活の一場面を捉えて一篇の寸劇に仕立てたような叙事詩になっています。「戦城南」は、宋・郭茂倩撰『楽府詩集』では、「鼓吹曲辞・漢鐃歌」のグループに収められています。馬上でどらを鳴らして演奏する軍楽の類です。戦場に打ち棄てられた兵士のしかばねをカラスがついばむさまを兵士の独白で歌ったものです。死者である兵士が一人称で自分自身の死を語り縷々恨み言を述べ、戦争の不条理を訴えるという極めて特異な詩です。


「七哀詩」

後漢・王粲「七哀詩」七哀詩しちあいし

西京亂無象  西京せいけい 乱れてみち無く
豺虎方遘患  
豺虎さいこ まさわざわいをかま
復棄中國去  
た中国を棄てて去り
遠身適荊蠻  
身を遠ざけて荊蛮けいばん
親戚對我悲  
親戚 我に対して悲しみ
朋友相追攀  
朋友 相追攀ついはん
出門無所見  
門を出でて見る所無く
白骨蔽平原  
白骨 平原をおお

西の都長安は混乱に陥って秩序を失い、
山犬や虎の如き者どもが今まさに災禍を引き起こしている。
わたしはまたもや都を捨てて、
遥か遠く荊州の地に身を寄せることになった。
親類はわたしの面前で嘆き悲しみ、
友人はわたしに追いすがって別れを惜しんでくれた。
城門を出ると、そこにはほかに目に入るものは何もなく、
ただ白骨が平原を覆うばかりだ。

路有飢婦人  みちに飢えたる婦人有り
抱子棄草閒  
子を抱きて草間そうかんに棄つ
顧聞號泣聲  
顧みて号泣の声を聞くも
揮涕獨不還  
なみだふるいて独りかえらず
未知身死處  未だ身の死する処を知らず
何能兩相完  
何ぞ能くふたつながら相まったからん
驅馬棄之去  
馬をりて之を棄てて去る
不忍聽此言  
此の言を聴くに忍びず
南登覇陵岸  南のかた覇陵はりょうの岸に登り
迴首望長安  
こうべめぐらして長安を望む
悟彼下泉人  
悟る 下泉かせんの人
喟然傷心肝  
喟然きぜんとして心肝しんかんいたましむるを

路傍には、飢えた女性が一人、
胸に抱いた幼子を草むらに棄てている。
わが子の泣き叫ぶ声を耳にして、振り返りはしたものの、
涙をぬぐいながらその場を離れ、引き返そうとはしない。
女は言う、「わが身さえどこで果てるかもわからぬありさま。
どうして母子二人いっしょに生き延びることなどできましょう」と。
わたしは馬に鞭打ち、母子を見捨てて立ち去った。
彼女の言葉を聞くに忍びなかったからだ。
南へ向かって、覇陵の高みに登り、
振り返って長安の方角を望み見る。
今こそはっきりとわかった、あの「下泉」の詩を歌った人々が、
深く溜息をついて心を痛めたその気持ちが。

✍️
後漢・王粲おうさんの五言古詩「七哀詩」三首連作の第一首です。董卓が洛陽から長安に都を遷すと王粲もそれに従って移住し、のち董卓死後、難を避けて長安から荊州へ逃れます。この詩は、戦火と略奪で騒乱の渦中にあった都を脱出し、軍閥劉表のもとに身を寄せるために荊州へ赴く道中での見聞を歌ったものです。詩の前半は、打ち続く戦乱の世に拾う者もいない屍体が野ざらしになり、白骨が平原を覆い尽くしている光景です。後半は、泣き叫ぶ幼子とそれを力無く抱きかかえて草むらに棄てようとしている餓えた母親です。そこには、戦時下の民衆の悲惨な現実が縮図として映し出されています。最後の四句は、当世の惨状を目の当たりにした作者王粲が、「下泉」(『詩経』「曹風」)の詩に込められた古代民衆の悲痛な思いを今しみじみと思い知るという結びです。


「涼州詞」

唐・王翰「涼州詞」涼州詞りょうしゅうし) 

葡萄美酒夜光杯  葡萄ぶどうの美酒 夜光の杯
欲飮琵琶馬上催  
飲まんと欲すれば 琵琶 馬上にもよお
醉臥沙場君莫笑  
酔いて沙場さじょうす 君 笑うことかれ
古來征戰幾人囘  
古来 征戦せいせん 幾人かかえ

芳醇なワインを満々と注いだ夜光の杯。
いざ飲もうとすると、馬上で琵琶をかき鳴らす音が聞こえてくる。
酔いつぶれて砂漠に倒れ臥しても、どうか君よ、笑ってくれるな。
昔からこの辺境に出征した者が、いったい何人生きて帰れたというのだ。

✍️
唐・王翰おうかんは盛唐の詩人です。辺境の地の生活や風物を詠った辺塞詩を得意としました。「涼州詞」は、国境の砂漠地帯へ送り込まれた兵士たちの姿を悲しくも力強いタッチで活写した七言絶句です。唐王朝は法令を整備し豊富な財力と強大な武力で空前の大帝国を打ち立てました。宮廷が天下太平をむさぼり、都の長安が華やかな国際都市の様相を呈する一方、西北の国境地帯では遊牧騎馬民族との交戦が絶えず、出征兵士たちは過酷な自然環境の中で明日の命も知れぬ情況に置かれていました。涼州は、今の甘粛省一帯、吐蕃(チベット族)との戦における最前線でした。「葡萄」「夜光杯」「琵琶」と西域原産のエキゾチックな風物が並べられ美しい異国情緒が漂う中、泥酔する兵士たちの姿が哀切な情調を醸し出しています。


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