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「山河」を歌う漢詩3選


「敕勒歌」


北朝民歌「敕勒歌」
勅勒ちょくろくの歌)

敕勒川     勅勒ちょくろくはら
陰山下     
陰山いんざんもと
天似穹廬    
天は穹廬きゅうろに似て
籠蓋四野    
四野しや籠蓋ろうがい
天蒼蒼     
天は蒼蒼そうそう
野茫茫     
野は茫茫ぼうぼう
風吹草低見牛羊 
風吹き  草れて  牛羊ぎゅうようを見る

チョクロクの大草原、
それは陰山のふもとに広がる。
大空はあたかもドームのように、
四方の原野をすっぽりと覆っている。
空は青々と澄み渡り、
草原は茫茫と果てしない。
風が吹き草がなびくと、見えるのは牛や羊の群れ。

✍️
南北朝時代(五世紀初めから六世紀末)は、南と北にそれぞれ特徴的な民歌が残されています。南朝民歌は大半が男女の恋歌ですが、北朝民歌は質朴で雄壮豪邁なものが多く見られます。「勅勒歌」は北朝民歌の代表的作品の一つです。もともと勅勒族(トルコ系遊牧民族)に伝わっていたもので、鮮卑せんぴ語から漢訳したものです。「敕勒川」は勅勒族が遊牧する草原地帯(「川」は平原)、「陰山」は内蒙古南部を東西に走る山脈です。「穹廬」は遊牧民が住居とする円屋根の包(パオ)のことで、天が地をドーム状に包み込むという形態は、勅勒族の宇宙観を反映しています。詠み人知らずの短い素朴な民歌ですが、朔北の広漠とした景観を活写し、大草原に生きる北方遊牧民の息吹がストレートに伝わってきます。


「登鸛鵲樓」

唐・王之渙「登鸛鵲樓」鸛鵲楼かんじゃくろうに登る)       

白日依山盡   白日はくじつ 山にりて尽き
黄河入海流   
黄河 海に入りて流る
欲窮千里目   
千里の目をきわめんと欲し
更上一層樓   
更にのぼる 一層いっそうの楼

白く輝く太陽は、山に寄り添うようにして沈み、
黄河は、遥か東の大海に向かって流れていく。
千里の彼方まで見渡したいと思い、
さらに一つ上の階へと登っていく。

✍️
唐・王之渙おうしかんの「登鸛鵲樓」は、大陸の壮大な山河を動くパノラマのように活写した叙景詩として愛誦されている五言絶句です。「鸛鵲樓」は、蒲州(山西省)にあった三層の楼です。黄河に突き出した丘に建てられ、鸛鵲(コウノトリ)が巣をかけたことからこう呼ばれました。鸛鵲楼は、登臨の名所としてよく知られ、多くの詩人たちが詩に詠んでいます。もとの楼は黄河の氾濫で水没し、のちに場所を移して再建されました。韻律の規則では、絶句は対句表現にすることを要求されませんが、この詩は、詩全体が対句で構成されています。「白」と「黄」、「日」と「河」、「山」と「海」、そして「千」と「一」がそれぞれ鮮明なコントラストを成しています。


「獨坐敬亭山」


唐・李白「「獨坐敬亭山」(独り敬亭山けいていざんに坐す)

衆鳥高飛盡  衆鳥しゅうちょう 高く飛びて尽き
孤雲獨去閑  孤雲こうん 独り去りてしずかなり
相看兩不厭  相ふたつながらいとわざるは
只有敬亭山  敬亭山けいていざん有るのみ

群れ飛んでいた鳥たちは、空高く飛び去り、
ぽつんと浮かんでいた雲も流れ去り、ひっそりと静かだ。
お互いに見つめ合って、見飽きることのないもの、
それは、ただ敬亭山だけだ。

✍️
五言絶句「獨坐敬亭山」は、李白が独り山と向かい合った時の心境を歌った詩です。「敬亭山」は、今の安徽省宣城県の北にある山。「閑」は、辺りがひっそりと静かなさまを表すだけでなく、詩人自身の心象風景を形容するものでもあります。俗塵から遠く離れ、雑念が一切ない無心の状態、静かで悠々とした自由の境地を言います。「月下獨酌」では月が李白の飲み仲間でしたが、「獨坐敬亭山」では山が話し相手です。どちらも、喜怒哀楽を交えない「無情の遊」です。「二人」は互いに向かい合ったまま言葉のない会話をいつまでも続けています。何も言わずただじっと向かい合っているだけ、それだけで心が満たされていき、やがて自然と自己が一体化する境地、それは俗世の日常では得ることのできない至福の境地なのでしょう。



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