“フリ“ をしていた私
私は冷たい人間だ。
それは、心のどこかでわかっていました。
私は、理学療法士という、患者さんにリハビリを提供する仕事をしています。
それは、人のためになる、やりがいのある仕事だから。なりたい!と想ったということもあります。
でも、患者さんに対して
優しいコトバかけをしていても、
優しい行動をしていても、
どこか、そうやるのがいいという世間の教えがあって、それに沿うように動いている自分がいる。
私は、優しいフリをしている。
心のどこかで、
私は思いやりが足りないコト、わかっていました。
頭では、
思いやること、気持ちを向けることは大切だともわかっていました。
でも、できていない。
それもどこかでわかっていました。
私はよく親から
『周りがみえていない』
と、言われていました。
確かに、私は周りがみえていませんでした。
自分自身もみえていないし、
周り人もみえていない。
それも、どこかでわかっていました。
だから、そんな自分がイヤで、思いやりがある自分になりたかったし、優しい人になりたい。
必死に自分探しをしていました。
でも一向に人に対する、想いや愛は生まれてきません。
それは、
私じゃない誰かになろうとしていたから。
今になってやっとわかりました。
今になってそんな ”イロイロな気持ち″ をやっと認めることができました。
なぜか自己否定が強かった私は、自己否定をどうにか人に観られないように、悟られないように、隠すことに必死になって生きていたように想います。
そんな自分も嫌いで、イヤで、必死に取り繕っていました。
優しい人になりたい。
思いやりのある愛ある人になりたい。
心のどこかでそんな希望が微かにあって、それに対して必死に動いていたんだと。
今になって全てわかりました。
余計なモノを削ぎ落としていって
自分になっていくと
自然と私の中にも
人に対する
思いやりも、優しさも、愛も。
全てあることがわかりました。
それは感覚的にわかる。
感覚が違う。
周りがあたたかい。
世界があたたかい。
そんな世界を観たい。
感じたい。
と、きっと、ずっと想っていたから。
そんな感覚になれたことが嬉しくて。
なんか、とっても嬉しくて。
でも、ちょっぴり慣れなくて。 笑
こんなに幸せでいいのだろうか?
と、ちょっと戸惑ってしまうけれど。
受け取っていいし、もっと幸せになっていい。
そんな自分を許しつつ、
それをもっと世の中の人に、自分のやり方で自分のペースで循環させていけたらなって想っています。
ただ、私が観えていなかっただけで、
あたたかい世界は、すぐそこにいつも存在していました。