奈緒

日々の想いや、気持ちなど、感じたことをありのままに、自分のコトバで伝えています。愛溢れる文章が少しでも多くの人に伝えれる文章であるようにと願い込めて描かせていただいております^_^ 少しでも読んでくださるあなたに、愛が伝わりますように💓 気軽にコメントいただけたら嬉しいです😊

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雁字搦めだった私の鎧

誰しも 何かしら鎧をつけて生きているのかもしれません。 私にもガチガチに固められた鎧を身にまとい それが生きづらくさせているともつゆ知らず 理想の自分を今の自分として生きていました。 私は、料理はできないといけない。 そんな価値観がありました。 それは完璧に料理をこなす母を観て あのように料理を完璧に作らないと結婚できない 愛してくれる人は出てこない。 そんな風に思って生きてきました。 だから、自分なりに料理を頑張っていました。 そして私なりの料理の形ができ

    • 自分観察の未来

      成長するということは 少しづつ大きくなっていくということ 成長するということは 一つ一つ 出来なかったことが出来るようになった 自分自身を褒めて そしてそこを尊重して のばしていくということ。 そのためには、 まず、 自分自身を知っておかないといけません。 日頃、 自分は何を考えているのだろう? 何を感じているのだろう? 何が楽しくて、何が悲しくなるのだろう? そんな観察を経て 自分を知り そんな今の現状の自分が 何かしら、 成長を求めて、行動し 変化し

      • 観念を解き放つ

        私の姉は美意識が高い人です。 毎日どんなに忙しくても、自分のお手入れで足マッサージ、パックは欠かさずやり、いつもスカートを履いています。 ズボンは持っておらず、近くの職場に行くのも完璧な女性で通勤しています。 私は昔、姉の美意識を 『すごいなー』 とみていた反面 どこか、あんな風にはなりたくない。 と思ってました。 なぜならそれは 『楽しそうじゃないから』 私の目からは無理しているように観えました。 ただ単純に 楽しくて 嬉しくて 綺麗にしてる というわ

        • 楽しむの先の、楽しむへ

          すごく心のから楽しみたい! と思っている自分がいる反面 楽しんではいけない。 と思っている自分がいて 心の底から楽しむことに恐れがある、 自分がいることに最近気づきます。 生活を楽しんで、その瞬間を没頭していることが少しづつ増えていっている反面 ふと、その没頭の世界から ハッ、と戻ってきて 『楽しんでいいのだろうか?』 と不安になっているんです。 それは長年の人への 『依存』 からの代償であることに気づきました。 私の人生を、自分で責任を取りたくがない故に 私の

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          私の思いの原点

          幼少期の頃の思い残しって誰しもが、何かしら持っているのではないかと思います。 私は、結婚して子どもを産み、あたたかい家庭を築きたい。 そんな夢をいつからか持ち 20代前半からなぜか、 出産へのタイムリミットを気にしながら、結婚ができないことへの焦りがずっとあり だからこそ、 目の前のお付き合いしている男性など その人自身ではなく その先の『結婚』というモノを観ていたように 今はそう思います。 私の中でも、気付けなかった 『子どもを産みたい』 『育てたい』 という

          私の思いの原点

          流れ、流され生きるコト

          ぼーっとしてても時間は過ぎるし あくせく働いても時間は過ぎるし のんびりリラックスしてても時間は過ぎる なんだかんだ時間は いつのまにか過ぎます。 そんな時間をどんな時間にするのは その人その人に与えられた権利で どう描いて、どう考えて、どう行動するかは その人それぞれです。 いろんなモノに 人はそれぞれ、流れ流され生きてるけど どんな風に流されたいか? そう決めれるのも自分であり でもそれは どんな風に流されたいだろう? そんなコトを 心の底から感じたり

          流れ、流され生きるコト

          原因自分論

          最近みた動画で 『原因自分論』 という考えがすごく好きで 私もそうあろうと日々努力しています。 何があろうとも自分に原因がある という在り方。 それは、今目の前の人に対する イライラだったり 不安だったり 怒りだったり そんな感情でさえ、全ての感情は 全て原因は自分にあるという考え方です。 そもそも相手はコントロールできません。 そして相手には相手の人生があり 私には私の人生がある それはそれぞれの人生で それぞれどう生きるかは それぞれの勝手で そしてそ

          原因自分論

          何を選択し、どう生きる?

          さまざまななモノに溢れているこの世の中で 何を選択して、どうやって生きていくかは それぞれ本人の自由です。 気を抜いていたら、 自分の本当に欲しているモノじゃないものまで入り込んでいることが多くあります。 いろんなもの 人間関係や、情報や、物だったり そこらじゅうに溢れてて いつのまにか増えてて 何がなんだかわからない。 ってことも、気を抜いてたら とても多くあって だからこそ 『わたしはどうしたい?』 『どう生きたい?』 が大切で そうやって、 自分が行き

          何を選択し、どう生きる?

          どう生きるか?

          昔は人を『みんないい人だ』 と思って観ないといけないと思っていました。 きっと、ジャッジをする自分になるのが赦せなかったんだと思います。 だからこそ、なにかしら違和感があった人でも その居心地の悪さを無視し、観ないようにして生きていました。 だって、人を『悪い人だ』とジャッジする自分になってはいけないと思っていたから。 だから、悪い人なわけがない。 きっと自分が寄り添えば、寄り添い続ければ合う人に決まっている。 そう思って生きていました。 そんな時は、全てがいい人

          どう生きるか?

          感情の昇華

          ざわざわ感じたり ズキズキ感じたり 悲しくなったり イラッとしたり 人間誰しもそんな感情になることがあります。 そんな時、その時の出来事と、 過去のどこかで昇華しきれなかった そこで対処しきれなかった その時の出来事の感情が、 どこか被ってみえて そんな気持ちを引き起こしていることは たくさんあります。 なにかわからないけど、ツラい、、 そんなことになってしまう。 だからこそ、 なぜそんな風になるのか? どこからその感情はきているの? ということは 深掘りし

          感情の昇華

          心奪われた出来事

          心奪われることってあるんですよね。 先日休みなのでフラッと市内をウロウロして、あるデパートに入りました。 そこではたまたまティンガティンガ原画展というのをしていました🔻以下説明 ティンガティンガ・アートは、1960年代末、タンザニアで発祥した絵画スタイル。 ティンガティンガという名称は、創始者の名前 Edward Saidi Tingatinga(1932-1972)に由来します。 サバンナの動物や豊かな自然、人々の暮らしを、現地ティンガティンガ芸術村(工房)で 活躍す

          心奪われた出来事

          コトバの力

          この世の中に、 素晴らしい事を言っている人はたくさんいて それぞれ言っていることは素晴らしい。 それがなぜこんなにも溢れていて、それぞれに評価されているのでしょう?? それは、 発信している人がそれぞれ違うから。 つまり、 その言葉にはその人なりの経験がのっており、その人なりの気持ちがのっている だからこそ伝わるモノがある。 それは、その人しか生み出せないコトバ。 だからこそ、 伝わる人と伝わりにくい人がいて この人のコトバだから伝わる。 というものがある。 と

          コトバの力

          『居場所』について考えた。

          居場所について考えてみました。 私が感じる居場所とは 同じような考えで同じような方向性を向き、高め合える。そんな関係性の人としか育めない。 とどこか思っていたところがありました。 でも実は、居場所とは探し求めることではなく、ただそこにあるものを、きちんと居場所だと認識して感じることではないか? と思ったのです。 なので、早速 私の考える居場所について考えてみました。 ・自分の意見を言っても受け入れられている。(お互い尊重している) ・理解されている ・ムリはせず、自分

          『居場所』について考えた。

          直視出来るようになった過去たち

          私は数年前まで過去を思い出せない人でした。 思い出そうにも思い出せないのです。 それだけ、過去の出来事は抹消したかったのです。 かつて私が歩んできた過去は 『いい子』を装って生きていた約30数年間は ずっと自分を生きていませんでした。 そんな過去たちを認めたくなかったから。 思い出せない方が私にとって好都合だったのです。 そんな消したい過去、虚しくなるだけだから。 だから認めることにも時間がこんなにもかかりました。 過去を抹消したい。 捨て去りたい。 そんな気

          直視出来るようになった過去たち

          良好な人間関係の構築

          人間関係がギクシャクし始める要因の一つに 与える、与えられるのバランス があるなぁと最近つくづく思います。 何か物を与えてもらった とか 何か自分のためにしてくれた その比重の一方が大きくなればなるほど 与えられる側は苦しくなる だから、もうこれ以上与えないで! と思う。 かつて、私もそう思った経験があり 『もうこれ以上私のためにしないで! 苦しい』 と、相手は良かれと思ってやっていたり ただ単純に『してあげたい』 と思ってやってくれていることでも 私

          良好な人間関係の構築

          『自立する』絶妙なバランス

          『自立する』 というのは、絶妙なバランスで成り立っているのではないかと思います。 自立する! と、力み、自分でやること、自分でこなすこと にこだわること。 依存を恐れるがあまり、自立ということにこだわりすぎること そうすると人に全く頼らず 自分で導き出すことにこだわり こだわるがあまり、 当然それでは自分の中での答えしか導き出せず。 自分の経験からでの答えしか出せない。 だから、グルグルと同じところにまた辿り着き 行きたい場所にはいけません。 運良く辿り着けたと

          『自立する』絶妙なバランス