取り繕うのではなく、自信を持ってほころびを見せたい
相手からよく見られたい。
いい人だと思われたい。
信用されたい。
そんな一心で、私は取り繕ったような行動を取る時があります。
でも、単なる応急処置でしかない。
まわりから信用される人は、自信を持ってほころびを見せられる人なのではないでしょうか。
人と話しているとき、急に相手の機嫌がわるくなったなと感じたり、会話が弾まなくなることがあります。
そんなとき、私はなんとかして状況を変えようとしてしまう。
おかしなこと言って場を和ませたり、相手の機嫌を損ねた(と思われる)発言を訂正したり。
そういう“取り繕ったような行動”をとるのをやめたいんです。
相手の表情や声の雰囲気で、相手がどんな気持ちでいるのか「なんとなく察してしまうクセ」が原因なのでしょう。
察するといっても的中するわけではなく、ほとんどの場合私が考えすぎなだけなのですが。
相手は不機嫌でもなんでもない場合が多いのです。
たぶん、治らない。
察しちゃう。
それならば「勝手に察する力」を武器にするものアリなのでは?
そう考えた時期もあります。
カウンセラーが向いてるって、性格診断でもよく出るし。
察する力を極めれば、取り繕うこともなくなるのかも。
でも、長続きしなさそう。
相手の気持ちを察するってことは気持ちを張り詰めているわけなので、疲れるんですよね。
あー、こんな性格、疲れる。
私は、いいヤツ。
自分でそう思ってるなら、それでいいのにね。
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