想咲繰栄斗

特に何者でもないタイプの人間です どうでも良い考えとか自分の内面をアウトプットしていき…

想咲繰栄斗

特に何者でもないタイプの人間です どうでも良い考えとか自分の内面をアウトプットしていきたい フォローはされればしますが、自分からはしませんシャイなので

最近の記事

頑張りと対価。

頑張りにお金は払われない。人々がお金を払うのは頑張りではなく、結果や知名度だ。まあ、これは当然といえば当然の話でそこに疑問を持つ人はあまりいないのではないだろうか。 しかし、それに反するように、頑張っている人が報われてほしいという人は少なくない。頑張りにお金は払わないのに、何故そういう気持ちになるのだろう。正確にいえば、その気持ち自体は理解出来るものだが、なら何故頑張りに対してお金を支払わないのだろうか。 実際は、頑張っている人が報われる云々なんていうのはどうでも良くて、

    • 大人のいないないばあ。

      赤ちゃんは生後間もない頃、「いないいないばあ」で大人が顔を隠すと、本当にいなくなったと思うらしい。これは私が適当に言ってるわけじゃなくて、ピアジェっていう偉い学者が提唱している「発生的認識論」の一説だ。 ところが、最近思うのは、大人になっても同じような人がいるんじゃないかということだ。例えば、問題が消えてなくなったわけじゃないのに、表面的に見えなくなるとそのまま放置する人たち。あだ名禁止や容姿イジリ禁止の議論なんて、まさに良い例だ。 表面的にはやらなくなっても、裏でいくら

      • 選択のギャンブル。

        私はギャンブルは基本的にしない。人生の二択を外し続けてきてる人間がギャンブルをやった日にはろくな結果にならないからだ。私は利口ではないが、それぐらいの頭は持ち合わせている。 しかし、人生の選択はいくら遠ざけて関わらないようにしていても、選択の瞬間は突然にしてやってくる。色々準備して待っていてもなかなか当たりは引けない。運が悪いのか、頭が悪いのか、それともまだまだ準備が足りないのか、原因はハッキリしないけど、負け続けてるんだからなんかが足りないんだろう。 そうやって準備をし

        • 守られる時代、守られなかった時代。

          個性や多様性という言葉に守られている今の時代。それを悪用している奴もいる。LGBTの話なんてまさに個性や多様性を悪用しようとする奴らに目をつけられてしまった1つだろう。 性別は男でも心は女、まあそこまでは良いだろうが、なので更衣室や温泉なんかは女性として利用しますなんて馬鹿なことをいう輩がいる。こういう奴らのことさえも個性や多様性という万能な言葉は守ろうとしてしまう、万能すぎるが故にね。 そもそも、LGBTに該当する様な人は今の時代になる前から存在していた。今みたいに都合

        頑張りと対価。

          大差のない選択。

          他人と同じだからといってそれが必ずしも、正しい訳では無い。こういう考え方は大切だと思う。しかし、この考えを大切にする上で1つ肝に命じなければいけないのは、他人と違うからといってそれが必ずしも、正しい訳では無いということである。 人と違う道を行く選択は時に必要であるが、人と同じ道を行く選択も必要だからである。状況やその場の空気感等を見極めてその中で取捨選択をしていく、それが大切なことだ。 安易に周りと同じ選択を取ることも、安易に他人と違う選択を取ること、どちらも本質的に大差

          大差のない選択。

          日常に潜む審査員。

          皆さんにも好きなことの1つや2つあると思う。だが、現代において、自分の好きなことを公表するのに躊躇いがある人もいるのではないだろうか。 私はその原因の1つに各ジャンルに審査員の様な輩が紛れているからだと考えている。音楽、アニメ、映画にファッション、スポーツや政治等あらゆる所に奴らは潜んでいる。 そして、口々にこういうのだ。「このジャンルを好きっていうなら、これぐらいは知っといてもらわないと」とか、「こんなことも知らないの?ニワカ乙」だとかね。 仮にその登竜門的なものを作

          日常に潜む審査員。

          独裁者のススメ。

          世の中には色んな人がいる。例えば、好き嫌いで必要か不必要かを決める人。 こういう人は気持ちは分からなくはないが、正直考えが浅いのではないかと思う。自分が嫌いだからこれは世の中には不必要なんて論調がまかり通るなら、世の中には何も残らない。どんなものでも、好意的な人も否定的な人もいるのだから。 自分が好きなものだけ残して、嫌いなものは排除したいなら独裁者になることをオススメする。それだけの力があればだが。もし、それが叶わないのなら世の中諦めも肝心だ。大人しく自分の嫌いなものと

          独裁者のススメ。

          直感という名の先入観。

          SNSで「この人はなんか嫌だなと直感的に思ったら、だいたい嫌な奴だった」といった内容を目にした。直感は当たるものだ、というわけだ。 しかし、私はそれが単なる先入観に過ぎないのではないかと思う。元々その人に対して良い感情を抱いていないのであれば、何か一つでも引っかかるところがあれば、それを理由にやっぱり嫌な奴だと結論づけてしまうだろう。 疑念を持ちながら、決してフラットではない心の状態で相手に接した結果として悪い印象を持つことは、本当に直感が当たったと言えるのだろうか?

          直感という名の先入観。

          欠点と偉人と言い訳と。

          誰かに自分の欠点を指摘されると、どこからともなく偉人だの有名人だのを引っ張り出してきて、自分のことを正当化しようとする奴がいる。遅刻癖を指摘されたら、偉人も遅刻してたけど成功したんだから、自分の遅刻なんて大した問題じゃないとでも言いたげだ。 結局、それはただの言い訳だ。自分のクズさを誇らしげに語ってるだけで、まるでそれが何かの偉業であるかのように振る舞っている。自分を守りたいという本能は理解できるが、社会の中でそれを通すのは間違ってると私は思う。 でも、今の社会じゃ、そん

          欠点と偉人と言い訳と。

          滑稽な酔いと宵。

          私は初めて飲んだ酒の味は一生忘れないだろう。理由は単純で、不味かったから。頭はクラクラするし、身体は熱くなり、本来なら言わない事をべらべら喋る様になる。 良いものか悪いものかでいうなら悪いものとしての側面が強いだろう。最近は酒やタバコがエモいなんていう奴らもいるらしいが、それは間違いだ。 酒は自分が気持ちよくバカになるためのものであり、そこに趣や情緒を持ち込む余地はない。趣や情緒を見出しているのは、飲んでいる人間ではなく、酒に飲まれている人間だ。そのくせ、酔ってるのは酒じ

          滑稽な酔いと宵。

          優しさとは修羅の道。

          私たちは皆、生まれたときには心に優しさを宿している。だが、ある時、気がつくのだ。優しさとは、決して平坦な道ではなく、むしろ険しい道のりであることを。さらに言えば、人に優しくするよりも、人に優しくされる側の方がはるかに楽だと。 だから、優しさはいつしか心の奥に仕舞われ、ホコリを被り、色褪せていく。局所的に優しい気持ちを持つことは誰にでもできる。街角で、普段は粗暴な態度を取るチンピラが、捨て犬にそっと手を差し伸べるように。だが、それは一瞬の優しさに過ぎない。 「人に優しく、自

          優しさとは修羅の道。

          一人の夜、孤独に怯え。

          私は一人でいるのは好きだけど、孤独は好きではありません。 一人でいることは私にとって安らぎをもたらします。しかし、孤独は別です。ある人は、一人でいるのが好きだと言う私を奇妙に思うかもしれません。 しかし、一人が好きということと孤独というのは似て非なるものなのです。孤独とは人との繋がりを感じられない、本当に独りになっている状態だと私は考えています。 私は一人でいる時も孤独ということはなく、少ないながらも繋がりを感じて生きている。この微妙な違いが、私の心の安定を支えているの

          一人の夜、孤独に怯え。

          自分にとっての価値。

          良いものとは、大衆が求めるものである。 私はあまり好きな考え方ではないが、これは真理だと思う。 例えば、そのもの価値や魅力はいまいち把握していないけど、周りの人達が持っていると魅力的に写り始める。 絵のことなんて分からないけど、ゴッホやピカソが描いた絵だと言われると途端に良いものに感じるのと同じようなものだろう。 つまりは世間一般でいうところの良いものとは、自分がどうかではなく、大衆が認めるものなのだ。 私は大衆に認められていても魅力を感じないものもあるし、その逆も

          自分にとっての価値。

          終わらない夏の余韻。

          夏休みも終わり、夏が一段落した雰囲気が漂っているが、まだまだ暑い今日このごろ。 確実に夏は終わりに向かっているはずだけど、ここ数年の感じだと秋になっても夏の余韻が残り続けるんだろうな。 ZONEとか森山直太朗の影響で、夏の終わりってなんか切ない感じがしてたけど、その切なさも最近の暑さで簡単に吹き飛ぶ。 それぐらい、暦の上で夏が終わろうとも、気温が夏を感じ続けさせてくる。 それでも、夏が過ぎて冬になったら、夏の暑さが恋しくなるのかな。 あーあ、結局海とかお祭りとか行か

          終わらない夏の余韻。

          作らず文句を言う人へ。

          私は自分でやらないことにケチをつけてくる奴が好きではない。 例えば料理なんてやろうと思えば誰でも出来るものを、自分ではやらず味に文句を言ってきたり、出来栄えにケチをつける奴とかね。 幼いこどもならそれも許されるかもしれないが、歳を重ねた社会的に大人と分類される奴らはその限りではない。 文句があれば自分で作る、それぐらいの行動は起こしてもバチは当たらない。 もちろん、お金を取っていたりする場合は多少値段とクオリティの差に不満を持つこともあるだろうけどね。 家庭内は牡丹

          作らず文句を言う人へ。

          欲しいものは欲しい時に手に入らない気がする。

          個性を求めてる人は少なくないと思う。 それにも関わらず、個性的なことをする人は多くない。 なんなら、無難な安全策を取る人の方が多いだろう。 変わった行動=個性という話ではないと思うが、それにしたって周りと同じことをしすぎている。 サウナが流行ればサウナに行き、キャンプが流行ればキャンプに行く。 流行りの服を着て、流行りの音楽を聴き、その時代の主流の考え方に身を置く。 個性に重きを置いている様に見えて、実は個性なんてどうでも良いのかもしれない。 皮肉なことに、それ

          欲しいものは欲しい時に手に入らない気がする。