想咲繰栄斗

特に何者でもないタイプの人間です どうでも良い考えとか自分の内面をアウトプットしていきたい フォローはされればしますが、自分からはしませんシャイなので

想咲繰栄斗

特に何者でもないタイプの人間です どうでも良い考えとか自分の内面をアウトプットしていきたい フォローはされればしますが、自分からはしませんシャイなので

最近の記事

明日のために。

明日のために今日は手を抜く。明日はその分頑張るかもしれないし、明日も手を抜くかもしれない。明後日の為にね。 これを定期的に繰り返して、たまに頑張る。それぐらいがいい。日々全力で頑張る程の生きがいは私にはないからね。 生きがいを手に入れるのは今日かもしれない。もしくは、明日か、明後日か、来年か。もっと歳をとってからかもしれない。ないと思ったら、多分一生ないから、その日に備え続ける。 もし、生きがいを手に入れた場合、私は日々全力で取り組みたいと思う。その為に今は手を抜く。来

    • 天国へ行くためには、履歴書を書いておくことだ。

      死後の世界っていうのが本当にあったら、自分は天国と地獄、どっちに行くんだろう。天国に行けるほど徳を積んでるとは思わないし、地獄に行くほど極悪非道な人間でもないと自分では思っている。というか、大概の人間はそうなんじゃないの?とすら思う。 そもそも、天国行きか地獄行きかはどうやって決まるのだろうか。一口に生前の行いと言っても、加点式か減点式かで結果は大きく変わると思う。もしくは、生前の行いに関わらず就職試験みたいに面接されて、そこの受け答えで天国か地獄かを分ける仕組みだったりす

      • くだらないこだわり程、付き合いも長い。

        他の人にはくだらないって言われるけど、何故かこだわっちゃうことってあると思う。私なんか、お札の向きが揃ってないと少し気になる。 財布から出した時、北里柴三郎や野口英世がちゃんと自分の側を向いてないと、なんだか落ち着かない。だから、お釣りを返してもらった時にお札がバラバラの向きになっていると、ついつい並べ直してしまう。 それに加えて、私はいまだに現金主義だ。ほとんどカードや電子決済を使わない。他人からは古臭いとか効率悪いと言われるけど、それでも現金ってものが好きなので手元に

        • グレーゾーン。

          疑わしきは罰せずという言葉がある。たとえ疑わしくても、罰するだけの証拠や根拠が乏しいなら、罰を与えるべきではないという考え方。まあ、疑わしいからって誰でもかれでも罰してたら外も満足に歩けないし、妥当な考えだと思う。 だけど、罰を与えないからと言って許したり、疑いを完全に拭い去っていいのかと言われたら怪しい。何故なら、その人が立っている場所はグレーゾーンだから。潔白の白である可能性も、罰されるべき黒である可能性もはらんでいる。 そんなどちらにも転ぶ可能性のある人物を白だ、黒

          他人の為は、大概自分の為。

          自分には関係がない。そう思った瞬間に人は適当になる。まあ、そりゃそうだ。自分に関係ないことなのだから、勝手にやってくれれば良いと思うのだろう。 しかし、自分に関わると分かった途端に態度が豹変する。さっきまでの無気力が嘘の様に積極的に発言するようになり、行動も活発になる。例えば、困ってる人を見捨てておけないとかなんとか言ったりするわけだ。関係ない時は我関せずを貫いてたくせにね。 まあ、実際は他人のことなどどうでもよくて、自分が損したくないだけだからね。それか、なにか得がある

          他人の為は、大概自分の為。

          未だに思うこと。

          器の大きい人間になりたい。そんなことを28歳目前の今でも願っている。夢を諦めきれない子どものようだけど、どうしてもカッコいい大人になりたいのだ。 しかし、残念ながら現実の私は、器も大きくなければ、カッコいい大人でもない。そもそも、大人であるかどうかすら怪しい。20歳になったあの日、これで自分も大人かと思ったこともあったけど、それから何も変わっていないように感じる。 だからだろうか。カッコよく生きている人を見ると、羨ましさと悔しさが湧いてくる。まあ、そんな風に思っても私自身

          未だに思うこと。

          小さい器のお小言。

          私は器の小さい人間なので、自分が想定していた通りの事が起きた時、「だから言ったじゃん!」という気持ちになる。正直、結果論なので、今回はたまたま私の想定していた結果になったぐらいのことでしかない。しかし、ついつい思っちゃう。 例えば、人によって挨拶するしないを分けてる人に会ったとき、相手を選ばず挨拶したほうが良いですよと伝えても聞き入れられなかった事があった。その人は結果として、挨拶をしない事が原因でトラブルを起こしてた時は「だから言ったじゃん」って思ったね。 普段は言うの

          小さい器のお小言。

          フィクションと現実の間に。

          海賊。我々日本人にはあまり馴染みがない存在だ。思い浮かぶのは、麦わら帽子の彼くらいだろう。それか、教科書で少し見た記憶があるくらいか。 しかし驚いたことに、海賊は今も現代に存在するらしい。私からすれば、海賊なんてユニコーンや人魚のような架空の生き物と大差ない存在だと思っていたけど、現在にも生き残っているなんて。 そんな海賊達が何をしているかというと、貨物船や漁船を襲い、燃料や積み荷を奪っていくこともあるし、場合によっては船ごと強奪されることもあるという。悪い奴は陸上に限ら

          フィクションと現実の間に。

          人は常に偏る。

          インターネットは便利だ。なんでも簡単に調べられて情報を仕入れられるから。しかし、インターネットが優秀な故に気をつけなければならないことがある。それは、情報が偏ることだ。 インターネットは賢く、下手な人間より気遣いが上手いので、我々の好みを把握しておすすめしてくれる。例えば、スポーツ関連のものばかり調べているとスポーツの情報が自然と目に入るようにしてくれるし、特定の人物を調べたらその人物の関連ニュースをおすすめに挙げてくれる。 そうなってくると、自分の欲しい情報だけが目に入

          人は常に偏る。

          趣味の細胞。

          歳をとると好みが変わるとよく言われる。それは、味蕾と呼ばれる味を感じる細胞が年齢を重ねるごとに減少しているからだ。そして、味覚以外にも、この細胞の減少現象はあるのかもしれない。例えば、趣味とか。 音楽にしろ、料理にしろ、人によっていろいろだが、ある時から突然、新しいものが少しずつ受け入れにくくなる瞬間がある。これは趣味の細胞が減少しているのかもしれない。 もちろん、好きなことだからといって、無理に最新のものを追い続ける必要はない。でも、もし頑なに新しいものを拒絶するように

          趣味の細胞。

          今日も手のひらは返り続ける。

          たまに、手のひらを返すように意見がコロコロと変わる人と自分の間違いを認め、考えを改め直す人を一緒くたにしている人がいる。後者は立派だが、前者は危険だ。 手のひらを返す人達は自分が間違っていたのではなく、自分の見聞きした情報に誤りがあったから、自分も思い違いをしてしまったと思っている。そこに反省など1ミリもない。だから、それ以降も目に入った情報に飛びついては、世論の風向きが変わると自分もそちらに流れ続ける。良くも悪くも自分の頭を使って考えようとは思わないのだろう。 だが、何

          今日も手のひらは返り続ける。

          信じたいものが真実。

          自分の信じたいものを真実だと言う人がいる。というより、真実というものは元からそういうものなのかもしれない。自分の信じたものが間違っていなかったと思いたいもの。 世の中に、過剰な擁護や批判があるのはきっとこのせいだ。自分が信じたものが間違っていたなんて思いたくないから。それが結果として事実を捻じ曲げてしまうとしてもね。 この日記を見てなるほどと思ったアナタ。危険です。この主張すら私が信じたいものを信じすぎるあまり、事実を捻じ曲げてるだけかもしれないからね。

          信じたいものが真実。

          寒い夜のオトモ。

          今日もとりあえず生きた。明日はどうだろう。楽しい日かつまらない日か。とりあえず、寒いし雨が降らなきゃいいな。 寒いと布団が恋しくなって、朝がもっと憂鬱になりそう。とりあえず、頑張って明日をやり過ごそう。英気を養う為に酒でも飲むか。大人しくホットミルクでも飲むか。 夜のオトモを悩んでる内に夜が明けそうだから、一旦コーヒーでも飲んで一息いれるとするか。夜は長い。

          寒い夜のオトモ。

          幻想や願望を健康で文化的的に消費する。

          人に幻想や願望を抱く人は少なくない。あくまでも、自分の中のイメージや理想として留めて置くことが出来ず、その幻想や願望通りにならないことを嘆く人達。 人前に出るような人間なのだから、聖人君子であるべきだなんて難しいことを簡単に言う人。ファンの為に動き、ファンの為に生きろと奴隷商人みたいなことを言う人。色々いるみたい。 もちろん、どんな幻想や願望を抱くのも個人の自由だと思うが、それを人前で口に出すかどうかはもう少し考えた方が良いだろう。小・中学生なら若気の至りや精神の未熟さを

          幻想や願望を健康で文化的的に消費する。

          寒いから鍋。

          鍋が美味しい季節になった。少し前まで、暑い、暑いと文句を言っていたが、こうも急に寒くなるとは思わなかった。暑いと動く気がしないが、寒いともっと動きたくなくなる。困ったものだ。 なので、身体を温めるために鍋を食べる。具は白菜と豚肉ときのこ。鍋を見張ってる内に暑くなってきた。既に目標は達成された気もするが、作って食べないってのは貴族でも昨今の世の中じゃ許されないだろうから食べる。 食べ始めたら早いもので、締めのうどんまで食べちゃった。忘れずにお酒も飲んで気分がいい。なんて調子

          寒いから鍋。

          ほんの一部という。

          誹謗中傷や素人評論家、素行調査官に対して言及すると、そんな奴はほんの一部でその他の人はそんなことないなんていう人がいる。実際全体数から見れば少数派の人間なんだろう。しかし、問題は数ではない。一部であろうが、そういう奴らがいることが問題なのだ。 人の心を折ることは決して難しいことではない。これぐらい言っても大丈夫だろうとか、思って叩いた軽口が、人の心を折ることがある。それぐらい多くの人の心は折れやすい。 月並みな表現かもしれないが、人の心は見えない。どれだけボロボロになって

          ほんの一部という。