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【良い“辻褄”合わせ】のポイント
“辻褄を合わせる”
という慣用句は、和装から生まれた言葉だそうだ。
『 辻 』とは、その縫い目と縫い目が十字に重なり合うところ。
『 褄 』とは、着物の裾の左右を合わせるところ。
“辻褄”を無理に合わせると、着物は歪んでしまい、美しく、綺麗に着ることはできない。
つまり、
“辻褄を合わせる”とは?
【“物事の道理”を合わせる】
ということを意味している。
この“辻褄を合わせる”という慣用句は、
本来は矛盾していることを、話の前後を変えながら、もっともらしく筋の通った話にしていく
といった場合に使われることが多い。
もっともらしく説明して無理に“辻褄を合わせよう”とした話は、
そもそも“辻褄が合わない“ほど”ちぐはぐ“であったら、合わないものは合わない。
会社において、この“辻褄を合わせる”ことは、2つの局面で表面化する。
【攻撃的“辻褄”】
新しいへの挑戦にむけての“辻褄”
【守備的“辻褄”】
その場をやり過ごすための“辻褄”
会社は、部署をまたがる多くの人々と連携しながら組織として物事を動かしていかなければならない。
縦割り組織・官僚主義・政治主義・前例踏襲主義・縄張り主義
によって“様々な矛盾”は当然のことで、“辻褄が合わせる”ことをしないとスムーズに進んでいかない。
この“辻褄合わせ”によって【不都合な真実】には“見ざる聞かざる言わざる”にならなければならないこともある。
仕事をする際に【“辻褄”合わせる“技術】」というものが大切と言われている。
「辻褄を合わせる人」というのが重宝され、逆に「辻褄が合っていないことを指摘する人」は“排除”されて“村八分”になることもある。
「そそそも“辻褄を合わせる”ことをしなければいいじゃないか」
と思われるかもしれないが、世の中はそんなに清らかで美しいだけではやっていけない。
100%全員賛成という意見は“皆無”と言っていいだろう。
必ず反対意見も持っている人は存在する。
物事を前に進めるためには、【良い“辻褄”合わせ】というのは“必要悪”かもしれない。
< 私なりの【良い“辻褄”合わせ】のポイント >
できるだけ様々な立場の人が合意形成できる“大義名分”となるキーワード
“ビジョン” “ミッション” “バリュー” が分かりやすこと
相手の“共感”を引き出す“辻褄”
理屈が合っていたとしても、“屁理屈” “言い訳” と言われてしまって“共感”は得られない。
多くの人にとって“都合がいい”情景が想像できる“物語戦略”も必要。
反対派は、話の“辻褄が合わない”矛盾点を見つけようとして、見つけた時には“鬼の首を取ったかのように糾弾を始める。
そこに、あまり関連性のない観点からの意見を被せて糾弾に参戦する“厄介者”も現れる。
【 新しいへの挑戦にむけての“辻褄” 】が、混乱した場合には、
“そもそも” 本来は何をしたかったのか? 何が目的なのか?
原点回帰して仕切り直すこともアリだろう。
手続きの順番や進め方に“辻褄が合わない”ことがあったのならば、そこは素直に認めて謝ればいい。
そして“そもそも論”に関して語り合って、どこかの“妥協点”を見つけるというのも、【 新しいへの挑戦にむけての“辻褄” 】実現に向けての近道のような気がする。
【 新しいへの挑戦にむけての“辻褄” 】に向けての場合には、
“競争論理”ではなく“協力論理”で進めば、カッコイイ!
“辻褄が合わない”とは、“嘘がバレる”時などによく使われる表現だ。
【 その場をやり過ごすための“辻褄” 】の場合は、
ほぼ、事実を隠蔽したり、事実を捻じ曲げたりする“取り繕い”に過ぎない。
これは【悪い“辻褄”合わせ】なので、カッコ悪い!
企業に属さないと“ビジネス”出来ないことはない。
肩書や役職名がないから“立派な人じゃない”なんてことはない。
何かの協会・組織に入らないと“学問”“研究”ができないはずがない。
これこそ【 “辻褄”が合っていない 】のでは?