服装で見た目は取り繕える けれど 心の中は取り繕えない 日々の言葉使い 態度は 隠し切れない 普段からの心の状態が 大切なんですね
また話しやすいと言われてしまった。それはうれしいことで、そして取り繕いすぎてしまっている事実をつきつけられて少し落ち込むことだった。
私は今、日向坂46というアイドルの存在意義にモヤモヤしている。運営もヲタもわざと反感を買われるようなことばかりして、更に追い込んでいるような気がする。選抜制は害悪なのにアイドルを応援していて我慢ばかり強いられることはおかしいし、表面上をいいように取り繕うことは疲れるのではと思う。
社会には表の面と裏の面があり、裏の方にいると自分を下に見やすい。私は20年以上社会では裏の方にいるので、どんなに物事で表の面が取り繕うことでうまくいっているように見えても、少しでも裏の面がうまくいかない部分があるとその方ばかり気になる。自己責任で片づけられない社会の歪みだと思う。
継ぎ接ぎはどこまでいっても継ぎ接ぎで継ぎ目を隠す技術を探す
わりとキレイにしていると思っていた洗面台。 たまたま違う角度から見たら蛇口の根元が結構汚れていた。。 上辺だけ取り繕っても、元が汚いんじゃダメだな、となんだか自分と重ねてしまった😇それも人間らしいっちゃらしいのかもしれないけどね😂笑
冗談を言うのはいいんだけど、変に気を遣ってというか、気持ち悪い感じで語尾を変えたりオブラートに包んだり声を明るくしたりぶっきらぼうにしたり、そういうのをした瞬間、「あ、自分気持ち悪いな」って思うんだけど、それをしないでおける自分にまずはなりたい。
天正18年(1590)11月7日は秀吉が聚楽第で朝鮮使節を引見し明侵略のための先駆けを要求した日。仲介役で板挟みの対馬の宗義智は朝鮮には秀吉の全国統一への祝賀の使節派遣と伝え、秀吉には日本に服属する使節と報告して取り繕ったといわれる。朝鮮使節の抗議は受け入れられず翌年1月帰国。
天正18年(1590)7月21日は対馬国の宗義智が朝鮮使節黄允吉らと入京した日。小田原攻めと奥州仕置のため秀吉は不在であった。服属使節と思い込んだ秀吉は結果として100日以上も待たせ明侵略の先鋒を命じた。秀吉と朝鮮の間で板挟みの義智は一時しのぎで取り繕うが次第に出兵は不可避に。
天正18年(1590)11月7日は秀吉が聚楽第で朝鮮使節を引見し明侵略のための先駆けとなるように要求した日。仲介役で板挟みの宗義智は朝鮮には秀吉の全国統一への祝賀の使節派遣と伝え、秀吉には日本に服属する使節と報告して取り繕っていた。両者聞いてる話と違うので噛み合わないはずです…。