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「月あり、山あり、酒あり、友あり」の漢詩
「友人會宿」(友人と会宿す)
唐・李白
滌蕩千古愁 滌蕩す 千古の愁い
留連百壺飮 留連す 百壺の飲
良宵宜清談 良宵 清談に宜しく
晧月未能寢 皓月 未だ寝る能わず
醉來臥空山 酔い来たって空山に臥せば
天地卽衾枕 天地 即ち衾枕
唐代の詩人李白の五言古詩です。友人と山中で同宿し、月明かりのもと共に酒を飲んで酔っ払ったという詩です。
詩題の「友人」は架空の人物です。俗世を捨てた隠者、あるいは道教の修行をしている道士を想像すればよいでしょう。詩の舞台は、そうした俗世離れした人物が隠れ住んでいる山奥です。
滌蕩す 千古の愁い
留連す 百壺の飲
――永遠の愁いを洗い流さんと、いつまでも飲むうちに百壺の酒を飲んだ。
「千古の愁い」は、千古の昔からの愁い。人の世の儚さ、人生無常に対する悲哀を嘆く永遠の憂愁を言います。そうした愁いをかき消さんとして、李白は友人と共に時の立つのを忘れてひたすら杯を傾けます。
良宵 清談に宜しく
皓月 未だ寝る能わず
――こんなに美しい夜には、高尚な談論こそがふさわしい。白く輝く月光のもと、まだとても寝る気にはなれない。
「清談」は、元来は、魏晋の時代に流行した老荘思想に基づく哲学的な談論のことを指します。転じて、俗世間を離れた高尚で風流な会話のことを言います。
酔い来たって空山に臥せば
天地 即ち衾枕
――酔っ払って人気のない山中に寝そべれば、天地がそのまま布団と枕だ。
二人はとうとう酔い潰れて、その場に寝込んでしまいます。
「天は布団、地は枕」とは、なんとも痛快な文句で、豪放磊落な李白らしい歌いっぷりですが、実は、この発想は李白のオリジナルではありません。
魏晋の時代の逸話を集めた『世説新語』という書物の中に、次のような話が載っています。
劉伶はいつも飲んだくれて気ままに振る舞っていた。ある時、裸で部屋で寝転んでいた。訪れた人がそれを見て譏ると、劉伶は言った、「俺は天地を我が家とし、屋敷をフンドシとしているんだ。お前ら、なんで俺のフンドシに入ってきたのだ!」
李白も顔負けの放縦ぶりです。魏晋の時代には「竹林の七賢」に代表される反俗的な名士たちが競ってこうした狂態を演じていました。
李白の詩には、しばしば月、山、酒、友が登場します。「友人會宿」は、一首の中に、月あり、山あり、酒あり、友ありと4拍子揃って、李白の真骨頂を伝えています。