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「更上一層樓」~日中解釈の違い

唐の王之渙おうしかんに「鸛鵲楼かんじゃくろうに登る」という詩があります。
前回アップした「山河を歌う漢詩3選」の中でこの一首を採り上げました。

詩は次のような五言絶句です。

白日依山盡   白日はくじつ 山にりて尽き
黄河入海流   
黄河 海に入りて流る
欲窮千里目   
千里の目をきわめんと欲し
更上一層樓   
更にのぼる 一層いっそうの楼

白く輝く太陽は、山に寄り添うようにして沈み、
黄河は、遥か東の大海に向かって流れていく。
千里の彼方まで見渡したいと思い、
さらに一つ上の階へと登っていく。


さて、今回の記事は、この詩の後半二句の解釈についてです。

中国で出版されている注釈書では、ほぼ例外なく、転句と結句を、

「遠くまで眺望したいならば、さらに一つ上の層へ登らなければならない」

と読んでいます。

つまり、この詩は、単なる叙景詩ではなく、

「人生においてより素晴らしい天地を切り開くためには、常に上に向かって進む努力が必要だ」

という含意があると解釈しています。

現代中国語でも、「更上一層樓」は、「さらなる向上を目指す」という意味の成語として用いられています。

作者王之渙が、そのような人生訓的な意図を以てこの詩を作ったのかどうかは疑問ですが、中国人はそう解釈しています。

中国人は、詩を解釈する際に、言葉の裏に何らかの哲理や教訓を求めようとする読み方をします。

時には、作者の意図を問題にせず、後世の人が作品から強引に哲理や教訓を引き出そうとします。そして、たとえ曲解であっても牽強付会であっても、そうしたものを引き出すことのできる詩を高く評価する、ということがままあります。

「鸛鵲楼に登る」の場合、叙景詩として素晴らしいということよりも、向上心を促す教訓が込められていて素晴らしい、という評価になるわけです。

つまり、中国人は詩を詩として純粋に鑑賞するのではなく、詩の中に何らかの「有用性」を求める傾向があります。

ちなみに、日本で出版されている漢詩の注釈書では、石川忠久著『漢詩のこころ』(時事通信社)、松枝茂夫著『中国名詩選』(岩波文庫)、松浦友久著『中国詩選三(唐詩)』(現代教養文庫)など漢詩研究の大家の著書を見ても、「鸛鵲楼に登る」を純粋な叙景詩として解釈し、それ以上の含意については語っていません。

日本人は、漢詩から有用性を求めるようなことはせず、そういう読み方は、むしろ不純である、野暮である、とする向きもあるでしょう。

中国人と日本人では、文学を鑑賞する姿勢に根本的な違いがあるようです。


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